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幻影少年

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 それがいつだったのか、分からない。ごく最近だったのか、学生時代だったのか、あるいは子供の頃だったのか、記憶はそこまで教えてはくれない。
 だが、明るさで絵の存在に気が付いたという意識があったから、前に見た記憶があると分かったのであれば、そんなに最近のことではないように思えてくるのだった。
 子供の頃だったとすれば、きっと絵を見上げて見たことだろう。近づいて行って、下から見上げた記憶、そのつもりで思い出そうとすると、やはり子供の頃の記憶だったように思えてならなかった。
 絵を見ていると、絵の中に自分がいるように思えていたのは、子供の頃からだった。大人になってまで、そんなバカなことをと言われるのが嫌で、誰にも話していないが、子供の頃には、友達に話をすると、
「面白いな」
 と、言って感動してくれる友達が多かった。
 今から考えると、子供の頃の友達の方が、感受性が強いやつらが多かったように思う。
「二十歳過ぎれば、ただの人」
 感動という言葉すら忘れてしまったような連中に囲まれていると思うのは、教師という職業だからだろうか。昔のような熱血教師などありえないだろうが、いかにも公務員という雰囲気を醸し出しながら、ただカリキュラムに従って仕事をするだけの人間が多すぎる気がするのだ。
 絵の中に自分がいるという発想を最初にしたのは、樋口ではなかった。他の友達が言い出したことだったのだが、話を真面目には聞いていても、共感している感じはなかった。共感していたのは樋口だけで、その思いが次第に、
「最初に発想したのは、俺なんだ」
 という感覚になっていった。
 今では、その友達のこともすっかり忘れてしまっていたのだが、時々、壁に掛かっている絵が気になる時があると、その友達のことを思い出すことがあったのだ。
 自分から見つめられているような錯覚に陥って絵を見ていると、どこかで見たことがある光景だと思ってしまう。この感覚もいつものことで、そのうちに、感覚が当たり前になってくると、絵に対しての興味が薄れ、もう二度と店を出るまで、絵を気にすることはなくなってしまう。
 しかも、今度その店に行くと、絵が変わっているのだ。
「俺は幻を見たのだろうか?」
 と思ってしまうのだが、次の瞬間には、すでにどうでもいいことに変わってしまっていた。きっと、幻という言葉に違和感があり、頭の中から消してしまいたい衝動に駆られてしまうからであろう。
 一度ならず、二度までも、何度同じことを思っただろう。そのたびに、デジャブというものが、絵に対して特別な思いを抱かせることで、何かを思い出させようとしているのではないかと思うのだった。
 おかしな話だが、それが本当に自分が知っていることではないような気がする。それなのに、記憶として残っている。それは、きっと自分が誰かの生まれ変わりであり、生まれ変わる前の人の記憶が、何かの拍子に現れる。それが、絵画という媒体なのではないかと思うのだ。
 媒体はキーであり、生まれ変わりの前の人との記憶をこじ開けるアイテムなのかも知れないと思うと、あまり、非科学的なことは信じない樋口だったが、それだけは、信じてみたいと思うのだった。
 絵に対して、前から気になっていたのだが、絵が変わっていたというのは、まったく違う絵になっているというわけではない。たぶん、他の人が見れば、同じ絵に見えるだろう。それは、絵の中にいたと思っていた自分がいなくなったことで感じた感覚だということを、後になって知ったから、その時には分からなかったということである。
 その日も喫茶店で絵を見ていると、自分に見つめられているように思えていた。だが、この絵を見て、自分が見つめているのを感じるのは、今日だけのことに違いない。
 普段なら、そこまで感じないが、今日のように、気持ちが高ぶっていると、絵の中に見えているであろう自分から、どんな目で見られているのかが、気になってしまった。普段は、自分を見つめる絵の中の自分というシチュエーションに少なからずの違和感を感じていたが、今日は見られていると言うことには違和感がない。むしろ、どんな目で見つめられているかという方が気になるのだった。
 最後の一線は超えていないとはいえ、元教え子を抱きしめ、身体全体で女性を感じてきた。しかも、それが本当に好きな相手ではなく、さらに別れてから、今度は、本当に好きな相手のイメージだけを頭の中に持っているという不思議な感覚の余韻に浸っている表情は、普通ではないだろう。
 上気しているかも知れない。まるで恥じらいを感じながら、快感に酔いしれようとしている女性のようだ。
――どうして、女性の気持ちが分かるというのだ?
 抱きしめた時に、美麗の中にある感情を、感じ取れた気がした。共有したと言った方がいいかも知れないが、その時に、
「俺も、女性が感じている顔になれるかも知れない」
 と思った。
 男の自分が女の、しかも恥かしい顔ができるというのは、ありがたいことではない。ただ、見てみたい気がしたのも事実だ。普通なら見ることなどできるはずもないのだろうが、絵の中の自分だというのであれば、それも不可能ではない。
 美麗を抱いている時に、感じた自分の表情。それを確かめたいと思ったことが、無意識でありながらも、今日、この店に樋口を誘ったのではないだろうか。
 無意識な感覚も、現実になってしまえば、最初から、意識的だったと言っても、違和感はない。以前なら、無意識な感覚が現実になるのは嫌だった。あくまでも自分の意識は、最初から自分が考えたことでなければ、成立しないと思っていて、まるで他力本願的な感情は、自分のものではないと、受け入れようとするならば、そんな自分を許すことはできなかった。
 その日、樋口は、昼からの授業だった。授業までにはまだ時間があるが、美麗のことが少し気になっていた。
 短大は、朝からの講義だと思ったが、ちゃんと、授業を受けているだろうか?
 美麗の愛情に、中途半端に答えてしまったことで、彼女の中に、しこりのようなものを残したのではないかと、少し不安になってしまった。
 それなのに、頭に描くのは利恵のこと。美麗に対する想いは、後ろめたさと、罪悪感が入り混じった恋愛感情という複雑なものになっていた。それを感じないようにするために、なるべく美麗のことを考えないようにしているのだろう。
 本を読みながらの朝食は、時間を忘れさせた。普段と違い、絵の存在を意識していても、感覚は本を読んでいる時間が優先している。
 本を読んでいると自分の世界に入ってしまうのだが、入った世界で、気になっている絵が想像の中に入り込み、妄想を描くようになってくる。
 その日の樋口も妄想を抱いていた。
 恋愛モノの小説にふさわしい絵だとは言い難かったが、妄想を抱くには、ちょうどよかったかも知れない。今まで本を読んで入り込む世界は似たようなものが多かった。あまりドロドロとしていない、ベタな恋愛感情を抱きたい方だったが、妄想となると、ドロドロしていたり、淫靡な感覚が芽生えてくる。
――同じ本を読むにしても、別の世界が広がるんだ――
作品名:幻影少年 作家名:森本晃次