幻影少年
そんな思いを何度したことだろう。だが、相手の人生を見ることができることに気付くと、見てしまわないわけにはいかないのだ。
「もし、自殺などを考えていたら、どうしよう?」
と思うからで、そう簡単に自殺など考える人ばかりではないと思いながらも、感じてしまうのは、相手の気持ちを見ることができると分かって、最後まで見てあげないことは、相手に対して失礼だと思うからであった。
もちろん、全員が全員見えてくるわけではない。中にはあまりにも頑なで、見ることができない人もいる。だが、そんな人は見ていてすぐに分かるのだ。そう、最近であれば、綾香先生などがその最たる例で、
「あの人は、人を受け入れない何かがあるんだ」
と思ったのだ。
だが、実際には違っていた。綾香には、少年たちや美麗のように、慕ってくる人が多い。それだけ、まわりに自分を解放しているから、皆が慕ってくるのだ。ということは、樋口の能力は、自分を隠そうとしている人の人生は見えるが、オープンにしている人を見ることができない。その人たちは樋口の死角に入っているからなのか、それとも、灯台下暗し、つまり目の前に見えているものが一番目につきにくいという心理の錯覚によるものなのかのどちらかであろう。
樋口は、一度自殺を試みたことがあった。もちろん、未遂に終わったのだが、その時に死に切れなかったことがさらなるトラウマを生んだことも事実だ。しかし死に切れなかったことが樋口の意識しないところで間接的に、人が死ぬことになったのを、樋口は知っていた。
樋口が自殺を試みた時、助けようとして、電車に飛び込む結果になった人がいたことだった。
亡くなった人の知り合いは、
「あの人が自殺するなんて」
「人を助けることはあっても、自分から死のうなんて絶対にしない人なのに、どうしてなのかしら?」
という話が聞かれた。
だが、彼らのほとんどが、数日経つと、すぐに彼のことを忘れてしまっている。その時に、気持ちが締め付けられるような気がした。まるで、自分が死んでしまって、まわりの人がどう思うかを見たような気がしたからだ。
「僕が死ねばよかったんだ」
しかし、人間、そう何度も死ぬ勇気など持てるものではない。それよりも、死という事実を受け止めて、一生生きていくという道を選んだのだ。
美麗は、そんな意識を持った樋口に惹かれた。死を意識しているとは分かっていたが、違う意味での死であることには、気付かないでいた。だが、樋口と一緒にいることで、次第に樋口の気持ちが分かってきた。樋口の中にある、自分では意識していない罪の意識も理解できた。
そのおかげで、好きだという気持ちとは違うものが自分にあるのに気付いたのだが、それを少年に話すことはしなかった。あくまでも、自分と樋口の間の問題だと思ったからであろう。
綾香は、美麗と話をしていて、なかなかそこまで理解はできなかった。綾香は、理解などできなくてもいいように思えた。美麗の目が、
「分かってもらう必要はないのよ」
と、訴えていたのだ。
それは、
「あなたには分からないでしょう?」
という挑戦的なものではない。分からないことを、無理して分かる必要はないという気持ちだった。
言葉にしてしまえば、至極当然のことであるが、捉えようによっては、いろいろな側面から見ることができる。言葉の抑揚のような強弱を、いかに感じるかが肝心なことであるからだ。ここでは、かなり軽い方の意識が、美麗の中に働いていた。綾香になら、汲み取ってもらえると、思ったからだろう。
美麗の性格であれば、自分を分かってくれる人でなければ、説明するだけ無駄だと思っている。そういう意味では少なくとも綾香に対して信頼感を抱いていたことは間違いないだろう。
樋口が少年の言ったように、学生時代、一人の女の子を蹂躙して、その女の子が死んだというのは、本当なのだろうか?
実は、樋口は一度だけ、前後不覚に陥る発作を起こしたことがある。人の人生を見すぎてしまい、その意識が記憶のキャパを超えてしまい、無意識の行動に出たのだ。
樋口には、今でも意識がない。自殺を試みたのは、それが原因だったのだが、その後に自分を助けようとして死んでしまった人間の意識が強すぎたからだ。ただ、意識の中では、立て続けに自分の存在が人を死に追いやったという気持ちだけはあった。幸か不幸か、そのことを知っている人は自分以外はいなかったが、そのことが、樋口をさらに死の意識に導いたのである。
死ぬ勇気もないくせに、死だけを意識しているうちに、普段、何も考えないようになっていった。考えるとしても、それは意識の中から出てくることはない。行動するには意識が身体に伝達を与えないと生まれてこないものが必要だ。感覚がマヒしてくるのは、逃げの気持ちも、怖い気持ちも超越したものがあるからなのかも知れない。
気力がなくなるところまで憔悴するというのは、なかなかないことだ。ものぐさな意識が働いているからだという自己嫌悪を抱く中で、樋口は人と関わらないことを意識しなくても、何も感じなくなっていた。
そのくせ人恋しいと思うことがある。何と勝手なものなのだろう。孤独を好きだと思っていながら、人恋しさは、女性に対してだけだった。男性に対しては、何も感じなかったのだ。
女性に対しても、何も感じない時がある。それは鬱状態に入る直前のことだった。
鬱状態に入り込むと、男性であっても女性であっても、受け付けなくなる。人が近寄ってくるだけで、嘔吐を催し、露骨に嫌な顔をしているかも知れない。そんな時に限って今まで知らなかった女性が近寄ってくる。何とも皮肉なものだった。
前後不覚に陥ったのも、そんな時だった。
鬱状態に入ることが予感できた時、目の前の世界が、黄色掛かって見え、精神的な焦りからか、身体から汗が滲み出ているのが分かるのだ。
過呼吸になり、胸を掻き毟りたくなるような衝動に駆られるのに、
「倒れてはいけない」
という意志が強く働いていて、強すぎる意志が、普段の人恋しさの中で妄想していた、
――自分を慕う女の子――
のイメージを勝手に作り上げ、目の前にいる女の子を蹂躙しても許されるという身勝手な錯覚に陥らせてしまった。
ちょうどその時目の前にいた女の子が、樋口の中で、
――永遠の理想の女性――
として、記憶の中に残ってしまったのだ。
その時に彼女の後ろに広がっていた光景が、深緑に満ちた、視界いっぱいに広がる中で、大きすぎる池のほとりにいることを意識していた。
時々、そのことを思い出させる。しかも、壁に掛かっている絵を見かけると、まったく違った絵が掛かっていても、意識している光景に見えてくるから不思議だった。
「どこかで見たことのある光景だ」
と感じるのは、そういうことだったのだ。
樋口のそんな意識を、美麗は共有しているようだった。
樋口の苦しみを分かっているつもりになっていた美麗だが、どこまで分かっているのか、実際には分からない。半分は分かっているつもりだったが、先が見えてこないのだ。完全にベールに包まれた部分が、まだ樋口には存在しているようだった。