小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

第七章 星影の境界線で

INDEX|17ページ/42ページ|

次のページ前のページ
 

2.眠らない夜の絡繰り人形ー4



 無影灯の光が、天井から注がれていた。影を作らぬ明るい光が、さして広くもない室内に熱く満ちている。シュアンの額から汗がにじみ出て、彼の三白眼を嘲笑うかのように、その脇を不快に流れ落ちた。
「くっ……」
 シュアンは腹の底から息を吐いた。煮えくり返るような思いが内臓を渦巻き、湧き立つ血流が血管を浮き立たせる。
 この場限り……、今だけは奴に従うべきなのだろうか――。
 シュアンの口が、小さく、力なく音を出す。
「待……」
「緋扇さん……!」
 それまで脅えるばかりだったミンウェイが、シュアンの袖を掴んだ。力強く引かれた制服の左肩がずり下がる。
「私、お父様のところに行きます。だから、緋扇さんの先輩は……」
「ミンウェイ!」
 彼女の言葉の途中で、ローヤンの憤怒の声が割り込んだ。
「君は、こんな男のために私のもとに来るというのか!? 私の〈ベラドンナ〉が、私以外の男のために指一本でも動かすなんて、あってはならないことだろう? そう教えたはずだ!」
 嫉妬に歪んだ顔で、ローヤンはシュアンを睨みつけた。視線だけで殺せそうなほどの憎悪が、ほとばしる。
「お父様、私は……、私は、もう……、〈ベラドンナ〉ではありません!」
 艷(つや)を失った、むき出しの声が、悲鳴のように響き渡った。
 つかえていた胸の思いを吐き出し、彼女の肩が苦しげに上下していた。ひとつに束ねられた長い髪は、意思を持った生き物のように背中で波打っている。
 彼女にとって、父親は幼少時の絶対的な支配者。
 それは、天に逆らうにも等しい叫びだった。
「何を言っているんだい? 私の可愛い〈ベラドンナ〉。その豊富な知識も、高度な技術も――そして何より、その美しく完璧な肉体も……。すべて私が与え、磨きあげた。君は私の至高の芸術品だよ」
 ミンウェイの体が、雷に打たれたかのように大きく震え、硬直した。その振動は、袖を掴まれたままのシュアンにも伝わり、彼女の恐怖を彼は肌で感じ取った。
「……腐ってやがる……」
 シュアンの押し殺した唸り声が響く。
「あんたは本当に、悪魔、だ」
 拳銃で撃ち殺したい衝動に駆られるが、その肉体は先輩のものだ。
 シュアンは音が鳴るほどに歯噛みした。
「ミンウェイ。あんたが、こいつの言いなりになることはない。俺やあんたが言いなりになったところで、こいつは先輩を殺すだろう――嗤いながら俺の目の前で。そういう人種だ」
 八方塞がりの現状。やり場のない怒り。口をついて出る毒の言葉は、ただ自分の無力さを確認しているだけだ。
「こいつは俺を弄んで楽しんでいるだけだ。こいつにとって、俺は玩具で、利用した体は、ただの道具。要らなくなったら片付けると、そう言ってい――た…………?」
 そのときシュアンは、自分が言った言葉の中にある『真実』に気づいた。
 ローヤンの載せられた台に向かい、大股に近寄る。袖を掴んでいたミンウェイの手が、戸惑うように離れた。
 シュアンは、ローヤンの頬をかすめるように、どん、と大きな音を立てて台に手をついた。そして、じっとローヤンの目を見る。悪魔の嘘を見逃さないように――。
「『使った体は役目を終えたら片付けるもの』? ――何故、片付けるんだ?」
「不要だからですよ」
 当然だろうと言わんばかりに、ローヤンの中の悪魔が答える。
「ああ、そうだ。あんたにとって『不要』だ」
 シュアンは口角を上げ、嗤った。
 ローヤンが不快気な顔をする。シュアンの意図が分からず、態度を決め兼ねているようにも見える。シュアンは構わず、そのまま、ゆっくりと続けた。
