絵の中の妖怪少年
香澄は、彼女が黙りこんでしまってからの少しの間に、ここまで頭を巡らせていた。普段であれば、ここまでの発想はなかなか起こることはないが、できない発想というわけではない。
「あなたは、この店で何時からの勤務になるんですか?」
香澄は思いきって聞いてみた。聞かれた彼女も、香澄の質問の意味がどこにあるのか分かったみたいで、
「昼前から入るようにしているんですけど」
と、恐る恐る答えた。そして、その時の彼女の目力は最高潮に見えた。
――私も、自分の中で、男の目線で見たような気がしてきたのかも知れないわ――
と感じた。
「あの、もしかして、私の考えていること、分かります?」
と、彼女の方から香澄に聞いてきた。
「ええ、分かっているつもりなんですけど」
と答えると、一瞬彼女の表情が緩んだような気がした。
それはどこか「どや顔」に似ていて、
――まるで私が彼女の術中に嵌ったみたいだわ――
と、感じたのだった。
――術中に嵌るってどういうことなのかしら?
香澄の発想は、かなり深いところまで行っていた。彼女がそこまで考えているとは思えない。相手にすがるような目をしているのがその証拠ではないかと香澄は感じたが、考えてみれば、
――相手にすがるような目線でいるということは、自分の考えが深みに嵌ってしまい、何とか助けてほしいという発想に繋がっているのかも知れないわ――
と感じた。
――いや、私の方が、より深く考えている――
と、自分に言い聞かせたが、結局どこまで行っても、一旦我に返ると、原点に立ち戻ることになる。そう思うとさっきの発想の、
――堂々巡りを繰り返す――
というところに戻ってくるのではないだろうか。
「でも、私もいろいろ考えていながらでも、結局同じところに戻ってくるんですよ。堂々巡りを繰り返しているんですが、それが次第に怖くなってきて、なるべく考えないようにしようと思ってもそれができない。そう思うと、自分の考えていることなんか、他の人から見れば、一目瞭然なのかも知れないって感じるんですよ」
彼女はそう言いながら、さらにかしこまったように小さくなっていた。
香澄は、彼女と似た女の子を知っていた。それが誰だったのか今思い出そうとしているが、すぐには思い出せない。しかし、数時間前にここに訪れた時のことが、頭から離れない。
――あの時に何かを閃いた気がしたんだけど、それが今実を結びそうな気がしているんだわ――
と感じた。
その時に何を感じたのか、すぐには思い出せない。
香澄は時間が経てば、少し前のことでも忘れていることが多い。その間に何か考えが一瞬でもリセットされてしまうと、思い出すまでにかなりの苦労がいる。それは以前の自分と変わっていないはずなのに、なぜ以前はその意識がなかったのか分からない。
――余計なことを考えるようになったからなのかしら?
余計なこととは何かのか、それはその時々で違っている。しかし、一つのことを考えることで、何か一つを忘れていくような気がしていた。それは、自分の中にある記憶装置には限界があるということを意識していることで、勝手に限界を作っているからに他ならない。
記憶装置を意識するようになったのはいつからだったのだろうか?
今から思い出してみれば、夢について意識するようになった頃とかぶっているように思えて仕方がない。
夢について意識したというよりも、目が覚めていくにしたがって、夢の内容を忘れていくということを意識し始めた頃といってもいいだろう。普通に考えてみれば、すぐに分かりそうなことなのに、意識まではしていなかった。すぐに分かることだけに、意識する必要がなかったというのも真理なのだろうが、意識することで、見えていなかったものが見えてくるということに初めて気づかされたのが、夢を意識するようになってからのことだった。
夢を見ることが、
――余計なこと――
だとは思わないが、忘れてしまうということは両極端な発想をすることができる。一つは、
――忘れてもいいような夢を見ているから忘れるのだ――
と、忘れるということに重点を置いた、ある意味普通の発想であるが、もう一つは、
――忘れなければいけないような夢であり、現実の世界に引っ張ってはいけないものだ――
という発想である。
これも二種類の考え方があり、
――現実の世界と、夢の世界の結界が、それほど厚いものなのだ――
という考え方と、
――本当は夢の世界のできごとが現実の世界に影響しているのだが、それを悟られると、夢と現実の境目がなくなってくる――
という考え方である。
どちらも結界を意識するものではあるが、後者は忘れることで逆に夢の世界を意識させるという効果がある。それだけ夢の世界を意識し続けなければいけないということを意味している。裏を返せば、
――夢の世界での出来事とは、現実世界と紙一重のところで成立しているものなのかも知れない――
と言えるのではないだろうか?
香澄は、自分で発想を膨らませながら、留まるところを知らずに考えている自分にどうすれば歯止めが効くのか考えてみた。
――歯止めという意味での堂々巡りは絶対に必要なんだ――
と思うようになった。
堂々巡りは、そういう意味では、決して悪いものだとは限らない。ある意味、歯止めであったり、保険であったり、香澄は自分の発想が怖くなることがあった。
忘れるということが大切だと思うようになると、頭の中をリセットさせることも大切だということになる。しかも、それはいつリセットを掛けてもいいというわけではない。きっとタイミングというのが必要なはずだ。そのタイミングを計っているのが、
――夢の中の世界――
と言えるのではないだろうか。
今日の香澄はいつになく、そのタイミングというものを感じているような気がしていた。夢の中の世界で忘れてしまったことをもし思い出せるのだとすれば、
――今日のように、タイミングを分かっている時――
であった。
数時間前にここにいた時思い出していた学生時代によく立ち寄ったクラシック喫茶。そこでクラシックを聞きながら、いろいろな場面を思い浮かべていた。
香澄は、静かな曲よりも、大オーケストラが奏でる交響曲が好きだったこともあり、発想には壮大なイメージが付きまとっていた。
大海原であったり、大草原であったり、何もない大地が果てしなく続いている風景であったりと、ただ、基本は空が中心だった。
暗闇に近い店内で妄想というよりも、瞑想していた香澄は、壮大な風景の中で、浮かんでくるのが、絵画のような平面であることは意識していた。逆に平面でなければ、ここまでの壮大さは自分の中で想像できないと思っていたからである。
なぜなら、立体を想像してしまうと、そこにはリアルさが強調されて、想像の入り込む余地は非常に少なくなってしまう。
香澄は、油絵も好きだったが、時として、鉛筆画に近いモノクロのデッサンに魅了されることが多かった。
それは油絵のような立体感を示したものではなく、モノクロのイメージが、限りない想像力を掻きたてられる思いを感じたからだ。