短編集34(過去作品)
出会いの中には身体だけが目的の女性もいた。それでも気が楽なのでいいのだが、次第に本当の愛情が分からなくなってくる。
「いったい私は誰のために生きているのだろう?」
結婚している時は妻のため、そう思うことができたから、自分のために生きることができたのだ。その妻という張り合いがなくなれば自分のために生きることすら億劫になる。まるで魂の抜け殻、それを表から見ている自分は実に冷めていたことだろう。目の前に転がっている屍を見て、何とも思わない人生、そんな時期があったのを思い出している。
大袈裟な言い方だが、毎日が夕焼けを見ているようで、黄砂が降った時のように黄色掛かった空をいつも感じていた。そんな時に恋人を作ろうなどと思うことはない。とにかく人と関わることすべてが嫌だったのだ。
営業の仕事でなかったことが幸いだったかも知れない。殻に閉じこもった精神状態で営業などできるだろうか? 一人でコツコツできる仕事だったのが、今まで酷いノイローゼにもならずに済んだ原因ではないだろうか?
しかし、ある意味逆も感じられる。精神状態が安定している時ほど悪いことを考えてしまうもので、営業をしていれば、家庭円満で充実した私生活がそのまま仕事に活かされるとは限らないだろう。
屍……。
そういえば、三浦氏が離婚してちょうど一年が経った頃だっただろうか。彼の友人が自殺した。最後に話したのも三浦氏だったし、自殺現場を発見したのも三浦氏だった。天井から何やらぶら下がっている。まさかそれが死体だなどとすぐに思うことができず、ただの肉の塊にしか見えなかった。
もちろん、人の死骸を見るのなど初めてで、それが死骸であると分かってもまさか友達だということに気付くまでに、さらに時間が掛かったようだ。すぐにその時に警察に通報できるほどの気力もなく、扉を開けてしばし立ちすくんでいる三浦氏を不審に思った隣の人が、思い切って覗き込んでくれたことで、初めて三浦氏も我に返ることができたのだ。
――なぜ自殺などしたのだろう?
遺書は簡単に、
「世の中が嫌になりました。さようなら」
と書かれているだけだったらしい。しかし、彼の部屋のゴミ箱にはクシャクシャにされた紙がいっぱい捨ててあるのが見つかった。どうやら遺書の文言をいろいろ考えていたふしがあり、なかなか纏まらなかったようだ。そして結局最後はシンプルな文章になったのだろう。
彼は死に行く時、怖くはなかったのだろうか? 寸前まで怖かったのではないかと三浦氏は考える。自殺をするにもどうやればいいかを考えたはずである。どれが一番楽で、失敗した時に一番後遺症の残らないもの、元々何事にも細心の注意を払い、先に緻密な計算を立てて行動するタイプの人間だったので、そのあたりはキチッと考えていただろう。
極度に神経質な性格の持ち主だからこそ、自殺など思いついたのだろう。また彼の場合は潔癖症でもあり、人が自分のものに触れることを嫌がっていた。仕事の時の同僚とも同じものを共有しようとは考えなかった。彼は事務用品でさえ、すべて自分用に自腹で購入していた。
会社でそんな彼を疎ましく思う人も少なくはなかった。特に彼には自分中心な考えがあり、まわりの人を蔑んでみているところが、どこかにあったのだ。時々それが見え隠れする。そんな人を信用はしても信頼するということはなかなか難しいのではないだろうか。
仕事のパートナーとして、テキパキと正確に仕事をこなしている分には、信用できる。だが、信頼ということになると、話は別で、大切な仕事を任せられないところがどこかにある。上司からというよりも、同僚や部下から慕われていなかった。きっと世代の違いもあったのだろう。上司の世代であれば仕事ができることが一番、そういう意味で彼は実にすばらしい部下だった。だが、それだけでは今の仕事は成り立たない。仕事ができるだけではなく、プラスアルファを求められる。たとえ仕事がテキパキできなくとも、独創性などがある人は好かれる。一芸に秀でているように見えるからだ。
三浦氏にはそんな才覚はなかった。だが、彼とはなぜかウマが合い、お互いに一目置いているところがあった。何かを相談したりするわけではないが、自分の考え方などを話すのが好きな者同士だったということだ。
話していると、それほど仕事中に感じるほどの疎ましさはない。特に三浦氏に対して蔑むような態度はどこにもない。むしろ仕事面でかなり助けられた。
そんな彼がいきなり自殺……。三浦氏には信じられなかった。まわりの人は、
「あれだけ神経質なら自殺くらいしても不思議はない」
と口々に噂していたようだが、三浦氏もウマが合わなければ同じことを考えたに違いない。
彼はビートルズの音楽が好きだった。部屋にはレコードがいっぱい置いてあり、大切にしていたのだ。それは他の人はきっと誰も知らなかっただろう。
「彼がビートルズのファンだったのは知らなかったな」
ビートルズを聴くようなタイプには見えなかったからだろう。上司のそんな話を通夜の時に聞いた。自殺の時に宙からぶら下がっている彼を見たその向こうに、綺麗に整理されたビートルズのレコードがあったのが痛々しかったのを覚えている。
それまでずっと張り詰めていた緊張の糸が途切れたのは、そんな事件があってからだ。プッツリと切れた糸を元に戻すことは難しく、それからの三浦氏は、会社にいても何を考えているか分からなかっただろう。本人自体が分からないのだ、まわりから分かるはずもない。一時期魂の抜けたようになり、何かをするという感覚が麻痺していた。すべてを成り行きに任せていた時期だったのだろう。
それが五十歳前くらいの頃だっただろうか。考えてみればよく首にならなかったものである。あれだけ仕事にもやる気をなくしていた時期、会社では一番目立たないタイプになってしまっていた。いわゆる「窓際族」にいたことは間違いないのだが、なぜかまわりがやめていく中、三浦氏には何もなかったのだ。
それまでは、それなりに自分の考えを取り入れながら仕事をこなしていた。上司に提案をすることもあり、コミュニケーションも取っていた。
六十歳を過ぎた今となっては、その頃のこともはるか昔に思い出される。むしろ学生時代の方が最近だったように思えるくらいで、あの頃はそれこそ友達と将来についてよく話をしていたものだ。あの頃からすれば、
「まさかこんな老後が待っていようとは」
と感じていることだろう。老後というにはあまりにも早すぎる。七十を過ぎてもいまだに現役だという人もいっぱいいるではないか。実際に学生時代の知り合いには作家や芸術家などの文化人もいて、
「年老いてさらに磨きがかかった」
といわれているようである。
三浦氏は、最近ビートルズが気になり始めた。学生時代によく聴いていたが、卒業してからはそれほど聴くこともなかった。自殺した同僚の部屋で何度か聴いたことがある程度だったが、六十を過ぎて街を歩いていると聞こえてきたビートルズの曲に足を止めて聞き入ってしまったことがあった。
作品名:短編集34(過去作品) 作家名:森本晃次