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短編集33(過去作品)

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――子供の頃に、親から連れてこられた病院に似ていなくもない――
 それでも、あの頃は患者の数もそれなりにいて、もう少し空気の流れを感じていたように思う。だが、あの頃のことを思い出す要因は、やはり柱時計の大きな音が気になったからだろう。その時の思い出も柱時計だった。そのためか、子供の頃から柱時計の音には敏感で、別に何ともなくとも、体調が悪くなりそうな気分になっていた。気のせいなのは分かっているのだが、一緒に木造の独特な香りも思い出すことができるようだったのだ。
――あれは何の病院だったのだろう――
 思い出そうとしている自分がいる。しばらくしないと思い出せなかったのは、それだけ嫌な思い出があったからだろう。
――ああ、歯医者だったんだ――
 と分かるまでにしばらく掛かった。大抵の人が子供の頃に味わった病院の嫌な思い出。それは「キーン」という音とともに歯を削る音だっただろう。類に漏れず、私もその一人で、ろくな思い出があるわけでもない。それだけに、何となく嫌だと思いながらも、すぐには思い出せなかったのだ。今でこそ、まるで美容院でも思わせるかのように綺麗になり、昔の面影などなくなっているが、昔は診察台に上がれば、本当に「まな板の鯉状態」に違いなかった。
 思い出しただけでも、思わず身震いしてしまう。歯医者とはそんなところだった。
 そんな小学生時代を思い出しながらまわりを見ていると、薬品の匂いを感じていることに気付く。さすがに歯医者のそれとは異質なものだが、いかにも病院という感じで、匂いが歯医者を思い出させたとも言えるのではないだろうか。
 私が医者嫌いであることを、きっと他の人は知らない。やせ我慢をする方なのだが、そのくせに、待合室での時間が一番ドキドキしている。実際に治療に入るとそうでもないのだが、何をされるか分からないところに怖さを感じるのだろう。
 診察台の上は「まな板の鯉」、いまさらジタバタしても遅い。終わるのを待つしかないのだ。
 小児科などのように待合室で子供があたり構わずに遊んでいるのも嫌だが、あまり人もいない空間というのも、嫌である。時間を長く感じるからである。
――私の一番悪いところは、余計なことばかりを考えることだ――
 絶えず何かを考えていることがくせになっているので、緊張している時など、悪い方にしか物事を考えない。そのために感じる時間は果てしなく、永遠に続くのではないかと思えるところが嫌なのである。
「君は、この病院は初めてだね?」
 後ろに座っている老人が話しかけてきた。
 老人だとばかり思っていたのは部屋が暗かったせいで、まだ五十代前半くらいではないかと思える。少し背中が曲がっているように見えるのでそう感じたのだが、よく考えれば私も友達から背が曲がっていて年寄りみたいだと言われることがあった。
「ええ、初めてです。よく分かりましたね」
「私はいつもここに来ているからね。見ただけで初めてかどうか、すぐに分かるんだよ」
 思わず立ち上がって後ろを向いた私に、下から見上げるような目つきをした男の眼光の鋭さに、少したじろいだ感じがあった。
 じっと見つめられると何も言えなくなりそうで、思わず視線を逸らそうとしてみた。その鋭さを見ていると、私の考えていることなどすべて見透かされそうで、それが怖かったのかも知れない。
 男は私のぎこちない態度を見ただけで、初めてだということに気付いたのだろうか。それならばかなりの眼力の持ち主で、何も話せなくなりそうだ。
「ここの先生の腕は確かだからね。だけど、目立たないところにあるし、それほど看板を出しているわけでもないのに、よくここに来られる気になりましたね?」
「ええ、会社の人からここの話を聞いてきたんですよ。古い建物だけど、腕は確かだってですね」
「おお、そうでしたか」
 と男は言ったが、「おお」というわりには、それほどの感動はなさそうだ。本来ならば、
――私と会ったことがあるかも知れない――
 というくらいのリアクションがあってもいいと思ったが、実に淡々としている態度は、
――私と会ったことはないだろう――
 ということを確信しているかのようだった。そのくせ、私とは初対面であることをよく見抜いたものだ。やはり私の態度から見抜いたものに違いない。
「最近、少し胃が痛いようなことを話したら、ここを教えてくれたんですよ。きっとあなたともお会いしているかも知れませんね」
 こちらからカマを掛けてみた。しかし相変わらずの表情で、私の話を聞いていたのかいなかったのか、
「ストレスからのものでしょうな」
 と、まるで確信しているように話す。私には少しそれが癪にさわった。
「どうなんでしょうね? 確かに仕事で溜まるストレスもあると思うんですが、今までには感じたことがなかったですからね」
「胃が悪くなるなんてすぐですよ。胃潰瘍には一晩でなるって言いますからね」
 男はそう言って澄ました顔をしている。
――この男、一体どこが悪くて通院しているのだろう――
 と思わざるおえない。
 じっと顔を見ていた。暗くてよく見えないのもあるが、確かに顔色は悪そうだ。血色が悪いのだろうが、表情から「色」というものを窺い知ることはできない。
 私は男の顔に焦点を合わせながら、まわりを見ていた。するとまわりから少し浮き上がったように見えるかと思えば、今度はまわりの中に男の表情を溶け込ませてみる。すると次第に部屋全体が狭くなっていくように思えてきて、錯覚の中での自分に酔ってしまいそうになる。
 身体が宙に浮いてしまいそうな錯覚は、そこから起こるのだ。平衡感覚が失われてくるようで、目を瞑るとさっきまで見ていた光景がクッキリと影になって残っているようだ。
 胃が悪いだけで通院してきたはずなのに、それ以外にもおかしなところがあるのではないかと思えてくる。
――病は気から――
 というが、まさにその通りで、男を見ているだけなのに、指先の感覚が麻痺してくるように感じた。
 それは決して気持ち悪いだけのものではないが、指先が乾燥し、喉もカラカラに渇いている。
 微熱がある時に症状が似ている。小刻みに震えている指先が次第に乾燥してきて、痺れに変わってくる。喉が渇いてくるのを感じると顔が紅潮してきて、寒気がしてくれば、間違いなく微熱がある証拠だ。しかし、今は乾燥と喉の渇きだけで、それ以上はない。だが、必要以上に興奮すると、微熱くらいは出そうな気がして仕方がなかった。
「熱はないのですか?」
「えっ?」
 私が気にしていることが分かるのだろうか? 男はズバリと聞いた。無表情のままのその顔には、自信のようなものを窺い知ることができる。
――あなたのことは分かりますよ――
 と言わんばかりである。
「熱はないようなんですが、少し頭がハッキリとしませんね」
 私が答えると、
「そうですか、薬品の匂いとかでも、催眠術に掛かったように、気分が悪くなくとも悪くなったように感じることもありますからね」
 と、今度は少し微笑んだように思ったのは、気のせいだろうか?
 するとどうだろう? 男が微笑んだように思えた瞬間、病院内の「臭い」を「香り」として感じた気がしたのだ。
作品名:短編集33(過去作品) 作家名:森本晃次