「だから、万一、あんたの悪事がバレたりしないよう、きっちり『お片付け』しておいたほうが後腐れないってことだよなぁ?」
 シュアンは腰をかがめ、台の上のローヤンに息が掛かりそうなほど顔を近づけた。
 見知った顔を前に、心がえぐられる。けれど彼は、皮肉げな口調で話しかける。
「ところでさ。役目を終えたあとの『不要』な道具が、元通りに使えるメリットは……あんたには『ない』な? 使い捨ての道具だ、壊れてしまって構わないだろう」
 自分の心臓が早鐘を打ち始めたのを、シュアンは感じた。落ち着けと、腹の底から自身に命じる。
「何が言いたいんですか?」
 ローヤンが鼻を鳴らす。
 シュアンは息を吸って、吐いた。否定してくれと、祈るような気持ちで次の句を告げる。
「つまり――一度、あんたに使われた人間は……元には戻らないんだ」
 その瞬間、ローヤンは、くっと口の端を上げ、弓なりに目を細めた。
 シュアンの見たこともない表情で、嗤っていた。
「おみそれしました。……見かけによらず、あなたは鋭いようですね」
 その返答が、シュアンの心臓を撃ち抜いた。彼は倒れそうになる足をこらえ、感情の動きを目深な制帽の下だけに抑え込む。
「はっ! お褒めにあずかり光栄ですね。――だが、つまりだ。先輩が元に戻らない以上、俺もミンウェイも、あんたに従う義理はまったくないというわけだ」
 シュアンは鼻で笑った。そして、背後のミンウェイを振り返る。
「ミンウェイ、こいつに自白剤をぶちこんでやれ。ありったけの情報を吐かせるんだ」
「は、はいっ……」
 かすれたミンウェイの声に、「待ってくださいよ」というローヤンの声がかぶる。
「あなたに、この体に使われた技術についてご説明いたしましょう。それを聞けば、あなたは私に協力したくなりますよ」
 真実を見抜かれてなお、ローヤンは変わらぬ愉悦の微笑を浮かべていた。
 聞く耳持たぬと、シュアンは背を向ける。しかし悪魔は囁き続けた。
「ああ、自白剤は無駄ですよ。あなた方が欲しい情報に行き着く前に、この体もその巨漢と同じ運命をたどるはずです。――それよりも、私たちは手を組むべきなんですよ」
 かすかに笑みの入った、親しげな声でローヤンが言う。
 背後を振り返れば、あの醜く歪んだ顔があるのは分かっている。けれど、優しげな声は先輩そのもので、シュアンは苛立ちもあらわに吐き捨てた。
「うるさい。黙れ、蝿野郎」
 シュアンの反応があったことに、悪魔は喜色を上げた。
「あなたは『私』を〈蝿(ムスカ)〉だと言いいましたね? ――それは半分合っていて、半分間違いです」
「黙れと言っているだろう!」
 シュアンは思わず振り返った。振り返ってしまった。
 彼の三白眼に飛び込んできたのは、生真面目な先輩の顔だった。
「『私』は〈七つの大罪〉の技術によって、あなたの先輩の体という肉体(ハードウェア)に、〈蝿(ムスカ)〉という精神(ソフトウェア)を入れられた存在です。――〈七つの大罪〉では、こうして作られた者を〈影〉と呼びます。つまり『私』は、あなたの先輩ではありませんが、〈蝿(ムスカ)〉とも違う、まったくの別人なのです」
 耳を塞がねば……。
 シュアンは咄嗟に思ったが、凝り固まったように体が動かなかった。
「あなたの先輩の記憶を〈蝿(ムスカ)〉の記憶で上書きした、と言えば伝わるでしょうか。――この肉体は間違いなく、あなたの先輩です。けれど、この体が不要になって片付けられるとき、『私』も一緒に死にます。『私』とあなたの先輩は、文字通り一心同体なのです」
作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN