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絵の中の妖怪少年

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 それはもう一人の自分であるのは確かなのだが、それが本当に、「もう一人」の自分なのかということに疑問があった。
 今、考えている自分は確かに表の自分である。しかし、もう一人の自分もどこかで誰かが考えていることになる。自分はその人が本当にいて、何かを考えているという意識がないから、自分が他にいても、その人のことを
――もう一人の自分だ――
 と言いきっているが、もう一人の自分も同じことを考えているすれば、本当の自分は一体どちらだというのだろう。
――どっちも本当の自分?
 身体は一つしかないので、共存はできないが、ひょっとすると、一つの身体を巡って二人が入れ替わっているのかも知れない。
 そんな発想は、瞑想の中ではできない。瞑想というよりも、妄想の世界だった。
 しかし得てして、そんなことを思うのは妄想している時以外にはないのだ。逆の発想でいけば、
――瞑想と、妄想、本当に二種類が存在するのだろうか?
 というものであった。
 別に、切り分ける必要がどこにあるというのだろうが? 自分の内にある発想であっても、果てしない発想があってもいいのではないか?
 ただ、妄想と瞑想の融合は、大きな危険を孕んでいるとも言える。それぞれ単独であるからこそ成立する発想なのに、それを一つにしてしまうと、
――一足す一が二ではなく、三にも四にもなる――
 ということになる。
――歯止めが利かなくなることを思えば、それぞれで存在している方が無難ではないだろうか?
 と思えてくる。
 瞑想と妄想の違いは、覚める時にも感じられる。
 妄想から抜ける時は、自分の意志ではできない。しかし、抜ける時の前兆は感じることができる。
 瞑想から抜ける時は、妄想と違って、自分の意志でしか抜けることができない。ただ、この時も妄想と同じように、前兆を伴うもので、前兆を意識するからこそ、抜けることができるとも言える。
 瞑想と妄想、どちらにも言える共通している部分は、
――前兆をともなう――
 というところだった。
 どちらもワンステップ必要とする。香澄は、その時に、
――もう一人の自分というのが必要なんだ――
 と感じた。かなり乱暴な発想であるが、間違っているとは思えない。つまりは、もう一人の自分を感じるということは、前兆を感じるということであり、もう一人の自分の存在を怖がっているということは、前兆を感じるのを怖がっていることになる。本人に前兆という意識すらないので、
――もう一人の自分の存在が一番怖い――
 という発想までしか浮かんでこない。
 香澄はもう一つ大切なことを感じていた。
 瞑想と妄想の違いは、
――妄想は、未来を予見しているとは思えないが、瞑想は未来を予見しているような気がする――
 という発想だった。
 妄想の基本は、自分のことをすべてもう一人の自分として意識してしまうことに対し、瞑想は自分の内に入っての発想だからである。
――自分のことなら、未来のことであっても、想像できて不思議はない――
 という発想だった。
 もう一人の自分が存在しているということを意識していると、
――二重人格ということなのかしら?
 という発想を抱いてしまう。
 まわりの人から二重人格だということを言われたことはなかった。もちろん、自分の意識として、二重人格だという思いはない。
 二重人格というのは、自分で意識するのは難しい場合がある。もし、自分の中にもう一人の自分がいるとしても、表に出ることができるのは、どちらかだということだ。
――ひょっとして、もう一人の自分が本当の自分なのかも知れない――
 そんな発想をしたこともあったが、それは夢の中でもう一人の自分を意識したからである。
 クラシック喫茶で、もう一人の自分を感じた時の話にはまだ続きがあった。
 続きがあったことを意識してはいたが、どんな話だったのか、思い出そうとしても思い出せなかったからである。
 しかし、今の香澄には思い出すことができる。
――きっと、子供の頃に見た妖怪もののアニメの印象が強く残っていたからなのかも知れない――
 アニメの内容とかぶってしまったので、どちらが記憶の中のことなのかハッキリとしないところまで封印された記憶だったが、あれは確か、足が木の幹と化していた子供の話だったように思う。
 自分はその時子供になっていた。それは自分が子供でなければ、そんな状況を信じられないと感じることで、見えているにも関わらず、見えない状況になっていたのかも知れないと思ったからだ。子供であれば、理解できないまでも、目の前に広がった光景を受け入れようとするはずである。そのことを自分の中で意識していることで、シチュエーションに合うのは子供でしかありえないと感じたからである。
「やっと来てくれたんだね?」
 その子は男の子で、目はクリッとしていて、口元は耳の近くまで裂けていた。いかにも妖怪変化と言われて想像できる範囲の顔立ちであった。
 妖怪の顔は、安堵していたように思う。人間の形相ではないので、どんな表情をしようとも、その精神状態は、表情から想像することはできない。できるとすれば、状況判断でしかないのだ。
 状況判断といっても、いきなり目の前に出てきた妖怪が一言声を掛けてきただけである。それなのに安堵していたかのように思えたのはなぜだろう?
「来てくれたって、どういうことなの?」
「僕はずっとここで一人でいたんだ。ここから動くこともできずに、寂しかった。ここに誰かが来るということはないからね」
「でも……」
 言葉を発しかけて止めてしまった。本当は、
「もう一人の私がいたじゃないの」
 と言おうとして、やめたのだ。
 彼が、ここには誰もいなかったというのだから、もう一人の自分を見かけたのは、自分の錯覚だったのかも知れないと思ったのだ。
 そもそもこの世界こそが幻の中にあるイリュージョンだと言えるのではないだろうか。香澄が想像したそのままの世界。ちょっとした発想の違いで、まったく違った世界が作り上げられる。そんな世界のことを、目の前の妖怪に聞いたとして、返ってきた答えにどんな信憑性があるというのだろう。
 少年は、香澄が言いかけた言葉をどう思ったのか、その言葉には触れようとはしなかった。
「君は、僕のことを怖がっている様子はないね」
 少年には、香澄の考えていることが少しは分かるようだ。本人がそれをどこまで分かっていると思っているのか、そして実際にどこまで分かっているのか、香澄には想像もつかなかった。
「そうね、怖いという感じはないかも知れないわ。それよりも、寂しさがどこから来るのかの方に興味があるみたい」
 香澄は、子供になっているはずである。しかし、話をしている自分は、まるで大人になった自分を想像しているかのように言葉が出てくる。
 少年は、そのことに疑問は感じていない。至極当然だという顔をしている。その表情を見ると、急に歯がゆくなってきたのが不思議に思えた。
 子供の自分が、大人のような表現をする。それは、大学時代の今の自分ではなかった。明らかに違う自分であった。
――これって、二重人格のもう一人の私?
 と思ったが、どうもそうではないようだ。
作品名:絵の中の妖怪少年 作家名:森本晃次