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短編集33(過去作品)

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 気さくな表情へと変わった。表情の変化には何の違和感もなく、見つめる目が潤んでいるのを感じたのは、酔っているからだけではないように思えた。
 小学生の頃に母親と行った縁日、田舎で育った仁科は縁日が大好きだった。
 一度見世物小屋のようなものがあったことがあったのだが、それは後から聞くと、当時の町長が好きだったらしく、縁日の興業として呼んだものらしい。
「神社の境内でそんなものをするのは不謹慎だ」
 と抗議の声もあったようだが、おおらかな性格の人が多い田舎のこと、結局、面白ければいいということで、興業が打たれた。
 テントが張られ、メイクで顔を隠した人たち、お面のようなものをかぶった人たちが多く、マジックも兼ねているようだ。田舎の子供たちには実に珍しいもので、すぐにテント小屋は一杯になった。
 その時に仁科は中に入りそびれたのだ。父親が最後まで渋っていたのもあって、切符が売り切れてしまったのだ。仁科の父親は判断力に欠けるところがあった。厳格でキチっとした判断を最終的には下すのだが、最終判断を下すまでに時間が若干掛かってしまう。普通なら非難を浴びるのだろうが、下した判断に間違いがあった試しがないので、誰も文句を言うものはいないのだ。
 だが、その時の仁科にそんな父親を知る由もない。
「お父さんがノロノロしているから、切符が売り切れたじゃないか」
「うるさい、子供は大人のいうことを黙って聞いていればいいんだ」
 というセリフが返ってくる。子供にとってそのセリフは言い訳以外の何ものにも聞こえない。誰が聞いてもそうだろう。目を瞑ると浮かんでくる光景、それは父親のその時の顔だった。
 子供に分かるはずはないが、大人になってみるとその時の父の気持ちが分からなくもない。表情に翳りを感じ、まるで父親ではないように思える。
 それは夢で見た父だった。もう父のそんな顔を見ることはできない。三年前からよく父親の夢を見るようになったが、ほとんどがその時の夢だ。何か不思議な気持ちを感じて確かめてみたいという思いを持ったまま、結局聞くことができなかったからだろう。
 だが、その時の父の顔が恐怖に歪んでいたことは、かなり後になって気付いた。何しろそれまで父の顔が恐怖に歪むなど考えてもみなかったからである。
 その父が死んでから、もう十年以上経ってしまった。
 あっけない最後だった。自動車事故の煽りを食らったようで、気の毒だと後から聞かされた。しかし、どうやらよそ見をしていたようで、同情も半減してしまう。後ろから見ていた人が言うには、何かに怯えていたように見えたらしい。
 その時の訃報を聞いた母の固まってしまった表情、今でも忘れることができない。まるで無表情、白粉を塗られた能面のような表情だった。そんな母も三年前に他界した……。
 しかし、その時見世物小屋に入ることができなかったが、裏に回った時のことだった。ちょうど神社の境内の裏にあたるようで、真っ暗な中、おぼろげながら漏れてくる明かりがかすかに影を作っていた。影は細長く伸びていて、ちょうどふてくされて境内の裏にある少し大きな石に座っていた仁科の足元から伸びているのを、漠然と眺めていた。
 すると、その横にももう一つ、影が伸びていることに気がついた。最初は目があまりにもまわりの明るさに慣れていたため気付かなかったが、確かに仁科の足元に向かって伸びている。最初に比べて少しずつ大きくなっていくのを感じたので近づいているようだ。
――誰なんだろう?
 ほとんどの人は見世物小屋に入ったはずで、入れなかった人もすぐに他の出店へと散っていったはずだ。仁科のように入れなくてふてくされている子供ではないだろうか? 仁科はそう思いながら頭の方の影から次第に足元、つまりと影になっている部分を近くから遠くへと視線を移していった。
 すると影がほとんど動いていないことに気付いた。その時に、最初からその正体が分かっていたかも知れない。三角形の頭をしているが、それが歪に見えなかったのが何よりの証拠だ。三角形の頭の後ろに丸い小さなものがぶら下がっている。影というのは少々太った人でも小さく見せるものだが、その時に見た男の影はまるで針金のようだった。
――ここまで痩せた人がいるものなのか?
 子供心にビックリした。いや、子供だからビックリしたのかも知れない。大人になってからだと、恐怖が先に走り、そこまで考えられないだろう。恐怖心に打ち勝てる好奇心、それは子供ゆえに存在するに違いない。
 恐いもの知らずと言えばそれまでなのだが、経験がないことも恐いもの知らずの要因である。子供の魅力の一つなのだろうが、その時の自分にそこまで分かるはずもない。ゆっくりと視線を送っているのも恐怖心からではなく、好奇心が誘う演出であった。
 目の前に立っている人がどんな人か気付いたのは、結構早い段階だったかも知れない。隣はサーカスのような見世物小屋、そして三角頭に後ろの丸い小さなもの。それだけで想像できるものと言えば一つである。
 普段誰もいないところで二人きりになっても気持ち悪いはずなのに、その時は気持ち悪いとまで思えなかった。薄暗さが却って感覚を麻痺させたのだろうか。自分では分からなかった。
――ピエロ――
 初めて見る。サーカスなどを見たことのなかった仁科少年は、その時に初めて見るピエロにテレビで見た格好以外を想像できなかった。まさしく目の前に仁王立ちの状態でいるピエロは、何も喋らずただ立っているだけだ。表情をメイクで隠し、その下を垣間見ることはできない。
 ピエロについて知識があるわけではないが、メイクで隠すことで感情を表に出さない。そのいでたちでまわりにその存在感を示す。
「道化師」
 と呼ばれるピエロだが、仁科はその時からピエロを道化師と呼ぶようになった。滑稽な格好や仕草を何らしたわけではない。しかしその格好だけで十分、道化を感じるのだ。まわりの雰囲気が凍りつきそうではあるが、あくまでも感じる道化。それは自分の感覚が麻痺している証拠ではないだろうか。
 道化師はその場から動こうとしなかった。微動だにしないとはまさしくその時のこと、これほど目の前でまったく動かなかった光景を見たのは後にも先にもその時だけだった。
 どれくらいの時間対峙していただろう? 仁科としてはかなりの時間だったように思えたが後から思い出すとあっという間だったように思う。頭の中でいろいろ考えていることの多い仁科なので、その時も頭はかなりな速度で回転していたことだろう。だが、後から考えれば一瞬のことに違いなかった。まるで夢を見ているようだ。
 やっぱり夢だったのかも知れない。夢というものは、起きる前の数秒で見るものらしい。それがたとえどれほど長い夢であっても、すべてが数秒で演じられたことだと考えると、人間の頭の中の思考能力は果てしないものに違いない。
 その頃、あまり夢を見ていたという記憶はない。普段からいろいろなことを空想するのが好きだったので、どこまでが夢で、どこからが現実なのか、その境目が分からないでいた。
作品名:短編集33(過去作品) 作家名:森本晃次