幻影少年
「復讐だったら、しょうがない。正義の制裁は、許せないという感情があるからでしょう? 確かに正義の制裁は行う方の勝手な理論でしかないからね。でも、僕たちが行動しないと、誰もしないじゃないか。もっとも、他の人にはできっこないけどね。天命と言えば大げさだけど、それだって、ありなんじゃないかな?」
「なかなか難しい話ね」
「世の中には、表に見えていない部分がたくさんあって、誰もが人に言えない辛さを抱えて生きているのさ。少しでも分かっていることがあれば、何とかしてあげたいと思うのは、僕たちのわがままなのかな?」
「じゃあ、あなたたちが知らないところで起こっていることに対しては、誰が救済するというの?」
「きっと僕たちのような人間は、他にももっといると思うのさ。救済できる人から助けられた人も結構いると思うんだ。これだって、表に出ていないだけなんだけどね」
「それでも、何か不公平な気がするわ」
「そうだね、結局は、潰しても潰しても、どんどん新しい不幸は生まれる。イタチごっこの繰り返しに過ぎないというのは、僕も兄貴も感じていることさ。ただ、兄貴が綾香先生を愛しているのは、本当なんだぜ。それだけは信じてほしいと思うんだ」
ここまで告白して、もはやウソはないだろう。もし今の言葉がウソなら、すべてがメッキで包まれた話であり、近い将来すべてのメッキが剥がれてしまうに違いないからだ。
綾香は、今までの話を頭の中で整理してみた。すると、それまで知らなかったことがいろいろ分かってきたような気がした。
美麗や利恵の過去まで、聞いてもいないことが頭に勝手に浮かんでくるのだ。それは、きっとこの不思議な兄弟の意識が、綾香の頭の中に共鳴したかのようだ。夢を共有している感覚になったのも、きっと、二人の意志が働いているからで、話の内容よりも、共鳴する意志の強さのおかげで、綾香も二人の気持ちが次第に分かってくるのだった。
――私は、洗脳されてしまったのかしら?
利恵が、この少年のいいなりになっているのは、洗脳されたからなのかも知れない。ただ、利恵はまだ高校一年生だ。意志の力だけで従わせるのは、難しいかも知れない。
――身体の関係も否定できないわ――
と思うと、思わず、顔をしかめてしまうような想像をしてしまう。
そうなってしまうと、綾香は、また二人に疑問を持ってしまうのだ。
――一人の女の子の人生を蹂躙しているのは、あなたたち二人じゃないの?
と言いたくなってくる。
ただ、頭の中にある利恵の過去を考えると、目の前の少年が、「救世主」だと言っても過言ではない気がする。もしそうであれば、一体どうなるのだろう?
――一人の人間が不幸だという考え方は、考えている人の勝手な思い込み以外の何者でもないかも知れない――
勝手な思い込みは、その人にとって大きなお世話であって、
「余計な詮索しないで」
と、言われてしまえば、それ以上深入りできなくなってしまう。
しかし、利恵に関しては深入りしなくては、この少年の話を理解することができなくなる。深入りするためには、余計な詮索をしてはいけない。何も考えず、少年の話を聞く時間を持つ必要があるのかも知れない。
「綾香先生だったら、分かってくれると思って話をしているんだよ。兄貴は、綾香先生は分かってくれていると思っているようだしね」
「お兄さんとは、こんな話、まったくしていないわよ」
というと、少年はそれを聞くと、軽く微笑んで、
「話さなくても分かるのが、兄貴と先生の関係でしょう?」
と言われて、綾香の顔がカッと熱くなり、紅潮していることを、この少年が見逃すはずはなかった。
「どうやら、見抜かれているようね」
もう、観念するしかなかった。この少年に隠し事はまったくの不要である。
「綾香先生と、兄貴の関係は本当に羨ましいよ」
「あなただって、利恵ちゃんと、同じような関係になれるのよ」
というと、少年の口元が、
――困った――
という風に歪んだように見えた。この少年が初めて戸惑いを見せた証拠である。
――この子、冷静に話しているようだけど、利恵ちゃんに対しての気持ちを自分の中で整理できないということがネックになっているようだわ――
と感じた。
――この子も、普通の少年なのね――
と思うと、急に今まで話していたことが信憑性を帯びて感じられるようになっていた。それだけ、綾香は二人のことを理解できてきたのだと思ったのだ。
この少年は、やはりお兄さんに似ていると思った。しかし、違うところも綾香にはハッキリと分かってきた。
果たしてこの少年がお兄さんとの違いをどこまで理解できているか分からないが、理解できていないところが二人の特徴であって、今の計画も無難に進行できているのだと思えた。
「私、やっとあなたたちのことがよく分かってきたわ」
というと、少年は複雑な表情になり、その言葉に対して、返事ができないようだった。
「実は僕、今話をしている中で、綾香先生の過去に何があったんだろうって、いろいろ想像していたんだけど、結局できなかった。利恵の時にはちゃんと想像できて、話をすれば、ほとんど合っていたので、利恵は、その時から、僕の心の中の人になったんだよ。ただ、当の利恵は自分の考えはしっかり持っていると思うんだ。そこが洗脳しているという感覚とは少し違っているかも知れないけどね」
「心まで支配できるということ?」
「そうだね、そこまで大それたことは思わなかったけど、少なくとも、僕にとっての利恵が確立されたと思ったのは間違いないんだ」
「それであなたは満足だった?」
「……」
少年は黙り込んでしまった。どうやら、主導権が移りかけているようだった。
少年にとって、こんなことは初めてであろう。自分が握ったはずの主導権を相手に奪われてしまったのだから、相当動揺しているに違いない。
ここで一気呵成に形勢逆転を狙ってもいいと思ったが、ここでの形勢逆転には、何の意味もない。ただ自分の立場だけを考えての形勢逆転は、愚の骨頂でしかないからだ。
「先生、先生は本当に兄貴が愛した女性だけのことはあるよ。僕も先生を慕いたいって思うようになったくらいさ」
「何言ってるの。あなたには、利恵ちゃんがいるでしょう?」
「利恵か。確かにそうだね。僕も利恵に対しては、もう少し見方を変えた方がいいのかも知れないな」
「違うわよ」
「違う?」
「ええ、見方を変える必要なんてないのよ。あなたの見方は間違っていない。ただ、あなたを見つめる利恵ちゃんの方を、何とかしてあげないといけないと思うのよね。あなたが、見方を変えても、決して利恵ちゃんのあなたへの視線が変わることはないからね」
「……」
少年は考え込んでしまった。
「僕は、利恵を利用したことでの罪の意識はあったんだ。でも、利恵があまりにも何も僕に対して求めてこないので、僕は、その考えに甘えていたのかも知れない」
「でしょう? だから、利恵ちゃんの方の視線に問題があるのよ。それには、まずあなたが、利恵ちゃんのことを分かってあげようとしないといけないのよ」
少年の顔に少しゆとりが見られた。
「確かにそうだね。綾香先生と話をして本当によかった」