短編集33(過去作品)
夢にしては白い閃光が眩しすぎて、まだ瞼に残像が残っている。そのため、元々暗すぎる待合室の中で、ハッキリとまわりを確認できるまでには、少し時間が掛かりそうだ。それでも、どうしても気になるのかまわりを見てみるが、やはりハッキリと確認することはできなかった。
何度か見渡していると待合室の光景が次第に思い出され、最初に見た時と少しも違わないことに気付いた。しかし、完全に同じというわけではなく、一番気になっていたものが違っていたのだ。
――診察室に入ったのかな?
そう、先ほどの男の姿が見当たらないのである。
私がどれほどの間夢を見ていたのか分からないが、その間に男は消えていた。座っていた席に男の痕跡はなく、座っていた場所を見ていると冷たさだけが感じられる。私を夢へと誘った先ほどの暖かそうな風はすでになく、冷たい空気に支配されていた。風を感じることもなく、ただ重たいだけである。
まるでキツネにつままれたような気持ちだったが、
「矢口さん、診察室へどうぞ」
という、看護婦の声を聞いて、私は診察室へと入った。
中は待合室とは違い、白髪の老医師が私を待っていた。その横には看護婦が立っていて、私好みの綺麗な人である。待合室とはあまりにもかけ離れた雰囲気に少し戸惑っていたのは、先ほど受付してくれた看護婦ともまったく雰囲気が違ったからだ。
問診から始まった診察は丁寧に行われ、とりあえず、翌日に胃の検査から行うことになった。神経性胃炎から、胃潰瘍などの検査も行おうということだった。さすがに会社の人が名医と紹介してくれただけのことはある。安心して任せてよさそうな雰囲気だった。午前中を費やした診察だったが、午後から仕事に戻り、気分的に落ち着かないが、任せられそうな雰囲気なので、少しだけ安心していた。
「矢口さん、どうでした?」
会社に戻るとさっそく紹介してくれた人が話しかけてくれた。
「ああ、なかなかいい先生のようじゃないか。明日から検査に入るようだ」
彼も心配してくれていたのだろう。安心したようである。
「そうでしたか、それはよかった。気さくな先生なので、安心して治療を受けられますよ。僕も四年前に世話になった時は、だいぶ助かりましたからね」
四年前ということは、入社して少し経ってからのことである。やっぱり神経が強そうに見えて、社会人になり立ての頃は誰でも鬱状態になったり、必要以上に精神状態が過敏になったりして胃を含めて内蔵に支障をきたすのだろう。そういう意味では、
――俺は鈍感だったのかも知れないな――
と、当時を思い出し、思わず苦笑いをしていた。
その日は午後からの出勤だったのだが、思ったより時間が長く感じられた。いつも会社に行くと、午前中はバタバタとあっという間に過ぎてしまい、昼からはゆっくりなのだが、気がつけば夕方だったりする。しかし今日のように昼から出勤の時は、何をやっても時間的に中途半端な気がして、却って時間が経つのが遅く感じるのかも知れない。
仕事が終わると、普通に部屋に帰った。一人暮らしの私は、いつもなら呑んで帰ったりするのだが、今日はさすがに翌日が胃の検査、しかも夜九時から絶食である。帰ってからすぐに夕食を摂り、あまり考えることもなく寝付かないと、精神的に落ち着かなくなるような気がして、早めの夕食に、後はゆっくりしていた。夜十一時には寝るつもりで、すべてのことを済ませようと考えていると、夕方からの時間は会社にいる時とは逆に、あっという間に過ぎてしまっていた。
――もう十一時近くではないか――
気がつけば十時半近くになっていた。いつもと逆である。会社ではあっという間の時間でも、一人で部屋にいると、テレビを見ていたりしたいことがあったとしても、時間はなかなか過ぎないものである。
――何か気になることがある時は、時間はなかなか過ぎてくれない――
と日頃から思っているが、今日に限っては逆なのだ。
――変に意識しすぎているのかな――
それも間違いではないように思う。神経質になりすぎていると思っていても、どこか落ち着いているのかも知れない。ひょっとして開き直りのようなものがあるのだろう。そう考えれば辻褄が合う。
風呂に入って身体が温かいまま、布団に入るのも久しぶりである。暖房を利かせているが、その必要もないくらいである。さすがにこの時間から寝るなど久しぶりなので、何となく寝付けない。
――そういえばこの間、本を買ってきていたな――
眠れない時は本を読むのが一番である。おもむろにカバンから本を取り出すと、読み始めた。そのうちに眠くなるはずである。
確か本は途中まで読んでいたように思うが内容を忘れてしまっていた。少し前から読んでみれば思い出してくるであろう。
本の内容はホラーである。あまりホラーを読む方ではないが、最近流行っていることもあってか、少し面白そうなのを読むことにした。元々怖がりなので、オカルトっぽいものや、サイコホラーのようなものは好まない。どちらかというと、普通の人が普通に生活しているのに、一歩間違って入り込んでしまった「奇妙な世界」、そんな感じの話が私は好きだ。
その中にはミステリーっぽさが入っていたり、ホラーサスペンスのようであったりしても構わない。要するに、現実味のある話から、次第に奇妙な世界に入り込んでいくような話であればいいのだ。そういう意味で、オカルトやサイコホラーはビジュアルでの緊張感を求めているため、私にはそぐわない。今読んでいるような本のように、想像力だけで満足できるような本がいい。そういう本は映像化するのがもったいないように感じることだろう。映像なら映像、本なら本と、その世界だけにとどめておきたいジャンルである。
この手の本を読んでいると、本を読んで想像しているだけなのか、夢の中なのか、時々分からなくなる時がある。寝る前に読んでいて、気がつけば本を片手に眠っていたなどということもあるくらいだ。
この間から読んでいる本を引っ張り出してきた。どこまで読んだのだろう?
――確か最後に読んでから、もう三日も経っているんだ――
普通、三日くらいであればそれほど気になるものではないが、私にしてみれば三日はすでに忘れ始めてしまう期間である。実際に挟んである栞を抜いて読み始めてみるが、さっぱり覚えていない。
――やっぱり……
我ながら記憶力の悪さに驚かされてしまうが、二、三ページ前から読み直してみると、思い出してきた。
――そうだ、確か男が死ぬシーンから始まる内容だったな――
珍しく最初の方まで思い出すことができた。本を読みながら、死んでいった男の過去についていろいろと想像をめぐらしながら読んでいたのだ。
男は、友達の命日になると、いつも墓参りに行っているような友達思いの人物だ。他の性格については一切触れていないので、律儀な性格ということだけを訴えているように感じる。ここからが私の想像になるのだが、実に孤独な男のようなのだ。友達がいるようにはとても思えず、いつも隣に不思議な世界が広がっていて、男にだけは見えているのではないかと思える。
作品名:短編集33(過去作品) 作家名:森本晃次