幻影少年
「辻褄合わせの記憶」
が生まれてくるのだった。
この似たような感覚を樋口も同じくらいの時間に感じていたということを知っているのは、誰もいない。俗に言う、
「赤い糸で結ばれている」
という感覚は、誰も知らないことで、成り立っているのかも知れない。
美麗は、改めて、部屋の中を見渡した。
昨日感じた。
「部屋が微妙に動いているという感覚」
の原因が、瞬きにあることは、感じていた。目を一瞬でも瞑ってしまうと、違う感覚が生まれてくるのだ。それは瞼の裏に一瞬、残像として残ったものが、目を開けた瞬間、違ったものとなっていた。部屋が動いたと思うよりも、残像が残ったことで生まれた錯覚だと思う方が、どれほど自然であろうか。
ただ、問題はそこではなかった。
錯覚が起きるのだとすれば、起きるタイミングに法則があるのだろうかという思いである。その日は、最初から部屋が動いたように見える錯覚を、起こすのではないかという意識があったように思う。これも、辻褄を合わせるための思いではないかと思うのだが、底まで考えてしまうと、何もかもが、すべて辻褄合わせでしか考えていないように思えてくるだろう。
今日、この時間に天井を眺めていると、動く感覚はないのだが、いつもより近く感じられた。そして部屋の中を見渡すと、いつもの部屋に比べて、狭く感じられるのだった。
最初部屋を見渡した時には、何も感じなかったのに、天井を見て、近く感じられたことで、部屋が狭く感じられた。その日の部屋を感じるためのキーワードが、天井であることに気が付いたのだ。
目の前に飛び込んでくる光景には、必ず何かのキーワードが存在しているのではないだろうか。想像した通りに光景は映し出されるので、キーワードの存在を意識することはないが、確かに存在しているのだとすると、
――どうして、それを今までに意識することがなかったのだろう?
と、思わせる。
キーワードという発想は、タブーな発想なのではないだろうか。発想する時は何かの警鐘で、キーワードを意識することで、そこからイメージするものが、辻褄合わせの発想に繋がってくるのかも知れないと思うのだった。
美麗は、今まで意識した男性のことを思い浮かべてみた。
「そういえば、皆樋口先生を意識していたような気がするわ」
高校時代に、通勤電車の中などで、他の学校の生徒の中に、意識してしまう男性が何人かいた。樋口に対して抱いた想いを彼らに抱くことがなかったのは、話をしたことがなかったからだと思っていたが、それだけではない。しょせん、樋口に似たイメージの男性ばかりだったので、どうしても、樋口と比較すれば、樋口以上であるはずがない。もっと違ったイメージの男性を好きになることは、美麗にはありえないことだったのだ。
「初恋だったんだ」
今さら気が付くなんて遅すぎる。あれだけ樋口を意識しておきながら、初恋であることに気が付かないなんて、どこか抜けているんだと、美麗は自分の鈍感さを思い知った気がした。
だが、本当に鈍感なのだろうか?
美麗は、決して鈍感ではない。人に対して気を遣わなければいけないところには、キチンと気が付いているつもりだし、決して、無関心ではない。人から勘が鋭いと言われたことはあったが、鈍感だなんて、言われたことはない。
ただ、他のことならいざ知らず。恋愛に関してであれば、感覚が違うというのは、美麗だけが感じていることではないだろう。
――恋愛に鈍感な方が、可愛げがあっていいのかも知れない――
そんなことを考えていたことがあったのは、まだ中学時代のことだった。
恋愛に関しては晩生だと思っている美麗は、異性を意識し始めたのは、中学二年生の終わり頃、友達が男の子と仲良くしている姿を見て、
「羨ましいな」
と思ったのが最初だった。
「ブチッ」
ハッキリと聞こえた記憶が残っている。心の中で、何かが切れた音だった。羨ましいと思ったその時に、
「これが恋愛感情なんだ」
と同時に感じたのも、記憶の中でハッキリしている。異性を意識し始めた原因は、
「羨ましい」
という言葉に尽きる。それが美麗の中で、自己嫌悪も同時に起こさせた。
「恋愛感情がこんなに簡単な感覚だったなんて」
と感じたからだ。
自己嫌悪という感覚も、実はこの時が初めてで、異性に対して芽生えた時に、一緒にいろいろな感覚まで芽生えてしまったのだ。
――これは私だけの感覚なのかしら?
異性への意識は、思春期の過程においては、誰もが通る道である。だが、それも十人十色ではないかと思っている。美麗の場合は偶然にも、それらがすべて一緒にきたのかも知れない。
だが、違う考えも実はあり、
「他のことは、皆もっと早い時期に経験しているのではないか。そして、ある時期を期限に、誰もがその時までに経験するのだとすれば、期限の最後の時まで、すべて経験していなかったことで起こったことで、偶然ではなく必然。限りなく偶然に近い必然なのではないだろうか」
とも考えられた。
とにかく、一度にたくさんの感覚を味わったのだ。それまでの自分とは違う自分になったのではないかと思ったとしても、それは無理のないことなのだろう。
ベッドから起き上がると、美麗は、卒業アルバムを手に取って見ていた。まだ、一か月も経っていないというのに、このアルバムを見るのは何回目だろう。そのたびに、
――久しぶりに見る――
と思ってしまうのは、なぜだろう?
何度も見返しているところは決まっている。自分と、樋口の載っている部分以外を見ることなど、基本的にはないのだ。それなのに。久しぶりに見るという感覚になるのがなぜなのか分からなかった。
だが、今日見ると、その理由が分かった気がした。
「どこかが違っているんだ」
分かったと言っても、「どこかが」という但し書き付であった。半分分かったのと変わりはないが、それでも、まったく分からないよりも、調べようがあるというものだ。
ただ、それほど気になってしまうほどのものではない。最近の美麗は、自分の部屋の雰囲気が前に見た時と違っていたりして、雰囲気の違いには、さほどビックリしなくなっていた。
思春期の今、身長も伸びている。今までと違った立ち位置から見る景色は、一日の違いでも、まったく違ったものに見えることさえあるくらいだ。
その意識があるからなのかも知れない。部屋の中だったり、電車の中、学校の教室と、毎日携わる場所が、違って見えることも結構あったからだ。
そういえば、小学生の頃、五年生から塾に通っていたことがあった。学校が終わってから、家で夕食を食べて、塾に出かける。帰ってくる時間は、午後九時を過ぎていた。
それまで夜出歩くなどということもなかったが、バス停が近いことと、家までの間にそれほど暗いところや環境の悪さはなかったことで、親も安心していたようだ。
ただ、家に帰るには、最後に曲がった角から、少しだけ、街灯だけを頼りに歩かなければいけないところがあったのだが、その場所は、少し怖さを感じていた。