短編集32(過去作品)
まるでトカゲの尻尾切りのように、切っても切っても頭を擡げてくるものだった。
そんな頃に悪友から聞かされた女性の身体の神秘性は、無気力になりかかっていた門倉に興味を持てるものを与えてしまったのかも知れない。だが、そのことに気付いたのは中学卒業寸前だったのだ、悶々とはしていたが、無気力さが手伝って、自分をコントロールできない時期でもあった。
どうして無気力になったのか、当時は分からなかった。だが、最近思い返すことが多く、今ならどうしてか分かる気がするのだ。
高校にはエスカレーター式で入学できたので、高校受験の経験はない。勉強をするといっても中学に入学した頃のようなやる気はすぐに失せてしまった。まわりも同じように受験を乗り越えてきた仲間なので、その中でしのぎを削れることの素晴らしさを味わえるはずだった。だが、実際には小学生の頃の勉強のように応用力や想像力を働かせるものはあまりなく、数学のように決まった公式に当てはめて答えを導き出すという「計算機」のような勉強に疑問を抱いたのだ。
門倉と同じような疑問を抱いた連中もいたことだろう。トップクラスの成績で入学してきたにも関わらず半年もしないうちに劣等性の仲間入り、気がつけば不良グループに一人に数えられていた人もいるくらいだ。
彼らの勉強に対して抱いた疑問がそのまま行動となって現れただけではないかも知れない。だが、勉強に興味をなくしてしまったのは間違いないだろう。他に楽しいことが見つかったのか、それとも楽しいことがないので、とりあえず現状に身を任せているだけなのか、それは分からない。
――そうだ、恭子先生だ――
中学時代を思い出していると、浮かんできたのが恭子先生と呼ばれた女教師で、先生がいたから教師になろうと思った第一歩だと思って間違いない。
恭子先生は歴史の先生だった。中学の勉強を面白くないと思っていた中で、歴史だけは楽しかったのだ。何といっても想像力を働かせることができる。
「過去があるから現在があって未来がある。だから過去を楽しめればいいと思うの」
これが恭子先生の口癖だった。
男子校ということで、本来なら女性教師はいない。恭子先生は秋になってやってきた教育実習の先生だったのだ。教壇に立った時の恭子先生は厳しい雰囲気があった。だが、一人でいる時の先生は、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していて、孤独が似合う女性だったのだ。一人の時は教師ではなく、一人の女性なんだと当たり前のことを考えては一人納得していた。
そんな恭子先生を好きだった。あれからきっと立派な教師になったと思う。一人でいる時のもの動じしない雰囲気はまねのできるものではないだろう。
恭子先生だけが教師を目指した理由だとは思わないが大きな影響があったことに間違いない。
もう一つの理由として、自分の気持ちを学生に味合わせたくないという気持ちもあった。一人の先生に出会っただけで、勉強に対しての気持ちが変わり、無気力な自分の気持ちに潤滑油を注いでくれた恭子先生のような存在になりたかったのだ。
それに気付いたのは、社会人になってしばらくしてからだった。
門倉はよく学生時代の夢を見る。大学卒業間近の夢が多いのだが、焦っている夢である。試験があることを知らず、勉強していなかったために留年を余儀なくされそうな夢であった。しかし、そんな夢の中でも自分が社会人だということは自覚しているところは不思議だった。もう学生ではないと分かっているのに留年を気にしてしまう。それはきっと、夢の中の主人公としての自分と、夢を見ている自分と、二人の自分が存在しているからだろう。
夢の中でいつも恭子先生のイメージを頭に浮かべていると思う。目が覚めると覚えていないことが多いが、恭子先生が目の前にいそうな気持ちになることがあった。遠い昔に出会ったとは信じられないほどリアルな感覚である。
旅行で出会った純子のイメージ、それはそのまま恭子先生のイメージだ。純子を見ていて、
「私、教師なんです」
と言われた時の驚き、しかしそこに違和感はなかった。むしろ懐かしさから思わず、
「恭子先生」
と語りかけてしまいそうなのを堪えるのに必死だったくらいである。
恭子先生には夏みかんのイメージがあった。柑橘系の香水が印象的で、一人が似合う雰囲気の女性に柑橘系の香りが似合うと勝手に決め付けていたが、それは恭子先生の影響だ。特に秋の時期というとどうしても気持ちが寂しくなる時期、秋だからというわけではないのだろうが、夏の時期に溜まった疲れを体全体で感じていると、どうしても甘いものよりも柑橘系の締め付けを求めてみたくなる。別に甘いものが嫌いだというわけではない。夏の本当にバテている時期には甘いものを欲していた。
秋はすべての欲が顔を出す時期、哀愁を感じたり、寂しくなるのは、その反動ではないだろうか。
秋になるといつもその時のことを思い出していたような気がした。柑橘系の香りを求めてはどこかに出かけてみたり、今では車もあるので、行楽地に出かけるのも車だったりする。だが、電車で出かけることも多い。どうしても一本道になることで渋滞に巻き込まれイライラさせられてしまうことを嫌うからだ。一度トイレを我慢させられる羽目に陥り、そのまま体調が悪くなってからは、あまり車で行楽地に出かけなくなった。
秋は人恋しい。それが欲によってもたらされたものなのかどうか分からないが、少なくとも門倉にはそう思えて仕方がない。特に女性に対する思いが強く、身体の中に吹いているすきま風を一番感じる時期でもあった。
――身体が欲しがるのか、それとも気持ちが欲しがるのか――
きっとどちらも欲しがっているのだろう。寂しさという言葉に凝縮されているように感じる。
ここにもう一度旅行に来てみたいと思った本当の理由は、武家屋敷が並ぶ横丁に、どの家にも必ず夏みかんの木が植わっていたからである。元々は歴史を見たくて来た土地だったのだが、夏みかんの香りを嗅ぐことで、門倉には特別な思い入れを抱くようになっていた。
――もう一度訪れたい――
と思いながら、なかなか訪れなかったのは、
――いつでも来れると思ってはいけない――
という自分なりのこだわりがあった。
行ってみたいと本当に感じる時期があるはずだ。その時になるまでじっと気持ちを膨らませていたいと感じていた。
そしてその時がやっと訪れたのだ。
自分には智代という女性がいる。寂しくなどないはずなのに、夏みかんの匂いが無性に懐かしくなったのだ。しかもそこでの新たな出会いを予感していたように思う。気持ちは出会いを指していたのだ。
智代は自分にとって最高の女性で、満足しか与えない。門倉にとって、
「できすぎた女性」
という表現がピッタリである。しかし、欲というものが果てしないことを教えられたのもその時だった。
――満たされても、ずっと満たされることはない――
人間の欲とはかくもキリがないものなのだろうか。門倉は思い知らされた。
作品名:短編集32(過去作品) 作家名:森本晃次