短編集34(過去作品)
「だからこそ、自分に自信を持つようにしている。自分に自信を持つためには、実績が必要なんだよ。いくら自信があっても実績がなければ、机上の空論と同じことなんだ」
「感性というのって、持って生まれたものなんでしょうね」
「持って生まれる感性もあれば、自分の成長とともに培う感性もある。一口に感性と言ってもいっぱいあるんだと思うよ」
「私にもあるかしら?」
「あるさ、皆それぞれの感性を持っているはずだからね。それを知らずに人生を過ごすのはもったいないよ」
「話を聞いていると、私も自分の感性を探してみたくなりました」
感性という言葉は、今まで自分には無縁なものだと思っていた。だから芸術家のような人に憧れることはあっても、自分がなろうとは思わない。絵を見たり、本を読んだりすることはあっても、自分が描いたり、書いたりはできないと信じ込んでいた。
「きっと、それは書こうとしても、所詮、人の真似になってしまうんじゃないかって、自分の中で危惧しているからじゃないかな? 僕も最初はそんな気持ちがあったよ。諦めようとしたことが何回もあった」
「そうなんですか? 信じられません」
少し話しただけでも、彼の感性の中に入り込んでいるようで、不思議な感覚だった。吸い込まれるような、だけど、決して不快なものではない。懐かしさを感じ、安心感があるのだ。
以前ミステリーの好きな友達から聞かされたことがあった。あれは中学時代だっただろう。いろいろなことにチャレンジしてみたくなる年頃でもある。彼は幼馴染で、幼稚園の頃からずっと一緒にいて、よく遊んだものだった。まだ、異性という感覚が生まれる前だったので、恋愛感情の意識はまったくなかった。
彼はミステリーを小学生の頃から読んでいて、中学に入る頃までには百冊以上のミステリーを読んだと言っていた。国内のミステリーから海外のミステリー、そして大正時代のミステリーから現在のミステリーまでと、地域性、時系列とも縦横に読み漁っていたようだ。
「ミステリーを書こうと思っていたんだけど、どうもうまく行かなくてね」
一度彼に自分で書いたという作品を読ませてもらったことがある。
「どうして? なかなか面白かったわよ」
確かに彼から見せてもらったミステリーは面白かった。私自身、ミステリーは時々読んでいて、それでなのか、それだからこそなのか、彼の作品に斬新さのようなものを感じ、素直に答えたつもりだった。
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ。でもね、所詮、人の真似にしかならない気がするんだ」
「どういうこと?」
「ミステリーって、昔からたくさんの人が挑戦しているジャンルでしょう? トリックにしても、ストーリー性にしても、必ずどこかで同じようなものはすでに書かれていると思うんだ。そう思うとなかなか先に進まなくてね」
「でも、それって仕方がないことじゃないの。書く人が違うんだから、同じような内容でも、まったく同じってわけじゃないでしょう。だからトリックにしてもストーリー性にしてもバリエーションを利かせればいいことじゃないのかしら?」
「それは僕も分かっているんだ。確かに君の言う通りさ。だけど、僕はそれでも許せないところがあるんだ。こだわりのようなものが、きっと心の中にあるんだろうね」
そう言って、唇を噛みしめていたのが印象的だった。私もさすがにそれ以上言えなかったが、彼はミステリーを書くことはやめなかった。それどころか、懸賞小説に応募を繰り返していると聞いている。高校に入り、まったく別々の生活になったので、詳しいことは知らないが、少なくとも、あの時の壁のようなものは越えたのだろうと、心の中で彼にエールを送っていた。
最初に悩むまでは、やる気になればそこまでは行くような気がしていた。しかし、実際に第一段階のハードルを越えるか越えないかで、そこから先続けていけるかが決まるように思う。私は手をつける前から、危惧が分かっていたので、最初から芸術とは縁がないと感じていたのだろう。
ある意味、頼子に似ているかも知れない。
――現実的な性格――
規則的にものを考えるから現実的な性格が生まれるのだろう。やる前からそこまで感じることは、規則的に物事を考えなければできないことかも知れない。それだけに、少し冷淡に見えても頼子に惹かれるのだろうし、頼子も私には心を開いてくれるのだと思っている。
「森口は暗いからな」
中学時代に偶然聞いた、本人にとって罪のないこの言葉が、私の中でずっと引っかかっているようだ。
その頃から、
――ひょっとして、自分の性格の一部を押し殺しているのではないだろうか――
という感じを抱いているようだ。
幼稚園の頃から、ずっと友達でいたのは、ミステリーが好きだった幼馴染の友達だけである。名前を秀樹くんと言ったっけ。いつも一緒にいて、違和感のない人だった。小学生の頃まで、私は女の子らしい遊びをした記憶がない。ほとんど秀樹くんと一緒にいたのだから無理もないことかも知れないが、元々小学生くらいの年頃だと、男性と遊んでも女性と遊んでいても、それほど精神的に大差はなかった。その理由が分かったのは中学に入ってからで、ハッキリと自分の身体が女性であることを認識し始めたからだ。
初潮を向かえ、胸が次第に大きくなり始める。確実に女性としての身体へと変化が訪れてくるのだ。
そのうちに男性に対して、ハッキリ異性を感じ始めると、もう男性と一緒に行動することを躊躇わせる。
秀樹くんはどうだったのだろう?
彼は男性として私を女性という目で見ていたのだろうか?
成長していけば、どこかで必ず訪れる転機である。しかも平均的に男性の方が女性よりも遅いのではないかと本には書いてあった。すると、無意識ではあったが、私が女性の気持ちに変わっていくのを見ていた秀樹くんには、私の気持ちなどきっと分からなかっただろうと思う。今まで何の抵抗もなく一緒に遊んだりしていたのが抵抗を感じ始めたり、一緒にいるだけでも違和感を感じる私の態度に、彼が気付かぬわけがなかった。
その頃、すでに秀樹くんはかなり本を読み込んでいて、話す内容も鋭い、独特な視線を持っていた。それだけに人を観察することを無意識にしていたようで、時々視線が怖いこともあった。
しかし、それは精神的なものだけに留まっているのだろう。
「最近、あまり一緒にいてくれないのはどうしてだい?」
「ごめんなさい。自分でも分からないのよ。きっと私の身体が変わってきているからかも知れないわ」
正直に聞かれたので、正直に答えた。他の人ならもう少し回りくどい言い方をしていただろう。だが、秀樹くんにだけは回りくどい言い方をすると、却って余計なことを考えさせてしまいそうで、それが嫌だった。
私の言葉をどこまで分かってくれただろう? 所詮、男性は女性と身体のつくりが違うのだ。言葉で説明しても、本人が異性として意識しない限りピンと来ないことは分かっている。
それから私と秀樹くんは疎遠になってしまった。最初にぎこちなくなると、なかなか修復するのは難しいもので、しかも自分たちの成長の過程で一番大きな肉体的な変化を伴う時だったのは致命的だった。
――私がいけなかったんだわ――
作品名:短編集34(過去作品) 作家名:森本晃次