絵の中の妖怪少年
クラシック喫茶の常連客は、皆寡黙にクラシックだけを楽しんでいる。香澄も最初はそうだったが、それは音楽を聴きながら、目を瞑って瞑想している時間を感じていたからだった。
しかし、次第に目を瞑るのを止めるようになった。なぜなら、他に気になるものを見つけたからである。
この店ではほとんどの人が自分の指定席のようなものを持っていた。それだけ、常連がほとんどの店だということなのだが、香澄にも同じように指定席があった。
香澄が行くと、その席は必ずと言っていいほど空いている。いつものようにその席に座って、瞑想を繰り返していると、何かが気になるのを最初は分からなかった。
店内は薄暗くなっているので、目が慣れてくるまでに時間が掛かる。目が慣れてきても、瞑想するために目を瞑っていることが多かったので、気にすることもなかったが、目を瞑っていても、次第に何かが気になっていた。
少しずつ目を開けている時間を長くしていくと、目が暗闇に慣れてくるのを感じてきた。目が慣れてくると、それまで感じなかったものが浮かび上がってくる。それは、ちょうど香澄の前にある壁に飾られている一枚の絵だった。
暗闇と言えど、真っ暗にしてしまうわけにはいかず、ところどころに明かりを灯すようになっていたが、それが、絵を中心にした四隅から、絵に対して光を当てることで、明るさを保っていたのだ。
目が慣れてきても、違和感が抜けなかったのは、浮き上がっている絵に気が付かなかったからである。しかし、一旦気が付いてしまうと、今度は気になって仕方がなくなり、絵から視線を逸らすことができなくなってしまった。
――こんなにも目立つのに、どうして最初に気付かなかったのだろう――
それは、クラシックを聴くという目的に合致した明るさが店内のバランスをうまく保っていたからであって、
――どこに違和感を感じる必要などあるのだろう――
という思いがあったからなのかも知れない。
喫茶店の絵に明かりが集中していたとしても、それはバランスの中で浮き上がっているものであり、その場にあまりにも嵌ってしまっていては、却って目立つことはない。
それは、河原の石に似ている感覚だった。
「木を隠すなら、森の中」
ということわざがあるが、一つのものを隠すのに、同じものが密集しているところに隠すのが一番だという考えだ。
さらに、「保護色」という考えがある。
保護色とは、動物や植物が自分の身を守るために、まわりと同化させるため、同じ色を身体に植え付けている生態系のことをいうものだ。あまりにもまわりに染まってしまっていると、普段は目立つかも知れないことであっても、決してまわりが気付くことはない。いわゆる「自然の摂理」というものだろう。
だが、それも気づかれないことが基本である。
一度気付いてしまうと、これ以上気になるものはない。それを証明してくれたのが、クラシック喫茶の中に掛かっていた絵だったのだ。
それまで、あまり絵というものに造詣が深くなかった香澄が、急に気になるようになったのは、やはりクラシック喫茶という環境の中にいるということと、暗闇の中に浮かび上がっているという相乗効果が、香澄を掛かっている絵から離れることのできない感覚にさせてしまったのだろう。
もちろん、その場所にいるからであって、一歩店を出れば、完全にそれまで考えていた瞑想は吹っ飛んでしまう。
――まるで夢のようだ――
そこまで考えることはなかったが、もし考えるとすれば、最初に思うのは、「夢」という感覚に違いない。
ただ、一つ気になっていたのは、それまで絵画というものを気にしていなかったのは、ただ気にしなかったというだけではなかったのだ。
香澄の家には、絵が何枚も飾られていた。父親が時々買って来ては、家の通路や、リビングに飾っていた。母親は何も言わなかったが、買ってくる絵が、さほど安物でなかったということは分かるようになっていた。
これは母親が愚痴っていたのを、たまたま聞いてしまったのだが、
「お父さんは、別に絵に興味があるわけでもないのに、あんなに高いものを買ってきて、どういうつもりなのかしら?」
母親は分かっていなかったようだが、香澄には何となく分かった気がした。
――自分に納得したいからだわ――
客を家に頻繁に連れてくるわけではなく、むしろ、お客さんは少ない方だった。
絵に興味がなくて、それでも絵を飾るということは、考えられるのは、
――人に自慢したいから――
という考えだったが、父にそんなつもりはないようだった。
もっとも、厳格な父というイメージの中で、人に自慢したいなどという考えがあるとすれば、それは、香澄にとってはNGだった。もしそんな考えを持っているとすれば、その考えだけで、香澄は父親を自分の父親として認めることができないと思うほど、決定的な軽蔑対象になっていたことだろう。
厳格な父と、人に自慢したくないと考えている父との間で、香澄はどちらの父を信じていいのか分からなくなった。
考えてみれば、厳格の延長が、
――人に自慢したくない――
という発想であり、逆から考えて、人に自慢したくないという考えが、厳格な父を示しているのだと思うこともできなくはなかったはずだった。
――どうして、そんな簡単な理屈が分からなかったんだろう?
そんな理屈を考えさせようとしている父に対して、勝手に自分が面倒臭くなり、父を嫌いになった理由だったのかも知れない。それは、父の中に自己満足の思いがあったからで、厳格な性格の人が自己満足をするなど、その時の香澄には許せなかった。
だが、自分はどうなのだろう?
自己満足を、あまりよくないと言っている人もいるが、香澄はそうは思わない。
――自分で満足できないことを、他の人に満足させるなどできるはずがない――
と考えるようになった。
自分に対して余裕を持った考えでいたいという思いからだが、それは、
――人の妥協を許さない――
という姿勢を、まわりにも押し付けようとしていた厳格な父親に対しての反発心の表れだったに違いない。
反発心であり、反面教師として見ていることで、香澄は自分と父親との間に存在する確固たる「結界」のようなものを感じた。
――他人にも感じたことのない「結界」――
親子だからこそ感じるという理屈は、なかなか飲み込めないものだった。
家に飾っていた絵を気にするようになったのは、クラシック喫茶で浮き上がってくる効果のある絵を感じたからだった。
後になってマスターに訊ねると、
「あの絵は、確かに暗い店内で目立つような演出をしたつもりだったんだけど、意外と気が付いてくれない人が多かったと思っているんだよ。香澄ちゃんが気が付いてくれたのは、本当に嬉しく思う」
と、言っていたが、
「そんなことないですよ。きっと気付いている人も結構いたような気がします。このお店は、そういう効果が結構ちりばめられていたような気がしますよ。私が気が付かなかったことでも、他に気付いた人もいるかも知れない」
とマスターに対して答えた。