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幻影少年

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 綾香は、確かにクールな性格だが、利恵ほど感情を押し殺し、一人でいることを自然に感じることなどできないと思っていた。それでも、性格的には似ている。似ているからこそ、貧血で苦しんでいる彼女を放ってはおけない気がしたのだ。
――だけど、利恵は本当に貧血で苦しんでいるのだろうか?
 見た目は苦しそうで、助けてほしいというのが、本人の中の本音であろう。だが、利恵が、貧血を利用して、自分という性格の中に隠れてしまっているように見えて仕方はないのだ。貧血をかつて起こしたことのある綾香は、実際にきつかったこともあって、できるだけ貧血を起こさない環境や精神状態を、どうすれば作れるのかということを、自分なりに模索したものだ。
 利恵が感じている最初の目というのが、樋口だということに、綾香も気づき始めていた。綾香は確かに、人の視線の行き先に関しては、あまり感じる方ではない。だから、
「誰かの視線を感じる」
 と、利恵から言われて、いろいろ見つめていたが、相手が誰だか分からなかった。
 綾香が人の視線に気付かないのは、無意識に、人の視線を、
「恐ろしいものだ」
 と、思っているからだ。
 学生時代に、男性の視線に悩まされたことがあって、無視することで、気にしなくなったのだが、その影響で、視線というものすべてに、恐怖感が残ってしまった。自分では分かっていないのだが、恐怖心は、自分が逃れようとしたことに対しての報復のようなものが存在しているとすれば、一番効果的なのは、相手に悟られずに、恐怖心を植え付けることではないだろうか。克服したと思っていることが、実は恐怖心と背中合わせだったということをいずれ知ることになると、その恐ろしさは、計り知れないに違いない。
 綾香は視線の主が樋口だと知ると、それまで隠れていた恐怖心が頭を擡げてきた。
――一体何に対する恐怖心なのだろう?
 予期せぬ恐怖心の出現で、綾香は恐怖が怯えに変わっていく。それまでまわりを客観的に見ることで、
「自分の冷静な目が、人を助けるんだ」
 とでも思い、綾香の静かな自信にも繋がっていた。
 だが、恐怖心だけではなく怯えにまで繋がってくると、もう人のことを考えている余裕などなくなる。
 それでも容赦なく慕ってくる人はいる。
「そういえば、あの子も私を慕ってくれているんだわ」
 そう思うと、彼の言葉を思い出した。
「綾香先生は強くなったね」
 そう言われて、嬉しくなったのは、ついこの間のことである、一体何が強くなったというのか、逆に怯えから逃れられない自分を目の当たりにして、どうしていいか分からなくなっている。
「彼にどういえばいいのかしら?」
 美麗の相談にも乗ってあげなければならない。
 ただ、美麗の相談の、その相手というのが、樋口である。樋口は。片方の女の子を見つめながら、片方の女の子に言い寄られている。そんな状況を知れば、綾香は、樋口に対して弁明の余地などない人間だと意識してしまうだろう。
 相手が樋口でなかったら、こんな怯えはなかったのかも知れない。自分が相談されている相手二人ともに関わっているなど知る由もない綾香は、樋口に対して、言い知れぬ感情を持っていた。
 男としては男らしさを感じさせる人なのだが、自分が好きになることは、まずありえない相手だと思っていた。
 少年が綾香を訊ねてきたのはそれから三日経ってのことだった。少年との連絡は、綾香からすることはなく、いつも彼が突然現れるのだ。
 突然と言っても、ビックリすることはない。綾香の中では何となく彼が現れるのは分かっている。
「他の人には鈍感なのに、彼のことだけはすぐに分かってしまう。怯えもなければ、ただ慕っているだけ」
 と感じていた。綾香にとって、彼は砂漠の中に見えている、オアシス以外の何者でもないのだろう。
 ただ、逃げ水という言葉があるように、蜃気楼であるかも知れない、いつも頭の中ではその覚悟を持って彼に接している。もちろん、他の男性にはない感覚だ。それが愛に繋がっているかどうか分からない。だが、真実は彼がいつも綾香のそばにいるということだ。
 綾香が次に美麗に会ったのは、最初に会ってから、二週間後だった。
 その時は、美麗の方から連絡があったのだ。連絡があったと言っても、少年を通してであったが、
「美麗が、先生に会いたがっているんだ」
 と言ってやってきた。その時の少年の顔がいつになく神妙だったのを覚えている。
「分かったわ」
 待ち合わせの場所は、郊外の喫茶店だった。駅からは近いので、それほど苦痛はなかったが、知らないところに行くのは抵抗もあったが、新鮮さも感じる。その日は、どちらかというと新鮮さの方が強かった。昨日までの蒸し暑さがウソのようなスッキリとした天気は、梅雨の合間に五月晴れを思い起させるかのようだった。
「ごめんなさい、先生。私、やっぱりあの人のことが忘れられないんです」
「そうなの。私には、何もしてあげられなかったわね」
「いえ、先生には相談に乗ってくださっただけでも感謝しています。きっと、彼も感謝していると思いますよ」
 美麗は、自分が好きな人のことを「あの人」と呼び、少年のことを「彼」と呼ぶ。綾香も少年のことを名前で呼ぶことはないが、美麗もあまり男の人を名前で呼ぶことはないようだ、それは利恵にも言えることで、彼女も、あまり人の名前を肩っているところを見たことがなかった。
 その頃になると、綾香は美麗のことを名前で呼ぶようになった。
「美麗さんが決めたことだから、あまり強くは言わないけど、後悔しないのであれば、それでいいわ」
 何を今さら当たり前のことを言っているのかと、思わず自分で苦笑したほどだった。
「綾香先生、彼のこと、宜しくお願いしますね」
「えっ」
 どうやら、美麗は少年と綾香のことを知っているようだ。少年のことだから、美麗には話したのかも知れない。
 不愉快な気はしない。美麗であれば、別に知られたとしても、嫌な気はしないし、逆に分かってくれている人が身近にいるのは心強い。
「綾香先生は、高校時代の私の憧れでしたからね」
 と言って、ニッコリと笑った。
「私になんて憧れても、何も出ないわよ」
 と、綾香が笑うと、今までに見せたことのない純粋な笑いを美麗は浮かべた。ホッとした気分になったが逆に美麗の表情が少しずつ暗く感じられた。落ち着いた気分になったと思ったが、また、何かを考え始めたようだ。このあたりが、利恵との違いなのだろう。
 綾香が、美麗の笑った顔を見たのは、それが最後だった。
「先生は、死ぬなんてこと考えたことありますか?」
「えっ?」
 いきなり何てこというんだろう? しかし、相手が美麗であれば、このくらいのことを聞かれてもビックリしないというのが本音かも知れない。まさか本気で死んだりなんかするはずもないし、男性と恋愛している時、死について考えたことがある女性は意外と多いものだ。
「私は、死ぬとすれば、一人では死にたくないんですよ。寂しいですからね。でも、死っていうのは、寿命でもない限り、突然訪れたりするものでしょう? 本当はもう少し生きていたいのに、死ななければいけないという感覚ですよね」
「え、ええ」
作品名:幻影少年 作家名:森本晃次