幻影少年
「何をするというんだい? 君に仕返しされる覚えはないが?」
「そんなことを言っていられるのも今のうちかもよ? 僕に関わった大人の人は、結構僕の復讐を甘んじて受けてきたのさ」
「復讐なんて、恐ろしい言葉を軽々しく吐くもんじゃない」
しょせんは、中学生の絵空事、想像というのがとどまるところを知らないのは、自分が思春期だからなのかも知れない。
大人になってから、子供の頃のことを思い出して、
「なんて、大人げない子供だったんだろう」
と思うかも知れない。
本人が復讐と思っていることでも、復讐したいと思っている相手が、勝手に墓穴を掘ったのかも知れない。子供相手に怒りを抱かせるほどの人間なんだ。しょせんは、大した大人ではないのだろう。
――ということは、僕も、大した人間ではないということか――
分かっているつもりだったが、人の考えからまわり回って思い知らされるのは、決して愉快なことではない。
「僕は、復讐のためなら、少々のことは耐えられるし、頭だって働くのさ。先生だって、僕の成績がどうして悪いか不思議で仕方がないんだろう?」
成績が悪い原因を探しあぐねていることをこの少年は分かっていて、しかも樋口を追いつめるような言い方をしたのだ。
「教えてあげよう、どうして僕の成績が悪いかね」
「どういうことだ?」
少年は、もう笑っていない。いや、笑っていないように見えるのだ。笑顔に真剣さが滲み出てくれば。笑顔は不気味さを帯びてくる。もはや、笑顔ではないかのように思えてしまうのだ。
「人間って、能力の一部しか使っていないって言われているのは知っているでしょう? 確かにその通りなんだけど、でも、どんなことをしても、能力の一部以上を発揮することができる人間は限られていると思うんだ。それも選ばれた人間だよね。そして、それを選ぶのは、自分自身だって思うんだ。要するに、気付くか気付かないか。そのことを身を持って気付いた人間だけが、隠れた能力を使うことができるのさ」
「じゃあ、知っているだけではダメだということなのかい?」
「うん、気付いただけではダメさ。気付かなくても身体で感じれば、その人には力を使う権利が生まれる。考えてみれば、他の人は皆、もったいないことをしているよね」
「じゃあ、君は自分を「選ばれた人間だ」って思うのかい?」
「そんなことは思いやしないさ。僕が選ばれた人間なら、学校の成績がいいはずだからね。何が言いたいかというと、僕の成績がよければ、僕も選ばれた人間だということさ。二兎を追うものは、一兎も得られないか、それとも、二匹とも得ることができるかのどちらかなのさ。中途半端はありえない」
「逆に言えば、君は、他のことで、誰よりも長けていることがあるということが言いたいんだな?」
「そうだよ。だから、僕には復讐に関しては長けている。僕に逆らわない方がいいということさ」
「それは、僕に対しての脅しかい?」
「そう取ってもらってもいいと思うよ。でも、先生に復讐をするという気にはならないんだ。まず復讐する気があるなら、こんなことを、先生に話したりはしないからね。話すことで、せいぜい、先生に恐怖に似た思いを味あわせたいと思っているだけなんだ。
樋口は、復讐という言葉を思い起してみた。
復讐とは、復讐を企てる人間に対して、何かをしたことで、その報復のことである。ただ、中には逆恨みというのもあり、あくまでも、復讐を企てる人間の一方的な思いの元に出来上がる。
だが、樋口には復讐される思いもない。それだけに、相手が何に対して復讐を感じているのか、見当もつかないことが恐ろしいのだ。
少年は、
「先生には復讐を考えていない」
と言っているが、この話をする時点で、復讐ではないか。ただ、その度合いは少年に言わせれば、大したものではないのだ。
「先生、僕が復讐する人には、共通点があるんだ」
「それはどういうことなんだい?」
「僕が復讐を思う相手というのは、偶然なのかも知れないけど、なぜか先生と呼ばれる人ばかりなんだよ。これは覚えておくといいよ」
このセリフ、
「覚えておくといいよ」
という件は、頭の中にクッキリと残っていた。
――僕の勝手な思い込みだと思っていたけど、この思いには、何かの力が働いているのかも知れないな――
と思うのだった。
やっぱり、以前にも感じたことを思い出しているんだ。ただ、それが、この少年だったのかどうか分からない。他の人との記憶が錯綜しているのかも知れない。
「樋口先生」
相手は、ハッキリと、自分を樋口先生と呼んだ。ということは他の人に対してのセリフではなく、間違いなく自分への言葉だった。
「樋口先生の場合は、結構人を好きになることが多いだろうから、複数の人を好きになった時、気を付けた方がいいよ。ひょっとしたら、その時に僕が現れるかも知れないからね。特に先生が好きになった女性には、強迫観念に囚われることの多い人が多いようだから……」
何もかも知り尽くしていると言いたげであった。その表情が恨めしい。
「僕は、小学生の時に復讐した先生は、学校を辞める羽目になったからね」
「……」
一瞬、嫌な予感がした。
「簡単なことさ。僕がいなくなるだけのことだからね」
――ああ、やはりそうか。この少年が復讐した相手というのは、加藤だったんだ――
少々のことには動じない加藤を手玉に取った少年は、この少年以外ではありえない。もし他にこの少年と同じような子供が他にもいるのなら、それはそれで恐ろしい。
「やっぱり、先生だ。考えていることがすぐに顔に出る。先生は、僕の話を聞いて、誰のことだか分かったようだね。そう、加藤先生のことさ。あの男は僕のことをバカにしたのさ。それも普通にバカにしたわけじゃない。後ろめたさがあるくせに、相手を子供だと思って、甘く見たのさ。あの男の大雑把なところは見かけ倒しで、しょせんは、小心者なのさ」
樋口も、加藤の性格は分かっているつもりでいた。彼の性格は見た目の大物ぶりはまったくの見かけ倒し、本当は小心者だと分かっていた。だからこそ、自分に相談するように呑みに誘うのだと思っていたが、共通点のある相手が偶然であったのだと思ったが、ここまで来ると、本当に偶然で済まされるのかどうか、悩むところだった。
「君は、自分の隠された力を十分に生かしているということかい?」
「そうとも言えるけど、それだけじゃないのさ。この力にはもう少し違う力が隠されている。そのことは、樋口先生も、そのうちに知ることになるだろうね」
何をもったいぶっているのだろう?
もったいぶっているというよりも、ここで話すことではなく、しかも、樋口自身が自分で気付かないと意味のないことなのかも知れない。
樋口は少年との話に集中してしまっていて、加藤のことを頭の端に置いてしまっていた。話の内容が加藤の話に移っているにも関わらず、加藤のことが、形になって目の前に現れてくれなかった。
――まるで、加藤は蚊帳の外――
自分の思考がどうなってしまったのかと思ったが、樋口にとって、加藤のことはどうでもいいのかも知れない。
加藤が見かけ倒しの人間でなければ、もう少し違っただろう。
そういえば、少年は、