WHO ARE ROBOT?
心理学の勉強は、自分を納得させることのできる勉強だけではなく、これから膨らんでくる自分の興味を持つことの第一歩でもあったのだ。
そんな早苗を見て声を掛けてきた真田。早苗には人を惹きつけるオーラがあるように真田は感じたが、実際に早苗のオーラに応えられるのは、一部の人間だけだった。それが千尋であり、真田なのだった。
高校時代の千尋は、真田と知り合う前と違って、早苗をできるだけバックアップするようなタイプだった。
千尋は家庭でのイザコザから解放されたくて、学校ではなるべく一人でいるようにしていた。下手に人とかかわると、嫌なことを言われた時、自分がどんな反応を示してしまうのかが分からず、怖いと思ったからである。
だが、早苗と一緒にいる時は違った。早苗は決して千尋の嫌な態度を取ることはなかった。それは早苗の持って生まれた性格でもあり、千尋が羨ましく思う部分でもあった。本当なら、早苗に対して感じた羨ましさが嵩じて、一緒にいることで自分が卑屈になるのではないかと思えてくるはずなのに、早苗に対してそれはなかった。やはり自分にはない何かを早苗が持っているからであろう。羨ましいという気持ちがそのうちに、
――私にだって、彼女のようなおおらかな気持ちになれる資格があるんだわ――
と思っていた。
おおらかな気持ちを持つことに対して、資格であったり、権利であったりと、千尋はいろいろ感じていたが、そのうちに、
――余計なことを考えるからダメなんだわ――
と思うのだった。
早苗がそんな千尋の気持ちを知ってか知らずか、早苗は千尋をじっと見つめていた。
千尋には、自分が見られているという自覚がなかった。なぜなら自分の方が強く見つめているという意識があったからで、そのおかげで、早苗は千尋を見つめていることに気付かれないでいた。
しかし、それは千尋に対してだけであって、まわりの他の人には通用するものではなかった。二人の異様な雰囲気は少しでも二人に近い存在の人であれば気付いておかしくないものであり、その異様な雰囲気に、思わず苦虫を噛み潰してしまうような、やりきれない気分にさせられていた。
ただ、そんな気持ちが二人のどこから来るのか分かっていなかった。二人の雰囲気に均衡を感じている人は苦虫を噛み潰す気分にまではならなかったが、どちらかに威圧感の強さを感じる人には、二人の関係が隠微なものに映ったに違いない。
だが、実際に二人の間に隠微な関係は存在しなかった。お互いに自分の方が相手に対しての思いが強いと思っていて、相手は自分に対して同じような思いを抱いているなど気付いていないのだから、相手を分かっているつもりでいるはずなのに、実際には何も分かっていないという不思議な関係だったのだ。
そんな二人だったが、均衡が破れそうになったことが何度かあった。
まず高校時代であったが、早苗に対して恋心を抱いている一人の男子高校生がいた。彼は早苗を遠くから眺めているだけでよかった。そのことを知っている人はごく一部だったが、千尋も分かっていなかった。
彼が千尋に近づいてきたことがあった。彼も早苗に直接告白できるような勇気を持った男性ではなかったことで、友達の千尋から、早苗のことをいろいろ聞いてみたいと考えたのだった。
千尋は別に彼のことを好きだったわけでもなく、自分に寄ってきたことが早苗のことを知りたいからだということにも気付かなかった。ただ、友達のような感覚で、彼がさりげなく聞いてくる早苗のことを、自分の気持ちを正直に話しただけだった。
だが、それがいけなかったのだろう。彼は千尋から聞いた早苗の話で、早苗のことを誤解してしまったようだ。どのように誤解したのかは詳細に説明することは難しいが、
――どうして彼女のことを好きになんかなったんだろう?
という思いを抱かせるほどになってしまったのは間違いないようだ。
そう思ってしまうと、今度はその思いを感じさせた千尋も嫌になってきた。
――知らなければよかった――
という思いにさせ、千尋と早苗の分からないところで勝手に思いを焦がせ、勝手に好きだったという気持ちに終止符を打ったのだ。
その男の完全な独り相撲で、二人にとっては、自分たちの知らないところで起こった一人の人間の心の葛藤だったのだ。
ただ、千尋にとっては、それでよかった。早苗への気持ちは、独り占めしたいという思いが無意識ではあったが心の奥に存在したことで、勝手に離れていくのは、事なきを得たと言えるのではないだろうか。
その頃からだっただろうか、
――千尋は、自分を映す鏡のような気がするわ――
と感じてきた。
それがどのような状態なのか、ハッキリとは分からなかった。自分の前と後ろに鏡を置いて、半永久的に映し出されるすの姿を何度も想像したことがあった。千尋のことを考えていると、その鏡に映っているのが本当に自分なのか、疑問に思えてくるのだった。
――途中から、千尋が写っているのかも知れないわ――
と思うと、自分の頭の中がどうかなってしまったのではないかと思うようになっていたのだ。
そんな頃、本屋で見た心理学の本。背表紙には、
「自分を映す鏡」
と書かれていた。
まるで小説のタイトルのようだったが、自分が千尋に感じている気持ちを代弁したようなタイトルに思わず手に取って読んでみることにした。
少しだけ読んでみたが、チンプンカンプンであった。さすがに入門書という解説ではありながら、専門書でもあるその本は、今まで心理学の欠片も知らなかった早苗にとっては、まるで辞書を見ることもなく、初めて読む外国の本のようだった。
本を衝動的に買ってはみたものの、実際に読んでみる気にはならなかった。しばらく自分の部屋の本棚の肥やしになっていただけで、気が付けば他にも同じような本が何冊かあることに気が付いた。
早苗は本が好きで、文庫本などは、買ったらすぐに読破してしまわないと気が済まない方だった。途中で中断してしまったり、最初から読むつもりではあったのに、読み始めるタイミングを逸してしまうと、そのまま本棚の肥やしになってしまうこともしばしばあった。
別に飽きっぽいというわけではない。何かのきっかけがないとなかなか重い腰を上げることはなかった。
しなければいけないということは分かっていても、きっかけがないとなかなかやらないというのは、小学校時代の夏休みの宿題で立証済みであった。
ただ、これは早苗に限らず、たいていの小学生に言えることではないだろうか。夏休みも後数日となり、慌てて絵日記や自由研究などに手を付けるというのは誰にでもある。そのため、夏休みの終わり頃になると、図書館は盛況となり、ネットが普及する前は、図書館で過去の新聞を見て、天気を確認する姿が見られたものだった。
要するに、ギリギリにならなければ腰を上げないということだ。
中学生の頃までは、試験前には皆が勉強を始めるのに、早苗は勉強をする気にはならなかった。呑気だと親からは言われていたが、まったくやる気にならないのだ。
作品名:WHO ARE ROBOT? 作家名:森本晃次