絵の中の妖怪少年
――彼女のいうもう一人の自分というのは、この潜在意識のことではないだろうか?
と感じたのだ。
「ねえ、あなたのいう自分の中にある『もう一人の自分』というのは、潜在意識のことなんじゃないの?」
と、聞いてみた。
いつもなら、
――思い切って聞いてみた――
というところなのだろうか。そういう発想ではない。自然に出てきた言葉だった。
「ええ、そうなのよ。あなたもいろいろ考えているんですね」
冷静に見えた彼女だったが、香澄が潜在意識という言葉を口にしたのを聞いた時、少し興奮したような口調で答えた。
――どちらが本当の彼女なのかしら?
と香澄は考えたが、
――どっちも彼女なんでしょうね――
とすぐに結論に持って行った。
――彼女の考えていることが分かってくるようだ――
と思えてくると、どこまで自分の発想に近いのか、大いに興味を持った。もっとも、今日、新たな発想が生まれたのも事実で、この店に来たおかげであったが、その店にいる女の子に興味を持つというのも運命めいたものを感じた。それは今までの香澄なら感じなかった思いであり、今まで自分で自分を納得させてきたことについても、ひょっとして違った発想があったのかも知れないことに気付くような気がしてきた。
「いろいろ考えているというよりも、あなたを見ていると、何かを感じないといけないという気持ちになるんですよ」
「そんなに私って、押しつけがましく見えますか?」
と、少しはにかんだような表情を見せた。その時の彼女に目力を感じることはなかったが、目力を感じさせないその表情は、それまでの彼女とは違い、しっかりして感じられた。
目力の強さは、二種類あって、一つは、自分の中にある力を表に出そうとする感覚である。そして、もう一つは、相手に対して委ねたい気持ちを表すための目力である。彼女の場合は、後者の方に思えた。
香澄が今までに出会った目力の強い人は、前者の方が多かった。目力の強い男性というのを香澄は見たことがない。そのすべてが女性だった。何とか自分をまわりの人に分かってもらいたいという気持ちが、自分の中にある力を表に出そうとする気持ちだったのだろう。そう思うと前者が多いと感じたのは、
――私が女性だからなのかも知れないわ――
ということなのだろう。
もし、香澄が男性の目で見たとすれば、
――自分に対して委ねる気持ちになっている――
と思うに違いない。
香澄は、たまに自分が男性の目で相手を見ていることがあることに気が付いていた。あくまでも漠然としてであったが、男性の目として相手を見ると、ほとんどの女性がこちらを見上げていることに気付く。女性として相手を見るのと男性の目線で相手を見るのとではどれほどの違いがあるかということに気付いていたのだ。
男性の目線と女性の目線で相手を見る時、かなりの違いがあることは分かっていたが、目力の強い人が相手だと、ここまで違ってくることに初めて気が付いた。
もっとも、男性の目から相手を見た時、目力の強い人を感じたことがなかった。無意識に避けていたように思う。つまり、相手が目力の強い相手だと思うと、男性の目線から相手を見るということを、最初から避けていたに違いないからだった。
香澄は彼女の目力を女性の目からしか見ていないにも関わらず、
――相手に委ねたい――
という気持ちになっているからに違いない。
「押しつけがましいなんて思っていないわよ。いやあね」
と今度は香澄が照れ笑いをした。完全に、女性としての態度の表れだった。
――彼女に対して、男性目線になっては失礼なんだわ――
と、感じるようになった。
いや、そう感じたのは、男性目線になってしまうと、彼女の慕おうとする態度に目を奪われて、自分の感覚がマヒしてしまい、彼女の術中にはまってしまうような気がしたからだ。
「お客さんは、このお店初めてですよね?」
「ええ、今日立ち寄ったのが初めてです。でも、正確に言えば、今が初めてではなく、今日が初めてだということですね」
「え? じゃあ、私がいない時間に来られたんですか?」
「ええ、昼すぎくらいに来たんですが、店にはマスターが一人だけだったですね」
「そうなんですね」
というと、彼女は黙りこんでしまった。何かを考えているようだったが、彼女の中でそれを香澄に悟られないようにしようという意志が働いているのは確かだったが、彼女はそのことを意識していないのかも知れない。
しばらく彼女が何も話さない間、香澄はまたしても、空気の流れが変わったような気がして仕方がなかった。
目の前で必死に何かを考えている彼女が、部屋の空気を一瞬重たくした。しかし、それは本当に一瞬で、すぐに時間が元に戻ってきた。
しかし、その戻ってきた時間が、
――本当に進むべき時間だったのか?
という保証はどこにもないではないか。
進むべき時間は、今の時間の延長線でしかない。少しでもずれてしまえば、それは進むべき時間ではない。つまりは、今この瞬間の次の瞬間には、末広がりのように無限に可能性が広がっているとすれば、それは今から一瞬前に作られた無限に広がる世界のそのうちの一つでしかない。
そう思うと進むべき時間を間違いなく進んでいくのは、
――薄氷を踏むようなものだ――
と言えるのではないだろうか。無限に広がっている世界を間違えることなく進むのは、可能性の問題として、そんなに簡単なことではないような気がする。
時間の進み方に違いがあるという発想を持ったことはあったが、無限に広がる可能性の世界があるという発想の元では、
――両立できない考え方――
としか思えなかった。
どちらが考え方のウエイトが重いかと言えば、無限に広がる世界を想像する方が、香澄にとって、遥かに信憑性があり、自分を納得させることができるものだった。
どちらも、まるでSFの発想のようだが、考え始めると、結論の出ないものであり、考え始めると、堂々巡りを繰り返してしまうのだった。
堂々巡りを繰り返していると、考えが元に戻ってくる。それは時間が戻ってきたわけではないのに、時間までもが戻ったような気になってしまう。それを先に進めようとすると、再度同じところまで自分を納得させながら、早いスピードで考えを巡らせなければいけなくなる。
――元に戻ってきた時、最初にいた自分がそこにいるのを感じることになるのだろうか?
香澄は自分が今までに見た夢で一番怖いと感じたのは、
――もう一人の自分を感じた――
そんな夢だった。
それは最初、
――自分のことを見られているので怖い――
と思っていたが実は違った。
――自分が向かったその場所に、もう一人の自分がいる。そして、それが最初からいた元の自分である――
ということだった。
つまり、後からやってきたのは考えている自分なのである。
最初からいた自分も、確かに後から来た自分の存在に気付いているが、それよりも、後から来た自分が、前にいた自分を見つけることの方がショックが大きいため、前からいた自分の意識がその時に飛んでしまうのだった。