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短編集32(過去作品)

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 まわりに不倫をしている人を何人も知っている。これが大企業などであれば、大変なことになるのだろうが、小さな劇団の中であれば、隠そうとしてもバレてしまいがちだ。バレてしまえば敢えて隠そうともしない。それが俳優のタマゴの性格?
 私にはできないだけで、もし不倫してしまえば、隠すことはしないだろう。隠そうとしても、俳優としての性格からか、隠しきれないように思う。そんな自分が嫌で嫌で仕方がなく、自然と、無理なことを押し通すことへの拒否反応をしめしているようだ。
 彼に抱かれたのは、最初は同情もあったかも知れない。その時の心境を今思い出そうとしても難しく、また思い出す意味もないように思う。今は間違いなく同情などないし、同情は彼に失礼だと思っている。
――彼は最初、どういうつもりで私を抱いたのだろう――
 そう考えると怖い気もする。
 最初彼は無口だった。一言も喋らず、沈黙の中、まるで儀式のようだった。私も恥ずかしさから言葉が出ず、重ねた唇を吸う音だけが響いていた。
 私はそれでもよかった。そこから先は彼のリードの元、身体を重ねるまでは、あっという間だったのだ。時間というものをこれほど気にしなくて相手に身を委ねるなど今までの私からは信じられない。どちらかというとあまり人を信用しない私は、猜疑心のようなものすらあった。
 しかし、この時間だけは、本当に流れるものに身を任せても安心できる時間だった。
――もっとゆっくり流れてほしい――
 と感じたが、そうは行かない。気がつけば儀式はあっという間で、儀式の後のまどろむ時間が長く感じられた。
――これが幸せっていうものなのかしら――
 と感じたのも初めてだっただろう。
 彼も同じことを感じていると信じている。彼の横顔にはさらなる余裕があり、憎らしいくらいだった。タバコを吸うことをしない彼が、ずっと私を抱きしめてくれていた。力強い腕に、そして暖かい胸に抱かれているだけで幸せな気持ちになれるなんて……。
――私にとっての幸せって何なんだろう――
 ずっと思ってきたことだったが、結局結論が出るわけでもなく、漠然と考えていただけだったが、少なくとも、彼に抱かれている瞬間は、おぼろげだが、一歩前に進めた気がした。先のことなど何も分からないが、私にとって先に進むことができるきっかけにはなった。
 好きな人に抱かれて、さらに相手を好きになる。
――このまま時間が止まってほしい――
 そう考えていることが彼にも分かったのか、
「このままずっと一緒にいたいね」
「ええ、そうね」
 ということだけ話したように思う。短い会話だったが、彼の気持ちは十分伝わってきたし、それより私の気持ちが通じたように思えることが至極嬉しかった。
 じっと天井を見ていた。そこには四角に区切られた模様があり、最初に板チョコをイメージしてしまった自分がおかしく、それで覚えていたのかも知れない。きっと忘れない光景だと思う。天井までの距離が最初は近く感じたが、次第に遠くなっていくように思えたのは、抱かれている状況に慣れてきたのか、それとも、以前にも感じたような気がしたからなのか、とにかく不思議な気持ちだった。途中で一気に睡魔が襲ってきたが、天井を見つめていたこととまんざら無縁でもなかったであろう。
――この人は私のもの――
 眠りの世界へ誘われる中で、感じたこと。次第に重くなってくる瞼と同様、頭も重たく感じていたようだった。

 それからしばらくは、彼の部屋に通ったり、彼が私の部屋に来てくれたりした。しかし、彼の方で仕事が忙しくなったのか、なかなか来れない日々が続くと、それ以来、彼の態度が少し変わってしまった。
 少し無愛想な面が見えてきたというか、元々、愛想のよい方ではない。俳優としては熱血漢のある活発的な行動の似合うスポーツマンタイプの男だが、プライベートとなるとあまり人と話すこともしない。得てして芸能人でもそうではないか、ファンに追いかけられたりして人と話すのが億劫になる。彼らの場合は嫌な時でもファンを大切にしなければならないので、ファンの前で嫌な顔はできない宿命のようなものがある。いわゆる有名税と呼ばれるやつだろう。しかし我々はまだプロとまでは言えないが、そんな私たちでもストレスのようなものが溜まる。いいか悪いか別にして、彼はそれを隠そうとしない。やはり損な性格なのである。
 そんな彼が私にだけは思い切りの笑顔を見せてくれていた。他の誰も知らない彼の笑顔、それが嬉しかった。しかし、その笑顔も次第に見れなくなり、私もその他大勢ではないかと、不安になっていく。
――釣った魚にエサをやらない――
 というが、まさしく私はその「エサ」なのだ。実に嫌な言い方であるが、今の彼を見て、自分を振り返ればそれ以外には考えられない。
 ストレスが溜まってきているのは感じている。仕事が忙しいこともあるのだろうが、その矛先が私に向けられているのではと感じると、実に嫌な気分になる。しかし、時々見せる彼の優しさはまさしく私にだけ見せる優しさで、
――彼はやはり私のものなのだ――
 と思わないわけにはいかない。
 私はあまり情熱的な恋をしたことがない。どちらかというと相手が好きになったことに気付かずに、後になって気持ちが昂ぶってくる方だ。相手の気持ちに気付いた時には、すでに相手が私から引いていたということも今までにはあっただろう。
「どうして?」
 と思うのだが、去っていった人を引きとめる力は私にはない。それほど魅力的なわけではないし、ただの普通の女の子だと思う。そんな普通の女の子を好きになるタイプの男性が私を気になるらしく、私が気付かないと、結局、相手が、
「俺の勘違いだったんだ」
 と思い、去っていくようだ。
 学生時代に友達と話した時、
「どうして私は彼氏ができないのかしら?」
 という切り出しに、
「那美は相手の気持ちに気付かなすぎ、どうして相手をもっと見てあげないの?」
「だって、まさか私なんかを気に入ってくれるなんて思わないもの」
「それはあなたが、自分を知らなすぎるのよ。怖いのかしら?」
「怖い?」
「もし、相手が自分のことを好きじゃなかった時に傷つくのがね」
 私はハッと我に返った。言われてみれば確かにそうかも知れない。それは好きな男性に限ったことではなく、普段から自分の勘違いを無意識に恐れていたりするのだ。人のいうことにあまり逆らうことをしなかったのも、自分に自信がなく、
――言うとおりにしておけばよかった――
 と後から後悔するのが怖かったのだ。そう思えば、男性に対して最初から自分をオブラートに包んでしまっている理由も分かってくる。
 友達は続ける。
「でもあなたは得な性格なのよ」
「えっ、どうして?」
「だって、自分を隠そうとしたり、自分が分からないような女性を好きな男性はいっぱいいるのよ。自分が何とかしてあげよう。守ってあげたいっていう気持ちになるらしいわね、可愛く見えるのよ。あなたは得なの」
「そんなものなの?」
「ええ、そう。私たち女性から見れば羨ましいんだけどね。少しやっかみもあるわ。特にあなたの場合は自分に気付いていない。そこが男性には溜まらないのかもね」
作品名:短編集32(過去作品) 作家名:森本晃次