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短編集34(過去作品)

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 あれは確か年末だった。まもなくクリスマスという慌ただしい年の瀬、なぜそこを歩いていたか忘れてしまったが、下町の商店街だった。普段は人が多くて慌ただしいところが大嫌いな三浦氏だったが、年の瀬の街だけは好きだった。特に下町の商店街の活気の中に身を投じるのが好きだったのだ。
――忘れていた何かを思い出させてくれる――
 そんな感覚があったのは事実だ。それを感じたのは、商店街で流れていたビートルズの曲を聴いた時、それが最初だったような気がする。
「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」などの曲に混じって静かなメロディを奏でるビートルズ、思わずCDを買って帰ったのを覚えているが、静かな部屋で聴いているのと、下町の喧騒とした雰囲気の中で聴いているのとでは、かなり赴きが違ってくる。静かに目を瞑って聴いていると、睡魔が襲ってきて、知らず知らずに眠っている。ハッと気付いて目が覚めるとじっとりと背中に汗を掻いていて、どうやらその原因がその時に見た夢だということに気付くまでに少し時間が掛かった。
 普通夢というと目が覚めるにしたがって忘れていくものなのだが、その時に見た夢は目が覚めるにしたがって次第に思い出されてくるといった不思議な夢だった。しかもその夢の内容というのが気持ち悪く、横で流れているビートルズの曲の影響か、出てきたのが自殺した同僚だった。当たり前のことだが、彼はまったく歳を取っておらず、いつものようなポーカーフェイスで三浦氏を見つめている。そして手招きをしながら、
「おいでおいで」
 と声になっていなかったが、口元はまさしくそう告げていた。それを見て思わず歩み寄ろうとしている自分に気付き、ハッと感じて目が覚めてしまった三浦氏、思い出されたのはそこまでだった。
――汗を掻いていても当たり前だ――
 なぜ無意識とはいえ、手招きに応じて歩み寄ろうとしたのだろう。彼が死んだという意識が夢の中ではなかったからであろうか。確かに夢の中の彼を見た時、いつも会っているような錯覚を感じた。違和感がなかったのである。だが、自分がすでに六十歳を越えた初老であることは自覚していたはずだ。そのあたりの心理は夢の中の時間が交錯したことで噛み合わなかったのかも知れない。夢で感じた時系列が、果たして起きて思い出す時系列であるかどうか疑わしいものだ。何しろ夢というのは、潜在意識が見せるものだというではないか。
 今感じている老後というのが、成り行きで生きてきた自分を象徴しているかのように感じる。成り行きというか、気がついたらこの歳になっていた。今までもその時々で我に返り、人生を思い返してみたことがあるが、その都度感じることは同じことである。
「人生は袋小路」
 いつも同じところから考え初めて、同じところで終わっている。なぜ分かるかって? それはいつも同じところに戻ってくるからである。だからこそ袋小路なのだ。
 ただ、いつも最初と最後が同じところだといっても、まわる円がいつも同じ大きさとは限らない。時には小さな円だったり、ある時は大きな円だったりする。あまり円が大きすぎると自分の中で消化しきれずに、そのまま鬱状態に陥ってしまうこともあった。学生時代から自覚のあった躁鬱症、気がつけばいつも同じところから始まって同じところで終わっている。
 そのことに気がついたのもごく最近のことだった。鬱状態というと、陥る時にいつも前兆を感じる。まわりの色が変わって見えてくるからだ。それが周期的なことだという意識はいつも持っていて、大体二週間くらいのものであろう。その期間我慢すれば、あとは勝手に嫌なことは忘れてくれる。というよりも、考えることに疲れて感覚が麻痺してくるのかも知れない。どちらにしても、考えないでいいことを考えて袋小路に入り込んでしまうことが鬱状態への入り口だということに最近気付いた三浦氏だった。
 だが、もはや遅すぎる。もう少し若い頃であれば、
――何とか治そう――
 という気力も持てるのだが、この歳になると、感覚が麻痺してしまっていて、そこまで考えない。何と皮肉なことだろう。ひょっとして麻痺した感覚だからこそ、自分というものが見えてきたのかも知れない。
――人間というのは何と因果な動物なんだ――
 と考えてしまい。まるで悟りを開いたような気分になっていた。
 三浦氏の髪の毛は三十歳代後半から徐々に抜け始め、自覚し始めた頃から、まるで老人のようになってしまうまでがあっという間だった。
「三浦さん、離婚されてからきっと気苦労が増えたのね。髪の毛があっという間になくなっちゃったわ」
 という噂があったようだ。特に女性の噂が多かったようで、男性にとっては明日は我が身、人ごとではなかっただろう。何しろ髪の毛が抜け始めるまでは、フサフサしていて、白髪になることはあっても、なくなってしまうなど誰も予想していなかったはずだ。もちろん三浦氏自身が一番感じていて、
「それだけショックが大きかったんだ」
 と思うことで無気力への正当性を感じていたくらいである。
 無気力になっているのでほとんど髪の毛のことなど気にもしなかったが、時々鏡で見る自分の姿に情けなさを感じる三浦氏だった。それだけに、
「若い頃に、もっともててもよかったのに」
 と鏡を見ながら呟いてみる。だが、その考えも髪の毛の抜けてしまった頭を見ていると情けなさを倍増させるだけである。
――結局、下手な考えはしない方がいいんだ――
 という結論に落ち着くことになる。
 街を歩いていると女性の視線を感じる。まるで見てはいけないものを見ているような申し訳なさそうな視線が、却って痛い。恥ずかしさと情けなさで最初の頃は顔が真っ赤になっていた。
――私だって、なりたくてこんな頭になったんじゃない――
 心の中で訴えるが、誰に訴えるというわけでもなく、虚しいだけだった。
 確かに気苦労はあっただろう。離婚というのはそれなりにエネルギーを使う。袋小路を行ったり来たりするだけで、かなりのエネルギーの消費にもなる。自分というものを見失わないように必死になっていたからだ。
 離婚してすぐに、
「誰かいい人がいれば付き合いたい」
 と思っていたが、その思いは抜け行く髪の毛を見ながら脆くも崩れ去っていった。
 風呂に入って髪を洗うのが鬱陶しかった頃が懐かしい。最初の頃はさすがに育毛剤などの広告を熱心に読んで、購入して試したこともあった。だが、それもすぐに気力がなくなったことで、辞めてしまった。試していても埒があかないと勝手に判断してしまったのだろう。
 その頃にちょうど同僚の自殺があった。その顔に浮かぶ苦悶の表情を見ると、顔かたちを鏡で見るのが怖くなった時期があった。自分の顔であれ、断末魔の表情を思い出してしまうからだ。
 怖いものというのを本当に感じたのはあの時が最初だった。怖いと感じたことをさらに夢で見たからである。今までに楽しいことだろうが、哀しいことでも、夢で見ることなどなかったが、あれほど鮮明に苦悶に歪んだ顔がハッキリと夢に出てくるなど、想像もしなかった。
作品名:短編集34(過去作品) 作家名:森本晃次