短編集34(過去作品)
「元々、私に限らず人間というのは、自分の体験したことや信じられること以外を文章にするってことができないと思うんですよ。それができるかできないかで、作家になれるかなれないの境目があるのではないでしょうか?」
「では、先生は自分の体験や発想以外を表現できるから、自分は作家になれたとおっしゃりたいのでしょうか?」
「それも言えますね。ですが、それはあくまで原稿用紙の前で書いている時だけです。一歩原稿用紙の前から離れると、自分の書いた文章を読み返すと恐ろしくなります。最初の頃は自己嫌悪に陥ったり、鬱病になったりしたものですよ」
幻想的な効果を狙っているのか、背景は真っ暗である。スポットライトが二人を照らし、テレビカメラによって浮き上がっている。作家の吸ったタバコの煙が真上に上がり、明かりの切れ目から、急に消えたように見えるのは幻想的だった。
「作家の先生というのも大変なんですね。でも、そのおかげで素晴らしい作品に私たちは出会えることができる」
「そう言っていただけるのが、我々小説家に対する一番の褒め言葉ではないでしょうか。小説を書くということは、絶えず読者がいることを前提に書いていますからね。作品に出会えるという言葉、私にとって、誇らしい言葉だと思います」
それを聞いた司会者は饒舌である。
「まるで、作家の皆さんは、もう一つの人格を持っておられようですね」
「そうですね。そうでないと発想が浮かびません。原稿用紙に向ってマス目を埋めていく作業よりも、発想を豊かにして、いかに物語りの骨組みを立てるかが一番大切であり、難しいところですね」
「一体どういう時に思い浮かんだりするんですか?」
「電車の中や、喫茶店、表に出ればいろいろありますね。絶えずメモ帳を持ち歩いていますよ」
「夢などはどうですか?」
「夢も参考にします。でも、夢というのは得てして目が覚める時に忘れていることが多いですよね。覚えておきたいと思えば思うほど、きっと意識がハッキリすると覚えていない……」
「そんなものですか?」
頷きながら、司会者が聞き返す。
「ええ、ですが、その記憶がたまにとんでもない時に出てきたりする。もちろん、思い出すためのプロセスや、シチュエーションが偶然という形で噛み合わないと出てこないものなのでしょうが、『どこかで見たことがあるような……』という思いをしたことは、誰にでも一度や二度はあるはずです」
「それが忘れている夢のせいだと?」
「ええ、そうだと思います。無意識な中で本人が封印してしまった記憶、無理に押し開こうとすると頑な潜在意識が働き、扉を閉ざしてしまう。しかし、偶然の産物であれば、意識の外であるため、扉は容易に開かれる……」
「そんな時に閃かれるのですね?」
「ええ、そうです。そしてそんな時こそ、自分の中のもう一人の自分を発見するのです。自分の性格ではとてもできないような発想をもたらしてくれるのが、もう一人の私なのです」
その話を聞いてからだろうか? 私の中にもう一人の自分を感じるようになり、無意識に忘れようとした夢を思い出そうとしている。
――なぜあの時に、忘れたいと思うような夢を見たのだろう――
実際に、そんな夢を見たという確証はどこにもない。しかし、夢を見ていたと感じる自分がいて、思い出そうとしているのが、もう一人の自分である。
「例えば夢の中で人を殺す夢を見たとするでしょう?」
「ええ」
「その時に、本当にその人を殺したか疑問に思うことがあるんですよ」
「それはどういう意味で?」
「人を殺す夢を見る時というのは、その人を憎いから殺すとか、どんな目的があって殺すのか曖昧なことが多いんですよ。つまり、気がつけばナイフを持っている。そして目の前に誰かがいる。相手は私を見ながら震えている。完全に怯えているんですね」
「それが殺そうとしている相手ですね」
時々、司会者が相槌を打っている。
「ええ、そうです。目的がハッキリとしないんだけれど、殺されるはずの相手が目の前にいるわけです。殺そうという意志がなくとも、相手の怯える姿を見て、『私はこの人を殺そうとしているところなのだ』と、漠然と思うでしょう。シチュエーションに自分が酔っているような感じですね」
「なるほど、殺したくなくとも、殺さなければならない義務感のようなものがそこにはあるとおっしゃりたいのですか?」
「そうですね。義務感とまでは行かなくとも、特に夢を見ている時の精神状態は、流されることが多いと思いませんか? それは目が覚めてから感じることなので、一概には言えないかも知れませんが、不思議な感覚に襲われることは事実です」
「夢を見ているのが、もう一人の自分だから分かることではないのですか?」
「そう思います。自分の中にもう一人いて、その人が夢を見ているんですよ。でも、いいですか? 私が思うに、目が覚める時だけは本当の自分と入れ替わっているんじゃないでしょうか? そう考えれば、私が見る夢は半分納得がいくのです」
「半分というと?」
「やはり、もう一人いるからでしょう」
ミステリー作家が苦笑いをすると、司会者も「うんうん」と頷いている。
「説明していただけますか?」
「ええ、私はミステリーを書くことが多いので、どうしても殺人現場とは離れられない運命にあると思うのです。したがって見る夢に殺人現場が多くても仕方ない。で、先ほどのシチュエーションの続きになるのですが、相手が怯えていたり震えていたりするのは分かっても、相手の顔を確認することはできないんです。無意識に顔を見ようとしないのか、後ろが明るくてシルエットみたいな状況になっているのかは、夢が覚めてからでは分からない。そこで、私は震えた手に力をこめて相手に摺り足で近寄ります。少しずつ後ずさりする相手を追い詰めると、いよいよ震えた手を止めようと必死に神経を指に集中させようとしているみたいなんです」
司会者の額に汗が滲んでいる。話している本人もまるで夢の再現とばかりに、きっと恐ろしい形相をしているに違いない。
「なかなか面白くなってきましたね」
口ではそう言いながら、観衆も固唾を呑んでいて、ほとんどの人が同じような経験をしたことがあるのではないだろうか? かくいう私もその一人で、話を聞きながら手に汗を握っていた。
「そして、いよいよ私の持ったナイフの先が光ります。夢だから光ったように思うのでしょうが、それが合図なのです。一気に相手に切り込みます。自ら声を上げて突進していったのでしょう。目を瞑って突進していくと、何かにぶち当たり、思い切り抉っている感覚があるのです。目が覚めても指の先に残っています」
シーンと静まりかえったスタジオに、作家の声だけが響く。
「目を開けようとすると、思ったより瞼が軽いのに驚かされます。一気に開いてしまうのが怖くて、ゆっくりと軽く開けています。その時……、確認した相手の顔を見た時、私は目が覚めるのです」
「相手の顔とは?」
私には分かった気がした。司会者にも分かっているような気がする。正面切って、凄まじい形相を見せられたら、嫌でも分かるというものだ。
「それは、私の顔です」
作品名:短編集34(過去作品) 作家名:森本晃次