短編集33(過去作品)
孤独な男のシーンは、いつも霊前である。短編なので、他のシーンがあると却って話が散漫になりそうに感じるほどに、墓地での雰囲気を十分に漂わせている。線香の香りから、さらには墓石の香りまで想像できてしまうほどの想像力に、自ら驚かされる。
想像力は豊かな方ではない。昔から本や国語が嫌いで、ドラマやアニメのようにすぐに結論が出ないとイライラしてくる方で、本を読んだとしてもセリフだけの斜め読み、それで国語が好きなわけないではないか。そういつも自分に言い訳していた。
本を見ていれば、どうやら数ページほどで終わるようだ。起承転結でいえば、まだ承のあたりだろうか。もっともこの手の話はいきなりクライマックスを迎えるのも珍しくなく、何しろ最後のどんでん返しで読者を「あっ」と言わせることを目的としている。何度今までそんなストーリー展開に嵌まったであろうか。
ここでいつも眠くなるのだ。そして、
――毎回同じところを読んでいるような気がする――
と思うのは、眠くなるのがすぐだからだろうか?
いや、一概にはそうとも言えない。そう感じるのはいつも夢うつつで、眠りに入ろうとしている時なのだ。
――夢の中で続きを体験しているのかも知れない――
などとミステリアスな想像をしてしまうことも、私ならやりかねない。それだけに、すぐに眠くなってしまう自分が悔しいのだ。
今日は果たしてどんな夢を見るのだろう?
起きてから覚えている夢は希である。目が覚める時には、絶対に忘れないような気がしている。なぜなら目を覚ましながら、いつも同じような何かを考えていることを自覚しているからなのだ。
「う、胃が痛い」
思わず目が覚める時に声に出してしまったのが、昨日だった。その声に気がついて目が覚めたのか、気がつけば本当に胃が痛かった。夢の中の私が叫んだのか、それとも目が覚めてからの私が叫んだのか、自分でも分からない。
気がつけばやはり今日も胃が痛くて目が覚めた。
――やっぱり胃潰瘍かも知れないな――
空腹に突き刺すような痛みを感じながら、昨日の待合室が自然と頭に浮かんでくるようだった。湿気を帯びた重たい空気。夢から覚めて最初に感じた思いだった。
朝一番での胃の検査、バリウムを飲むことになるだろう。憂鬱な気持ちの元、昨日と同じ道を病院へと向かう。
――昨日と道が違うような気がする――
同じ道には違いないのだが、どこかが違う気がするのだ。見覚えのある家が見覚えどおりに建っているにもかかわらず、どこかくたびれた感じがする。
――本当に昨日だったのだろうか?
だいぶ前にも同じ道を通っていて、その時の記憶を思い出しているように思える。くたびれて感じるのはそのためだろう。あれだけ寒かった昨日に比べて今日は少し暖かい感じがする。天気があまりよくないので、昨日のような放射冷却状態ではない。
鼠色に染まった空を見上げていると、風もないのに、雲が右から左に靡いている。今時珍しい銭湯の煙突が見えるが、途中から雲に吸い込まれてしまわないかと思うほど、雲の流れを力強く感じる。そのわりに目の前の光景は凍りついたように微動だにしない。
病院の中から、冷たい空気が流れ出しているようだ。だが、それを感じたのは一瞬で、玄関から中に入ると暖房が入っているのか、暖かかった。
「すみません、昨日窺った矢口ですが、今日は検査ということで来ました」
今日は看護婦が受付にいて、すぐに応対してくれた。
「承っております。では、用意を致しておりますので、お呼びするまで待合室でお待ちください」
と、明るい声が帰ってきた。昨日の看護婦とは違う人なのだろうか?
というのも、私は人の顔を覚えるのが苦手だ。特にこの病院のように暗くて、しかも少しだけ窓越しに話しただけなので、同じ人に思うが、私にしてみれば覚えているはずもない。
私は気分的に昨日とはかなり違っていた。
――看護婦の態度が違うだけで、ここまで気持ちが違うものなのか――
と我ながら考えてしまう。
さすがに自分も男なのだと思い知らされた。今日はやたらと看護婦の白衣が鮮やかである。昨日の看護婦に対しては、
――なんだ、あの態度は、本当に看護婦なのか――
と思えるほどで、白衣の白ささえも、まったく感じなかった。胃が痛くてきついと、看護婦の態度にまでいちいち気になってしまう。やはり、胃の痛いのも神経性なのだろう。
少し気分をよくした私は待合室に向かった。そこにはやはり昨日の男性が一人で座っていた。
「やあ、またお会いしましたね」
男性はニコヤカに微笑んで、懐かしそうに私の顔を見つめている。言葉は淡々としているにもかかわらず、瞼にはかすかに涙が溢れているようで、私は少しビックリしてしまった。
「昨日はあれからおかげさまでだいぶ楽でしたよ」
そう言うと男性はさらに上機嫌になり、
「そうでしょう、そうでしょう。昨日貰って帰った薬が効いたんでしょうね」
大袈裟なリアクションを見せる男を見ていると、昨日と本当に同じ人なのかと疑いたくなるくらいだった。
「昨日はあれからすぐに帰られたんですか?」
「そうですね」
この言葉を発するまでに少し時間が掛かったのが気になったが、相変わらずニコニコしているので、気になったのは一瞬だけだった。
「実に気持ちよさそうに寝ていたみたいだったので、起こしませんでした。寝ているところを起こされるのが一番嫌でしょう?」
「はい、まさしくその通りです」
男の言うとおりである。
私は安眠を妨害されるのが本当に嫌な性格で、神経質といわれるゆえんもそこにあるのだ。大学の時に隣の部屋に住んでいた人がよく友達を連れてきて、わいわいやっていた。それまであまり騒音を気にする方ではなかったのだが、ある日を境に気になるようになった。
それまで気にならなかったが、あんまり夜中うるさかったので、一度注意をしたことがあった。それが気に障ったらしく、露骨に嫌な顔をされたのだ。今でも忘れられないその時の顔、私は騒音がするたびにその顔が思い出されて、余計にイライラしてくる。
それからだった。私が理不尽なことでの騒音や、嫌がらせに敏感になったのは……。ストレスという言葉を実際に感じ始め、自分を蝕むことになるなど、最初は感じていなかったのだ。
――この男は私のことは何でも分かるようだ――
表情に余裕を感じる。自分の言っている言葉に自信があるのだろう。気のせいか、少しあごを突き出したような目つきは、
「私の言うとおりでしょう?」
と言わんばかりの表情である。
「この間、どんな夢を見ておられたんですか?」
男は尋ねてきた。私は聞かれるまで覚えていたのだが、聞かれた瞬間に忘れてしまったようだ。いや、覚えているのだろうが、説明しなければいけないと思うと、どこから話していいのか分からない。どうやら、断片的に覚えているだけで、頭の中でストーリーとしてつながっていないようだ。
私が説明しあぐねていると、
「きっと暖かい夢だったんでしょうね。ポカポカ陽気だったんじゃないですか?」
「えっ?」
思わずたじろいでしまった。まさしくその通り、まるで男も見たように話している感じがする。
「どうして分かるんですか?」
作品名:短編集33(過去作品) 作家名:森本晃次