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絵の中の妖怪少年

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 元々話し上手ではないというのは、会話を続けていく話題がないというよりも、会話をしている時間を長持ちさせることができないということだ。
――話をしていて、次第に苦痛に感じてくる――
 そんな思いは、序実に顔色に表れてくる。
――こんなに、一気に顔色が変わるなんて――
 と思うほど、気持ち悪そうな表情になった。
 顔色は精気を失っているかのようにどんどん、灰色と化してきた。汗を掻いているわけではないのに、顔面が震えているのを見ると、明らかに焦っているのが感じられた。
 汗を掻いている方が、新陳代謝が活発になり、焦りを感じたとしても、元に戻るだけの力を感じさせるのだが、汗を掻いていないと、拠り所を失ってしまい、失ってしまった精気を取り戻すことは、もはやできないのではないかと思えてくるのだった。
「ちょっと失礼」
 マスターは、そういうと、すぐに奥に入りこんだ。
――それにしても、これほど話しベタなマスターのいる店に、本当に常連客なんているのかしら?
 と、感じた。
 香澄は、奥に入りこんだマスターを尻目に再度、店内を見渡してみた。
――やっぱり、初めてきたような気がしないわ――
 と感じた。
 ただ、店の広さは記憶の中にある光景よりも、かなり狭い感じがする。
 そう思っていると、もう一つ違和感が生まれていたことに気が付いた。
――時間の感覚が、普段と違うんだ――
 店の中で感じた時間よりも、実際に過ぎた時間の方が、かなり大きかった。店に入ってから自分で感じていた感覚は三十分も経っていないと思っていたのに、実際時計を見ると、一時間が経っていた。
――本当なら逆なのに――
 確かに、マスターと話している時間があっという間だったような気がするが、マスターが奥に引っ込んでからは、食事をしながら店内を見渡していただけだった。雑誌を読んだりしていたわけではないので、普段の感覚でいけば、三十分もかかっていないはずだった。
 その時感じたのは、
――普段が、忙しい生活をしている証拠なのね――
 というものだった。
 毎日を時間で刻み、刻んでいる時間が、その時々で違ったとしても、気が付けば、いつも感じている時間通りに過ごしている。
 仕事をしている時間、通勤に使う時間、そして、自分のために使う時間。それぞれに時間の感覚は違っているが、違うなりに自分で理解しながら過ごしている。「体内時計」というものが存在しているのなら、いつも同じ時間に目を覚まし、同じ時間にお腹が減り、同じ時間に眠くなるはずだ。まったく同じとは言えないが、自分の中で、
――誤差の範囲――
 として見ている時間の中に、体内時計が収まっているのも事実だった。
 毎日同じリズムで生活しているわけではないので、誤差というのは必要だ。それは、車のハンドルの遊び部分のようなもので、必要不可欠なものである。
 香澄は、食事をする前と、食事を終えた後で、ここまで心境が違っていたことはなかったような気がする。ただ、空腹状態が満腹状態になるというだけではなく、それまでは感じたことのない睡魔が襲ってきたのを感じた。
――おかしいわね――
 確かに、満腹になると眠くなるという話を聞いたことがあったが、今までの香澄は、満腹になっても、睡魔に襲われたことはなかった。
 だが、今回の睡魔は、今までに感じたことのない睡魔だった。それは、
――眠たいと思っているのに、このまま眠ることを自分の身体が許さない状態になっていた――
 ということだった。
――こんな中途半端な状態って、本当に生殺しに遭っているような感じだわ――
 と思うと、またしても、汗を掻いていないのに、首筋に震えを感じ、今度は指先に痺れを感じた。
 こんな時に限って思い出したのは、今までほとんど思い出すことのなかった高校時代の思い出だった。しかも、それは受験勉強していた時の記憶で、その記憶は、小学生の頃の記憶よりもさらに遠いところに格納されていたものであり、何の力が働いたのか、その力のせいで、引っ張り出されたような気がした。
――高校時代のことを思い出さなかったのは、思い出そうとすると、避けて通ることのできない受験勉強の記憶を、嫌でも引っ張り出さなければいけないくなるからではないだろうか?
 と、感じた。
 確かに、高校時代の思い出は、受験勉強の思い出しかない。他にもあったはずなのに、どうしても思い出せないのだ。
 つまり、最初に思い出すことのインパクトが自分にとってどれほどの大きさであるかということが、その記憶が、自分の中のどのあたりに位置しているかということを示唆しているように思える。
 受験勉強は、自分にとって、
――思い出してはいけない「パンドラの匣」――
 と言えるのではないだろうか。
 それは、恐怖という言葉で記憶されてしまっているので、思い出すことは、恐ろしさしか生まないのだ。
 思い出してしまうと、他の記憶が消えてしまうほどの大きなものであることを自分で分かっているので、思い出さないようにしている。
――高校時代の他の記憶は、オブラートに包まれている――
 包まれている記憶のオブラートは、いつでも破ることができるはずなのに、呼び起こすことに恐怖を感じているため、そこまで行きつくことはない。
――別にオブラートに包む必要もないのに、包まれているのは『見てはいけないものだ』という意識があるからなのかも知れない――
 ちょうど一時間という区切りのいい時間は、偶然だったのだろうか?
 店を出てから営業所までの道のりを歩きながら、そんなことを考えていた。自分で考えているよりも、本来の時間の方がかなりかかっていたというのは、まるで浦島太郎になった気分だった。
 さすがに何十年という単位ではないが、店にいた時間があっという間だったにも関わらず、店に入ってから出てくるまでの時間を考えると、
――なるほど、確かに一時間くらい経っていたような気がする――
 と感じた。
 それほど店を表から見ていた時間が、かなり前だったということを意識しているのだろう。中にいた時間と、表で感じる時間とでは、かなりの差がある。まるで違う世界にいるかのようだ。
 香澄は店を出てから、しばらく振り返ることもなく歩いた。
 歩き始めてから、ちょうど五分が経った時、初めて立ち止まって、後ろを振り返った。
――そういえば、「後ろを絶対に振り返ってはいけません」と言われて、振り返ってしまったことで石になってしまったという話を聞いたことがあったわ――
 あれは聖書のお話だっただろうか。よく考えてみると、
「決して開けてはいけない」
 と、言われた玉手箱を開けてしまったことで、年を取ってしまった浦島太郎の話に似ているではないか。
――決して、してはいけない――
 ということをすると、必ずバチが当たってしまうという発想は、「してはいけない」ことが、
――悪いことである――
 ということを証明しているように思えてならない。
作品名:絵の中の妖怪少年 作家名:森本晃次