絵の中の妖怪少年
ただ、そうなってしまっては、もはや夢ではない。妄想になるのだ。夢と妄想との違いは、
――夢は、考えと思いが違っているものだが、妄想は、考えも思いも違っている。きっと起きているという感覚があるからなのかも知れない――
と感じていた。
彼女を見ていると、まるで連鎖の発想で、妖怪少年を思い出してしまう。以前にも、誰かを見ていて、妖怪少年を思い出したことがあったような気がする。それが一体誰だったのか、思い出そうとしているが、なかなか思い出すことができない。もし思い出すことができるとすれば、タイミングというものが必要になってくる。思い出せそうな時に、何かもう一つのきっかけが重ならないと、記憶を封印した扉の鍵を開けることができないのではないだろうか。
そんな時思い出したのが、父親の死だった。
――父親の死が、妖怪少年と、彼女の正体を結びつける妄想の答えを導き出してくれるのだろうか?
ただ、それはあくまでも妄想に対しての答えであって、真実などでは決してない。
――真実であるはずがない――
という思いがあるからこそ、妄想を働かせることができるのだ。
妄想というものが、どこまで許されるのかということを、香澄は考えたことがなかった。もし、許されないという境界があるとすれば、今までに何度その境界を超えたのかと考えてしまう。
ただ、境界である以上、超える瞬間に、何らかの抵抗のようなものがあったはずだ。しかし、香澄はそんな抵抗を感じたことはない。
境界というものが本当に存在しているとすれば、今までの香澄は、境界を超えたことがなかったのだろう。もし、境界など存在しないとするならば、歯止めのない妄想は留まるところを知らない。だが、暴走したことは今までにないことから、
――境界などなくとも、人間の妄想など大したことではないのかも知れない――
と思うようになっていた。
香澄は、自分の中でいろいろ妄想していながらも、結局は、
――お釈迦さまの手の平の上を飛び越えることもできない孫悟空――
のような心境になっていた。
――どんなにあがいても一緒なんだ――
と、本来なら諦めの心境に近いものなのだろうが、香澄に諦めというよりも、ホッとした心境になっている自分に気が付いた。
――どんなに連鎖が続こうとも、結局は堂々巡りを繰り返すことにしかならないんだわ――
と、感じると、頭に浮かぶのは、自分の前と後ろに鏡を置いて、限りなく無限に映し出される鏡を見ながら、
――しょせん幻影が写っているだけで、自分はたった一人いるだけなんだわ――
と感じている自分を冷めた目で見ているもう一人の自分を感じた。
どちらの自分が本当の自分で、どちらがもう一人の自分なのか、それによって感じ方はまったく違ってくるはずなのに、その時の香澄は、
――そんなことは、どうでもいい――
と感じるようになっていた。
香澄は頭の中で、時間の感覚がマヒしかけていた。しかし完全にマヒしてしまったわけではない。何かを導く出すための段階として、時間の感覚をマヒさせる必要があったのだ。
妄想の中で一つ頭の中に引っかかっているのは、
――妖怪少年が誰と入れ替わったのか?
ということだった。
その相手というのは、この店でアルバイトをしている彼女に違いはなさそうなのだが、彼女が香澄の知っている相手だということにも間違いがない。
もう一つ気になったのが、
――どうして、昼間いたマスターが現れないんだろう?
ということだった。
不思議なことに彼女の存在を意識すればするほど、マスターの存在が意識の中から遠ざかっていく。数時間前に遭ったばかりなのに、その顔も次第におぼろげになっていき、意識して思い出そうとすると、却ってぼやけてしまったかのように顔が見えなくなってしまった。
――二人同時に現れることができないような、何か理由があるのだろうか?
香澄は、マスターが妖怪少年なのではないかという思いに駆られていた。足に幹が生えていて、森の中に一人佇んでいる。誰かが来るのをじっと待っているというそんな想像を絶するような相手と、昼間に遭ったマスターが同じ人間であるということなど、いくら妄想とはいえ、想像することは難しい。
想像することはできなくても、思うことはできる。それは理屈の上で考えたからであって、現実性を度返しした感覚であることに違いない。
香澄にとって妖怪少年がどんな存在なのかというのを考えてみた。
――半永久的に続く寂しさの中、まったく変化のない場所で、時間の感覚などマヒしているであろうに、何かを考えるなどできるのだろうか?
何も考えることもなく、何もすることもなく、ただ、その場所に立っていなければいけない。まるでこの世の地獄と言えるのではないだろうか?
そうやって考えると、
――妖怪少年が佇んでいるその世界は、死の世界なのではないだろうか?
死の世界というものを今までに香澄は想像してみたことがあったが、すぐに想像するのをやめた。
――想像しても、果てしなく続く想像の連鎖に引きこまれてしまうかも知れない――
という思いと、
――想像してはいけない「パンドラの匣」を開けてしまった――
という思いから、一度引きこまれてしまうと、そこから抜けられなくなってしまうという、まるで底なし沼のような状態を、無意識に嫌ったのかも知れない。
――死の世界を想像するということは、バチ当たりなことだ――
という思いはずっと持っている。それは死の世界を怖がっているからなのだが、怖い中でも、納得しなければいけないことがあるような気がしていたのかも知れない。そのために、妖怪少年という架空の妖怪を自分の中で作り出し、
――妖怪少年が住んでいるところこそ、死後の世界なんだ――
という思いを根付かせていたのだ。
そのことが、香澄の中での妖怪少年と、その住処という環境が、自分の中の存在意義として意識させることになっている。
ただ、妖怪少年の発想は、香澄にとって、やはり「パンドラの匣」であった。
開けてしまうことは、自分の納得いかないことが起こった時、解釈の一つとして残しておいた一種の「保険」のようなものだ。
パンドラの匣であっても、自分を納得させられないと先に進めないことがあれば、どうしても開けないといけないことがある。そのことを自分の中で意識していたのだろう。そういう意味で、頻繁に妖怪少年を感じている最近は、あまりいい傾向にないのかも知れない。
ずっと前兆のようなものが続いていて、それがいつ形となって現れるというのか、想像もつかない。
――まさか、このままずっと前兆のまま、果てしなく続いていくなんてことは、ないわよね――
と、考えたくもないことを想像していた。
香澄は、どうしてもネガティブに物事を考えるくせがある。それが嵩じて、妖怪少年などという発想を持っているのかも知れない。そう思うと、自分の性格を呪いたくもなってきた。
――自分の性格?
そう思った時、思い浮かんだのが両親の顔だった。
――これって遺伝なのかしら?
と考えた時、ふと目の前にフラッシュが焚かれたような気がしたが、次の瞬間、どんどんと暗くなってくるのを感じた。