幻影少年
美麗に対しても、在学中、何も感じていなかったとはいえ、大人になっている美麗を見た時、男の部分が顔を出したことに、樋口は悦びを感じていた。
利恵と美麗の違いはハッキリしている。一番大きなのは、年齢差だった。少女としか思えない利恵に比べ、大人の女の魅力を醸し出している美麗との違いである。どちらがいいかは、二人を並べてみないと分からないだろう。それぞれを見ている時は、いいところしか見えてこないからだ。お互いに並べて見比べてみるなどできるはずもなく、結局、その時の快楽に溺れてしまうことになるのではないかと、不安に思う樋口だった。
その日、樋口は、美麗と最後の一線を超えることができなかった。
美麗は最初、物足りなさそうにしていたが、逆に樋口が取った「大人の態度」に感心していたのだ。
別に今日、一線を超えなくても美麗にとっては問題ではなかった。どうしても一つになりたいなどと思っていたわけではなく、まずは告白の気持ちが伝われば、それでよかったのだ。
美麗には、樋口が先生としてではなく、一人の男性として感じることができれば、今日はそれだけで十分だった。当初の目的は、すぐに達せられたのだった。
「先生、今、何を考えています?」
美麗は、軽い気持ちで言ったのだが、樋口にとっては、ドキッとさせられる言葉だった。何を考えているかと言われても、それが、利恵のことだなどと、口が裂けても言えないだろう。
利恵のことを考えていると言っても、考えているのは頭だけ、感じているのは美麗に対してだった。その思いが、後ろめたさを半分に減らしていた。
そうは言っても、違う女性を思い浮かべてしまったことへの後ろめたさは、すごいものだ。自己嫌悪に近いものがあることを、今の美麗の言葉が思い知らせたのだった。
「何って、美麗のことだけだよ」
下の名前で、しかも呼び捨て。学校の中であれば、親近感からの呼び捨てだと思うが、二人きりで呼ばれると、さすがに美麗もドキッとした。
呼び捨てが、言い訳の代わりだなどと、美麗には思いもつかなかっただろうが、逆に感激されてしまったことで、樋口の自己嫌悪は最高潮に達する。
「そんな、恥かしいじゃないですか」
恥かしそうな仕草に、樋口もドキッとする。
――本当に大人になったな――
と感じたが、大人という言葉の本当の意味を、美麗が分かっているのだろうかと、樋口は考えていた。
「本当に可愛いな」
そう言って強く抱きしめたが、震えていることに気付いた樋口は、しばらくの間、今度は自分の震えが止まらないことを感じていたのだった。
美麗を可愛いと思いながら抱きしめていると、今度は、利恵のことを思い出さなくなった。
――このまま、一線を越えてしまおうか――
と、思っていたはずなのに、美麗を可愛いと思った瞬間から、考えが変わってしまった。一線を越えてしまうと、何かを失ってしまうようで、樋口は怖いと感じたのだ。美麗に対しての何かを失ってしまうというわけではないが、自分の中にある何かを失ってしまうような気がしていたのだ。
利恵に対しての思いが、一線を超えさせなかったのかも知れないが、それだけではないだろう。いとおしいと思うものを壊したくないという気持ちがあるのも事実で、樋口の中で、その思いが強くなったのかも知れない。
次の日、樋口は学校に行くのが辛かった。どうせなら休んでしまおうかと思ったくらいだが、どうしてもカリキュラムの影響で、学校に行かなければいけない。自分が行かないと、他の先生に迷惑を掛けることになるからだ。
樋口が他の人に気を遣うのは、優しさや義務感などからではない。気を遣わないと、何を言われるかが嫌なので、気を遣っているだけだった。煩わしいと思いながらも気を遣わなければいけない自分を情けないと思いながら、とりあえず、目の前にあることだけを片づける毎日だった。
昔で言う、熱血教師とは程遠い。逆に熱血が暑苦しく、わざとらしさしか感じなかった。
「こんな俺を、誰も教師にふさわしいなんて思わないだろう」
といつも思っている。
教師にふさわしい人は、自分以外にもたくさんいるのだろうが、世の中は不公平にできているもので、理想に燃えている先生ほど、教員試験に合格しないものだ。
「それだけ理想に燃えているのなら、勉強も一生懸命にして、教職の試験くらい、簡単にパスできるだろうに」
と思っているが、実際にそれができないということは、よほど勉強の要領が悪いのか、それとも、勉強が嫌いなのかであろう。
そんな人に勉強を教わるというのもおかしな話で、合格できないのは、それなりに理由があるのだろう。それでも、自分が教職に属しているのが、いまだに不思議に感じている樋口は、
「学校なんて、いい加減なものだ」
と、他の先生、ましてや父兄には絶対に言えないような言葉を、一人呟いていた。声に出して人に言えないこともストレスになっていて、ただ、そこまでは本人の意識としてはなかったのだ。
高校の時、何になりたいかなど、思いもしなかった頃のことだが、少なくとも、教師にだけはなりたくないと思っていた。一番の理由は、自分が教師を嫌いだということが先に立って、教師に向いていないと本当なら最初に思うであろうとは、思わなかった。
「普通にサラリーマンかな?」
と、サラリーマンの何たるかを知らないだけならいいが、知ろうともしなかった人間のなった職業が、教師なのだ。説得力など、あったものではないだろう。
大学での成績がよかったわけでもなく、何事にも控えめというのが、樋口の性格だった。目立つことを好まず、集合写真も、いつだって端の方だった。
成績はよくなかったが、学問というものは好きだった。勉強が嫌いだったくせに学問が好きだというのもおかしなものだが、受験のための勉強だったり、押し付けられた勉強は嫌いだったのだ。
ただ、おかしなもので、勉強という言葉は好きだった。一生懸命にやれば、報われるという感覚は好きだったが、一生懸命にやっても成績がパッとしなかったということは、やり方が悪いだけだと理解はできるのだが、意固地な性格である樋口は、自分のやり方を変える気にはなれなかった。勉強という言葉が好きだったくせに、勉強自体が嫌いなのは、そんな矛盾した感覚が、心の中にあったからだろう。
それでも、教員試験に合格した樋口は、無事に教師になった。勉強を教えることに対して、心の中に矛盾があったが、仕事だと思っていれば、さほど苦にはならなかった。その時に、教師にふさわしい人間こそ、教員になれないことへの矛盾を感じ、人生は皮肉に囲まれて形成されているのではないかと思うのだった。
皮肉が好きな友達が、大学時代にはいたが、
「皮肉って、意外と素直な気持ちにならないと、口にできないものだと思うんだ」
と、言っていたが、この間までは、それを言い訳だと思っていた。
しかし、皮肉というのは、確かに考えた中で生まれてくるもので、その考えも、気持ちが素直でないと浮かんでこない。考え方が繋がることが、皮肉に繋がる。まるで考え方の、「わらしべ長者」のようではないか。