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短編集32(過去作品)

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 後悔しても、もう遅い。それが彼の一番の短所である。本当はしっかりしているはずなのに、たったそれだけのことでまわりからの信用を失ってしまう。私のように分かってくれる人ばかりではないのだ。一緒にいればいるほど、よく分かってくる。
「本当にダメだな。俺って……」
 そう言って甘えてくる彼を、私はなるべく暖かい気持ちで包んであげたい。
「分かってるわよ。でも今度からは気をつけないとね」
 慰めているつもりなのだが、どうしても少し強めの口調になってしまう。それも私なのだ。ただ慰めるだけではなく、相手にも考えさせるようにしている。
 彼は話し始めると止まらなくなる。それだけ真面目に取り組んでくれる。
「俺は、クリエーターなんだよ」
 彼が話してくれたことがあった。
「クリエーター?」
「そう、俳優って、人を演じるわけだから、忠実に役になりきらないといけないこともあるんだけど、どこかで自分を作っている。確かにそれじゃいけないって思うこともあるんだけど、自分流に演じることでいいんじゃないかと思っている。自分がその人に近づこうとすれば、そこまでしないといけない気がするんだ」
「そうね、私もそれは感じたことがあるわ」
 分かっているようで、いまいち分かりづらかった。しかし、彼の顔はイキイキとしていて、話をずっと聞いていたかったのも事実である。
「どうしても最高のその人になりきろうとするなら、マネじゃあダメなんだ。いつまで経ってもその人に近づくことはできない。なりきるためには、自分を出すことも不可欠じゃないのかな?」
 彼の言葉には重みがあった。重みのある話でイキイキしている彼の顔を見るのが、私には一番嬉しい。
「ものを作るって、そういうことじゃないのかな? 人のマネをしていたんじゃあ、いつまで経っても人の上には行けやしない。とにかく何事も最初に始めた人が偉いんだよ。パイオニアといわれる人には永久に追いつけない。いくら素晴らしいものを後から開発して作ろうともね」
「人の上に立ちたいの?」
 私が冷静すぎるのか、思わず聞いてしまった。熱弁を振るっていた彼の手がピタリと止まる。いつも会話が熱くなってくると、身振り手振りが激しさを増す彼の手が止まるということは希だった。それだけ、私の言葉は彼の胸にグサリと突き刺さったのだろう。
 顔色もよくない。
「そ、そういうわけじゃないけど、いつもパイオニアでありたいと思っているだけさ。君にだけは分かってもらいたいんだ。他の人の前では、ここまで熱くなって話したりするものか」
 口篭ってはいたが、彼の意見も間違えではなく、私にも共感できるところが多い。彼の考え方は彼にとって長所なのだと思う。少なくとも彼がその考え方の元、劇団の幹部から認められるほどの頑張りが、劇団の取りまとめという大役を仰せつかったと私は思っている。長所とは、人に認めさせることができれば、それだけで立派な長所に違いない。
「そうね、確かにあなたの考え方は間違っていないわね」
 あたしはさらに冷静になっていたのかも知れない。
 悪気があったわけではない。彼の実力を一番認めていると思っているのは、私だという自負もあるくらいだ。「恋人」とまでは言えないとしても、自分の中で一番大きな存在である幸二さんの気持ちは誰よりも分かっている。他の人と同じように彼を見ていても、見方は違うのだ。
「間違っていないさ。俺には俺のやり方があるんだ。だが、きっと熱くなりやすいところがあるんだろうな。そこは少し反省しないといけないと思っているよ」
 そういった自信過剰なところも、人から誤解を受けやすいところかも知れない。
「俺は、すぐに自信をなくすからな。その時の自分を考えただけで怖いんだ」
「そんなにひどいの?」
「ああ、まだ君と知り合ってからはないんだけど、まわりが違う世界に見えてくるくらいなんだ。人との会話なども億劫で、きっと君とも目を合わさないようにすることになると思う」
「時々考え事をしているように思う時は話しかけづらいわね」
「いや、そんなものじゃないんだ。目の前の世界が黄色掛かってきて、見るものすべてが信用できなくなる。しかもそんな状況が周期的に起こる時がある」
「周期的?」
「ああ、バイオリズムってグラフがあるけど、あれに似たような感じかな? いい時は上りじょうしで、本能のままに任せても構わないと感じるんだけど、悪くなる時は何をやってもダメだって気になって、本当に目の前の世界がすべてウソのように思えてくるんだ」
「それって辛いわね」
 言われてみれば、そんな彼を見たことがない。
――私の知らない彼がまだ存在していたなんて――
 そう考えると少しショックだった。何でも知っているつもりでいたのも、自惚れだったのだろうか。
「しかも、その周期の切れ替りって、自分で分かるんだよ。悪くなる時というのが、目の前の色が変わりつつある時。それだけに色は徐々に変わっていくんだ」
「そんなものなんだ」
「ああ、よくなる時だってそうなんだ。夜と昼で、信号の色がハッキリと違うのが分かってくると、気分的によくなって来ている兆候なんだね」
「信号の色が違う?」
「昼間よりも、夜の方がハッキリ見えるんだよ。昼間は青というよりも緑に見えて、赤というよりも、少しワインカラーのように見える。それはそれで綺麗なんだけど、夜の方が鮮やかなんだね。夜の鮮やかさを感じることができれば、また、自信を持っていい時期に入るんだ」
 分かったような、分からないような話だが、確かに信号機の色については納得できる。私も時々信号の色が違って見える時があったが、あまり深く考えていなかった。
「自信過剰の俺なんだけど、きっとそれは悪い事じゃないと思うんだ。自信を持って自惚れても、それでいい仕事、自分で納得のいく仕事ができればそれでいいじゃないか。自惚れや自信過剰は本人の本当の力じゃないっていう人もいるけど、俺はそうは思わない。自信過剰になってどこが悪いんだって言いたいよ」
 少し破天荒な考えにも見えるが、彼が言えば妙に納得できる。きっと心の底で燻ぶっている考えを、彼は口に出すことで、私なりに納得しているに違いないからだろう。
 彼は今年で三十五歳になる。私よりも七歳年上なのだが、最初出会った頃は、かなり年が離れているという感覚だった。しかし、今はそんなことはない。私が近づいたのか、彼が近づいてくれたのか、年齢的な違和感はない。身体を重ねたという事実がそう思わせるのだろうか? それでも身体を重ねてからすぐは、却って年齢差を感じたものだったが、自分でも不思議である。
 しかし年齢差以上に気になるのは、彼が結婚経験者だということだ。子供はいないが、離婚して二年、当初の彼は見ていられなかった。
 結婚していた頃の彼を男として意識したことはない。言葉は悪いが「人のもの」には興味がないのだ。相手から奪うほどの価値のある男が今まで私の前に現われなかっただけかも知れない。根本的に諦めが早い方なのだ。
作品名:短編集32(過去作品) 作家名:森本晃次