幻影少年
足元から伸びる放射状の影が、歩くたびにクルクル回っている。少し不気味であったが、そこから目を離すことはできなかった。目を離してしまうと、却って怖い気がしたからで、見えているものすべてを信じられなくなりそうに思えたのだ。
「家まで、こんなに掛かるなんて」
目の前に見えている家に、なかなかたどり着けなかった。目の前だという意識があまりにも強かったからなのかも知れない。
気になったのは、足元から伸びる影の長さだった。毎日見ているのに、微妙に長さが違うように思えたのだ。道が悪いこともあって、でこぼこしている道に影が浮かび上がって見えることもある。それが怖かったのだ。
その意識を今思い出していた。毎日微妙に変わって見えるのは、影を見た時のように、でこぼこしたところがあって、その時のでこぼこに似たものが何かが分からずに、微妙に違っているという意識だけが、心の中に残ってしまったのかも知れない。
美麗は、塾に通っている間、毎日同じ感覚に襲われていたが、その間隔があっという間だったように思う。どんなに昼間、波乱万丈であっても、昨日、同じ道を通って感じた思いが、ついさっきのことのように思い出されてしまうのだった。
美麗が小学校の卒業を間近に控えていた時、塾に通うのもあと少しだと思っていたそんな時、
「誰かにつけられている」
と、感じたことがあった。
今から思えば錯覚だったのかも知れないが、一度は、ハッキリと足元に誰かの影がクッキリと浮かび上がったのを感じた。
すぐに振り返って、確かめたのだが、そこには誰もいなかった。すぐに足元を見たが、今度は、影は存在しない。
――錯覚だったのかしら?
と思ったが、背筋に走った悪寒は収まらない。急いで家に帰って、部屋に飛び込んだのだが、その時に、急に自分の部屋が狭く感じられた。ベッドに横になると、天井までがすぐそばに感じられた。
「今にも落ちてきそうだ」
と、感じたのだ。
この思いは、その時初めてではなかった。以前にも同じ思いを感じたように思えたが、それがいつだったのか分からない。
今でも部屋の広さが微妙に違うのを感じていると、その時のことを思い出す。意識がハッキリと、している時ほど、その時のことを思い出すのだった。
――時系列が曖昧になるのも、その時のことが影響しているのかも知れない――
卒業アルバムを開く時、ドキドキした気持ちになるのは、そこに本当に自分が写っているかが気になるからだ。
以前に、テレビドラマで見たことがあったが。アルバムの中で、そこにいたはずの人が急に見えなくなると、その人の存在を誰もが忘れてしまっているということ、恐ろしい発想だが、それでも、誰か一人は覚えているのだという。
「私は、その一人には決してなりたくない」
という思いを抱いたが、それは、不気味な世界に、自ら足を踏み入れることを意味していたからだ。どうして一人なのかということを考える余裕はない。ただ、その一人になりたくないという思いを抱くのだ。それを本能だと思っていいものなのだろうか。
美麗が抱いた自己満足、それは、世間一般に言われる悪い意味での自己満足ではなかった。
「自分で満足もできないことを、人に勧められるはずもない」
セールスマンの人から、そんな話を聞いたことがある。
「要するに、自信を持ってお薦めしないと、相手も不信感を感じるでしょうし、不信感を抱いて買ったものは、せっかくいい商品であっても、相手に満足いただけることなんてないのよ」
親戚にセールスレディの人がいて、その人の話だった。
確かに自分を信じることが大切だというのはよく分かったが、それなのに、どうして自己満足がいけないイメージと結びつくのかが分からなかった。
「要するに、自信過剰と一緒になるからまずいんだ」
ということを理解するまでに、少し時間が掛かった。自信過剰が悪いことだというイメージが、美麗の中でなかったからで、これも、いいことなのか悪いことなのか、どちらとも取れるような曖昧な感覚だったからだ。
「まったく自分に自信がない人と、自信過剰な人とでは、自信過剰な人の方が使えるように思う」
自分に自信がない人に、いくら「自信を持て」と言っても持てるものではないだろう。本当に自信を持てるものがないのか、それとも自信を持つことができないだけなのかで、大きく違ってくるからだ。だが、自信過剰な人であれば、それだけ自信を持てるものがあるということだ。自信がないよりも、ある人の方が使えるだろう。
少なくとも、大人になってからの仕事の話をしてくれたのは、そのセールスレディの人だけだった。子供に対しての説得力もあっての自信なのだろう。自信過剰に繋がる自己満足でも、美麗にとっては、新鮮に感じられたのだ。
樋口は最近、美麗の子供の頃を知っていたのではないかと思うようになった。
三十歳の樋口と、十八歳の美麗。どこに接点があるのかと思ったが、美麗が小学生の頃、というと、樋口は、大学卒業前後になるだろう。
その頃の樋口は、家庭教師のアルバイトをしていた。相手は中学生だったが、顔にニキビが表れた、典型的な思春期の男の子だった。
部活をしているわけではなく、友達も多い方ではなさそうだった。勉強を教えていても、まったく反応がなく、こちらの話を理解しているかどうかという以前に、話を聞いているのかどうかすら、ハッキリとしない。
いくらお金をもらっているとはいえ、まるで苦痛を買いに来ているようなものだ。精神的にストレスになり、ストレスが異常反応を起こすこともあった。
「このままでは、まずい」
とは思ったが、家庭教師を断る勇気すらなかったのだ。
だが、あることをきっかけに、樋口は男子生徒を見直した。
それは、偶然目にしたことだったが、家庭教師のない日に、樋口は大学が終わって、時間があったので、少しだけパチンコをしてから帰っていた。最初に大当たりし、調子がいいと思っていたが、今度は、なかなか大当たりまで時間が掛かった。出玉は呑まれるばかりで、どこが引き際か、悩むところだった。
適度なところで切り上げたが、このタイミングがよかったのかどうか、分からない。それでもここで振り返ってしまえば、後悔などいくらでもできてしまう。なるべく考えないようにするのが一番だった。
時間的には、夜の九時過ぎ、大学生としてはまだまだ宵の口なのかも知れないが、パチンコをしていた時間は、あとから思うと結構長かったように思えて、夜の九時過ぎでも、結構遅い時間に感じられた。
あまり歩いたわけではないのに、足腰に疲れが出ていた。集中していた証拠なのかも知れない。疲れを感じながら歩いていると、前から小学生の女の子が一人で歩いている。
本当はまわりが怖いのだろうが、気にする勇気もないようだ。かといって、身体は完全に萎縮していて、早く歩いているつもりだったのだろうが、足がついてこないようだった。
その女の子の後ろを一人の男が追いかけている。帽子を目深にかぶり、いかにも怪しさを醸し出していた。