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幻影少年

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 と言って微笑むと、最初はハトが豆鉄砲を食らったかのように見開いた目が次第に落ち着いてくると、いつもの笑顔になっていた。
「島田じゃないか。どうしたんだ?」
 それでも、声は少し踊っている。そのアンバランスに少し可愛らしさを感じた美麗は、最初の主導権を握ることに成功したことが嬉しかった。
「先生に会いに来たんですよ。嬉しいでしょう?」
「わざわざ、この俺に会いに来てくれたのかい?」
「ええ、先生、どうしてるかなって思ってですね」
 何とか、会話を持たせようと平常心を保とうとしていたが、それでも、さすがに美麗も先生に対しての気持ちを抑えることができないのは分かっていた。
「だけど、よくここが分かったな」
 何と答えたらいいのだろう? 一瞬言葉に詰まったが、
「先生に会いたいと思ったからですよ。ご迷惑ですか?」
「あ、いや、迷惑だなんてことはないけど、嬉しいよ」
 先生のオドオドした態度が可愛い。そして、主導権は自分にあるのだと、再認識もできた。
 だが、それが先生の作戦ではないかなどという発想は、その時にはまったくなかった。男がオドオドした態度を取れば、女の子は、相手に対し、いとおしく思うのは美麗に限ったことではないだろう。それを知っていて先生が話したのだとすれば、結局お互いに、キツネと狸である。
「俺の部屋がこの近くだって知っていたのか?」
「はい……」
 それではストーカーではないかと言われるのも覚悟の上だったが、それでも言われれば、
「それだけ私は先生のことがずっと気になっていたんです」
 と言って、抱きつくくらいの気持ちはあった。
「そうか、でも、あまり変な行動は慎んだ方がいいぞ。相手は俺だからいいんであって、他の人だったら、問題になるかも知れないぞ」
「はい、分かってます。私も樋口先生だから、したんですよ。他の人になんか、絶対にしませんよ」
 美麗は、それがまるで樋口に対しての告白のつもりで話をした。それを樋口も分かっているようで、ニッコリと笑い、それが美麗の知っている樋口の満面の笑みだった。
「ありがとう、そう言ってくれると、嬉しいぞ。せっかく来たんだから、コーヒー飲んでいくか?」
「はい、そうさせてください」
 美麗の顔がパッと明るくなり、樋口も満足そうな顔をした。お互いにまずは気持ちが一致したことを素直に喜んでいるようだった。
「それにしても、島田がこれほど勇気があるとは思わなかったぞ」
「自分でも不思議なんですけど、勇気だとは思っていないんですよ。楽しみでドキドキして、自分のことなのに、まるで他の人のことのように思えるくらいなんですよ」
「それが、島田にとっての勇気なのかも知れないな」
「そうなんですね」
 先生の話はいちいち的を得ている、おかげで、美麗は先生の話を聞いていると、気持ちが自然に落ち着いてくる。さりげない先生の一言一言が、美麗の中で、完成された言葉として出来上がって、説得力のあるものに変わっていくのであった。
 寒さからか、自然と背筋が曲がり、前のめりで歩いている美麗に気付いた樋口は、美麗を肩から抱き寄せた。ドキッとしたが、まったく予期していなかったことではなかったので、驚きは、恥かしさに形を変えて、樋口を下から見上げる格好になったのだ。
 相変わらず、それでも樋口は前を向いて歩いている。年齢的にはまだ三十歳を少し超えたくらいであろう樋口と、高校を卒業してすぐの美麗とでは、兄妹と言ってもいいくらいであったが、恋人としてどれだけ似合っているかが分からないでいると、少し恥かしさがまたこみ上げてくるのだった。
 彼氏と呼べる人を作ったことがない美麗には、こういう関係を、果たして恋人同士と呼べるのかどうか分からないでいたが、初めて好きになった人と一緒にいることがそのまま恋人同士の関係と呼べるものだと思っていたのだ。
 ただ、恋愛経験があまりなくても、男女の仲が、それほど単純なものではないことは分かっているつもりだ。耳年増という言葉があるが、耳だけではなく、肌で感じるものが女にはあるのではないかと思うのは、美麗だけであろうか。
 樋口の部屋の前まで来ると、少したじろいでしまった。身体が硬くなり、足が前に進まなかった。
 樋口にもそれが分かったのだろう。美麗の顔を覗き込んでいた。笑顔というわけではなく、心配そうに見つめる顔である。
――この人も、さすがにうろたえているのだろうか?
 では、何をうろたえているというのだろう? 美麗の態度に、これから先どう接していいのか、まるで腫れ物にでも触るかのような感覚を感じているのだろうか。それとも、自分の中での奮い立てた感情が、急に信じられない感覚に陥ったからであろうか。樋口本人に分からないのだから、美麗に分かるはずもない。そう思うと、少しぎこちなさを感じた二人だが、その分、一歩、いや、半歩は先に進んだのではないかと思うと、嬉しくなった。
 一つの行為や感情が、終点に近づくまでに、スピードメーターに差があることだろう。最初一気に感情が高ぶって、半分以上燃え上がったのち、後はゆっくりと、パーセントを上げていく場合、逆に徐々に感情を高めていって、最後にスロットルを上げていくパターン、または、最初から最後までまったく変わらぬスピードで推移するパターンといくつかあるが、美麗と、樋口の場合は、最初ゆっくりで、最後スロットルを上げているかのようだった。ただ、それもすべて美麗の計算であって、今日初めて美麗の気持ちを分かった樋口にとっては、青天の霹靂に近かったのだ。
 樋口は美麗を部屋に入れると、お茶を出してくれた。
「コーヒーの方がいいかとも思ったけど、お茶菓子においしい羊羹があるので、こっちの方がいいと思ってね」
「ありがとうございます。おかまいなく」
 と、お茶の好きな美麗は、羊羹と聞き、おいしいイメージを思い浮かべたが、お茶菓子に羊羹があるというのもすごいものだと思っていた。
 羊羹をかじりながら、お茶をすすり、テレビを見ていると、お互いに意識していた感覚が少しずつ和らいでくるのを感じた。テレビに集中しているのは、緊張を和らげるにはいいのかも知れないが、せっかく高ぶらせた気持ちを冷めさせてしまうのは、あまりありがたいことではない。
 美麗は、先生の近くに自分から寄って行った。今までの美麗はどちらかと言えば引っ込み思案なところが多かっただけに、樋口はビックリしていた。それでも、女の子が自分から近づいてくれているのに、男の自分が臆してしまって、たじろげば、女の子に恥をかかせることになる。
 言い方は紳士的だが、実際に気持ちとしては、
「据え膳食わぬは男の恥」
 という言葉を言い訳に、要は自分を男にしてしまえばいいわけだ。樋口は、その美麗よりも長い手で、美麗を抱きしめた。男性の手の長さが、普通の人がどれほどなのか分からない中で、美麗は男の腕の逞しさにうっとりとし、身を委ねているのだった。
 美麗は、恥かしくて顔を上げることができない。
 樋口もそんな美麗の顔を覗き込みたくて、顔を下げてみたが、それに気付いた美麗がさらに顔を下げる。そんな美麗がいとおしくなって、樋口が美麗を抱きしめた。
作品名:幻影少年 作家名:森本晃次