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幻影少年

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 美麗の気持ちに素直に答えるのか、自分の中で強烈な印象として大きな存在である利恵を見つめていくべきなのかである。
 もちろん、美麗と最後の一線を超えなかったのは、倍増していく快感を味わっていたかったからだというのもあるが、利恵の存在が頭を擡げたのも事実だ。そもそも目の前で一人の女性を抱いている時、他の女性のことが頭に浮かんでくるというのもおかしなものだと思った。
 だが、そう思うのは自分だけなのかも知れない。誰もが好きな女性は一人だとは限らない。そのうちの一人と愛してあっていたからと言って、他の人を頭に思い浮かべないことはないだろう。特に抱き合っている時ほど、頭に浮かんでくるのは、本能というものではないだろうか。
 そう思うと、安心してくる気もしたが、逆に言い訳がましい自分に、嫌悪感を抱いていた。
 嫌悪感は、どうしようもない疑念を抱くこともある。あることないこと頭に思い浮かべ、それがさらに頭を混乱させることで、記憶の奥に封印していることが噴出し。意識していることと、交わり合って、おかしな発想をさせてしまうこともあるだろう。それが起きている時に感じると、幻影になり、寝ている時に感じると、夢となって表れるのかも知れない。
 幻影とは、決してこの世のものとは思えないことだけを描き出すものではない。実際の現実社会でも、幻影というものは存在する。たとえば、一緒にいる人が何を考えているかを勝手に想像して考えること、これも自分だけが描き出した幻影と言えないだろうか。それは夢にも言えることで、誰とも共有しない独自のものだと思っていた。
 この発想は、樋口だけのもので、他の人はきっと違う考えを持っているだろう。誰もが微妙に違っているものを持っていて、共通点がそのまま気が合う部分として表に出てくるのだろう。少しでも気が合うところがなければ、友達付き合いなどできるはずがないからである。
 樋口は、美麗に対して、思い出したことが多いことで、気持ちが美麗に傾きかかっている。美麗への気持ちに素直になることが、今の自分にとっての一番だと思っているからだ。
 美麗と二人きりになったあの日から、そろそろ一か月が経とうとしているが、美麗がやってくることはなかった。
――本当に幻影のようだ――
 まるで他人事のように感じた。
 幻影を抱いているのは、樋口だけではなく、美麗にも言えることなのかも知れない。むしろ、幻影に惑わされているのは、美麗の方だと考える方が自然だ。
 短大とはいえ、これからの学生生活は目の前に広がっているのに、わざわざ過去の先生を尋ねてきて、愛の告白をしたというのは、考えようによっては、自分の中でけじめをつけたかっただけなのかも知れない。
 これから前を向いていく中で、後ろ向きである樋口に対しての気持ちをどうにかしなければいけないという気持ちがあったのも事実だろう。
 一つの「儀式」だったのかも知れないと思うと、樋口もスッキリすると思ったが、気持ちが中途半端なために、諦めきれないところがあった。
 本当に正面から向き合っていれば、もう少し気持ちも違ったかも知れないのに、今は、利恵と比較してしまった自分が、恨めしい。
――なぜ、もっと素直に受け入れようとしなかったのか――
 受け入れてしまえば、今度は本当に諦めきれないのだろうが、どちらかというと、
「熱しやすく、冷めやすい」
 そんな性格である樋口にとって、美麗を愛する気持ちに終止符を打つにはタイミングが必要だ。そのタイミングは、すべてを受け入れた上でなければ、成立しない。そう思うと、中途半端だと思った気持ちも否めないのだった。
 日が経つにしたがって、募る思いは強くなる。
 思わず、大学の近くまで行ってみようかと思ったくらいだが、短大というのは、大学と違い、目立ってしまう。高校の先生ということもあり、さすがにそこまではリスクが大きすぎるに違いない。
 ハッキリとした気持ちを持てないまま、待ち続けるのは、さすがに辛かった。学校では新入生が相手なので、精神的にも疲れる。皆純情で真面目に見えるが、日に日に、性格が分かってくる。中には、本当に皮をかぶっているのが分かり、剥げかかっているのが見えるのだ。
 いつ爆発するか分からない状態の生徒ばかりに見えてきて、次第に不安になってくる。この思いは、美麗が入学してきた頃とは数倍も大きくなっているようだ。それは、きっと利恵を意識してしまったことと、加藤の存在も無視できなくなっていたからだった。
 内に外に、悩み多き時期を過ごしていた。
 学校では、なるべく顔に出さないようにしていると、学校から一歩離れてしまうと、自分が孤独だということを思い知らされる。
 黙って一人でいる自分を思い浮かべると、これほど情けない気分にさせられることもない。
「学校にいる時と、一人でいる時とではどちらが辛いか」
 と聞かれると、
「学校にいる時だろうね」
 と、答えるだろう。
 だが、果たして本当にそうだろうか?
 学校にいる時の自分は表の自分、一人でいる時は、本性を現した自分。どちらが自分らしいかといえば、一人でいる時の自分だった。
 学校にいる時の方が辛いと思ったのは、本当の自分ではないからだ。本当の自分を隠して、敢えて明るく振る舞う。そう感じただけでも、ゾッとするほど嫌なものだった。
 学校にいる時は、まわりの目も気にしなければいけない。
 まわりの目は、人の目とは別に、自分の視線も感じる。最初は痛い視線を感じたのだ。それがどこから来るものなのか分からなかった。自分の視線なのだから、すぐに分かるはずもない。
 自分を客観的に見ることで、自分を視線を感じてしまうのだと思った。もちろん、自分に視線を自分で浴びせることなどできるはずもない。それなのに、できると思ったのは、客観的に見る自分をいつも意識しているからだろう。
 学校にいる時、自分以外の視線であれば、別に気にならない。
「しょせんは、他人なんだ」
 という意識があるからで、いつ爆発するか分からない生徒がハッキリと見えているのは、自分ではなく、客観的に見ることのできる自分の方なのかも知れない。
 一人になって孤独を感じていると、そばに寄ってくる人が、気持ち悪く感じられる。孤独は寂しくて嫌なはずなのに、それよりも、人と関わることの方が、嫌な瞬間があるのだった。
 孤独と寂しさを同じ高さで見ていると、見誤ってしまう。孤独があって、寂しさがこみ上げてくる。寂しさが孤独を呼ぶのではないからだ。
 しかし、樋口は最近、寂しさが孤独を呼んでいるように思えてならない。それは、まず最初に、得体の知らない寂しさをいきなり感じることがあるからだ。
 得体の知れない寂しさは漠然とした感覚で、孤独とは違うものと思えていた。同じ寂しさでも、人と関わりたくない寂しさもある。それが欝状態の時に感じる寂しさに通じるものがあるのだ。
 寂しさは、自分の中の頑固な気持ちが作り出すものである。人と関わりたくないというのも、自分の中にある頑固な気持ち、他人には決して受け入れられるものではなく、自分も人を受け入れたくないと思う時、寂しさを感じるのだ。
 世間一般に言う寂しさとは別のものだった。
作品名:幻影少年 作家名:森本晃次