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短編集32(過去作品)

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「それはそうでしょうね、私なども同じです。ただ、同じ光景を見ていると、釣れる釣れないが分かってくる時があるんですよ。それが移動しない理由かも知れませんね」
 年齢的には正春よりもかなり年上で、いかにも釣りを趣味に何十年も生きてきたという風にも見える。しかし、そこまでの人ならもっと釣れるところに行けばいいのにとも感じるくらいで、こんな小さな防波堤にこだわる理由が分からなかった。
「ここってそんなにいい漁場なんですか?」
 さすがに訊ねてみたが、
「私は釣りを楽しむのも目的なんだけど、この場所が好きなんですよ。ここから見る風景が好きとでも言うんですかね」
「人それぞれに思い入れがある場所ってありますよね、そんな感じなんでしょうね」
「そうですね。あなたも同じ場所にずっといれば、その気持ちは分かってくるでしょう?」
「ええ、なぜだかハッキリと口に出して言えるって感じじゃないんですけど、愛着のようなものを感じるんですよ。きっと場所を変えると後悔するはずです」
「不思議ですよね」
「だから人間って弱いんじゃないかって思うんですよ」
「弱いとは感じませんが、他の動物もように本能のようなものが顔を出すんでしょう。それが、同じ場所を求めるということだと私は認識していますよ。
「それも一つの考え方ですね」
 と、そんな話を交わしたことがあった。年上の人と話すというと、会社の上司くらいしかいなかった。家にいる時に父親と話すこともなく、会社では仕事の話ばかり。本当はもっと年上の人と話す機会を持ちたかった。今までの自分の考えを根底から覆す話であってもかまわないと思ったくらいで、反発できないだろうが、今なら素直に聞けるだろうと思ったのだ。
――なぜ今なのだろう?
 ハッキリとは分からないが、いつも何かを考えながら過ごしているからだろう。釣竿を垂れている時も、前に比べると時間の感覚が短く感じられる。それはいろいろ考えている時で、考えている時は、時間が永遠に続きそうな気持ちがしているが、却って気がつけば時間が経っている。そんなひと時が好きだった。
 時々話すおじさんはいつも同じ時間に現れては、釣れようが釣れまいが同じ時間に帰っていく。そしてその時間が時計を見なくとも、正春には分かっている。身体の中にある体内時計が知らせてくれるのだ。
 それは、おじさんだけのせいではないかも知れない。おじさんが帰っていく時間が近づいてくるとお腹のあたりにムズムズしたものを感じ始め、胸の鼓動が激しくなる。しっかり食事をしてきてお腹が減っているわけでもないのに、空腹感があるのだ。
――満たされたい――
 そんな気持ちの表れだろうか?
 おじさんが帰っていった反対側から少しすると、いつもの女性が現れる。彼女は決して正春のいる方に向かってくるわけではない。防波堤をゆっくりと先に進み、先端にある小さな赤い灯台のようなところまでくると、立ちすくんだまま水平線を眺めている。
 時間としてはそろそろ日の出の時間というところだろうか。彼女の場合も時間である。だから冬のこの時期は完全に真っ暗な時間帯にやってくるが、夏などはすでに日が昇ってからやってくる。手に花束を持っているが、別に海に投げ込むわけでもなく、灯台のところに置いて帰るわけではないが、花束を持ったその姿は、哀愁が漂っている。
 真っ白なドレスを着ている。帽子を目深にかぶっているが、いつも風で飛ばされないようにと手で押さえている。それだけを見ていると、どこかのお嬢さんを思わせ、大学時代に時々そんな女性がキャンパスにいたことを思い出していた。
 キャンパスにしても、この防波堤にしても、真っ白なドレスは浮いている、もっとも、他の場所でもきっと浮いていることだろう。少なくとも正春がいつも行くような場所で、浮いていないように見える場所とすれば、唯一馴染みの喫茶店くらいだろうか。ここの近くの温泉を紹介してくれたマスターの経営する喫茶店である。
 それだけに、彼女が現れ、後姿を追いかけていると、いつもマスターの顔が頭をよぎる。木目調を基調とした喫茶店は山小屋の雰囲気があり、水平線を見つめているとなかなかイメージが湧いてこないが、彼女の出現で思い出せるのである。寒い日でも暖かさがよみがえってくるように思えるが、それも一瞬大きく身震いをした後のことである。
 身震いをすると、それまでどれだけ自分が緊張していたか分かる時がある。身体を駆け抜ける血液の促進を、身体を伸ばし酸素を吸い込むことが役立つのだと今さらながらに思い知るのである。
 仕事が気になって寝付かれない時に、昼間睡魔が襲ってきても背伸びをすると自然と涙が出てきて、目の前がくっきりとしてくる。そんな時は自分でも疲れていることを自覚するが、精神的には少しでも落ち着ける。不謹慎なのかも知れないが、それくらいは構わないだろう。
 身振りというのは無意識の行動だ。身体が冷え切らないのを助ける効果があると考えていたが、医学的に証明されているか分からない。背伸びも似たような効果なのだと思う。
 特に釣りをしている時はほとんど身動きもせず、冷えてくる中、じっとしているので、身体が芯から冷え切っていることだろう。男性でそうなのだから、女性などはたまらないはずだ。一体寒くないのだろうか?
 彼女は釣りをしているわけではない。ただ、防波堤の先端に立って、水平線のかなたを見ているだけである。その視線に何が写っているのか、他の場所から見たことがないので、ハッキリと分からない。角度が違えば見えているものの大きさも違い、感覚的な位置のバランスも崩れているだろう。一度彼女の目になって見てみたい気がしていた。
 そう思っているからだろうか。何度か彼女の見ている位置から想像した光景を夢にみたことがある。普通夢というと起きてから少しの間見たことを思えているだけで、後は何かの拍子に思い出すだけのもの。何かの拍子で思い出した時の記憶というのは、
――ただ夢を見た――
 というだけで、それ以上の記憶はないものだと思っている。実際に今まではそうだった。どんな内容だったか、それがいつ見たものだったかなど、少しでも詳しいことを思い出そうとすると、完全なベールに包まれてしまう。思い出そうとすること自体が無謀な行為になってしまうのだ。
 彼女の目になって見た夢を思い出すのは、起きてからすぐではない。きっと夢を見た時は見たこと自体を覚えていないはずで、再度この場所に来た時に、
――以前に、見た夢と同じ光景だ――
 彼女が防波堤の先端に佇んでいる姿を確認して目を閉じた時に、感じるものである。
 漆黒の闇が目の前に広がっているはずなのに、海の表面に浮き立っている細波に光が当たっている。
――おかしいな――
 光が当たるような場所ではなく、両側から少し突き出た半島のようになっているところは、木で囲まれた明かりなど存在しない場所である。海が自分で光っているとしか思えない。
――まるで工場の明かりのようだ――
作品名:短編集32(過去作品) 作家名:森本晃次