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短編集32(過去作品)

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 もう西日が眩しい時間帯になっている。確かに西日とはいえまだ眩しく、しかも風すら感じないのだから、かなりの暑さがあるはずだ。
 門倉がここを訪れたのも暑い夏だった。すでに盆は過ぎていて、近くにある海水浴場も季節が終わっているので、ここまでの電車も少なくて済んだ。もう一度同じ土地を訪れる時のこだわりとして、門倉は以前と変わらない季節をわざと選んでいる。旅行に出ると、もう一度訪ねてみたいと思うのだから、何か一つは感じるものを持って帰ってきていたはずだ。だからこそ同じ季節に訪れる。当たり前のこだわりと言えるだろう。
 この土地にもいくつかのこだわりがあった。ここで知り合った友達もいい人が多かったし、何しろ名所旧跡の宝庫とも言われるところで、歴史研究サークルのような連中から聞けた楽しい話が忘れられず、戻ってきてから本を買い勉強したものだ。
 もう一度訪れてみたいと感じた最大の理由が、もう一度勉強した目でこの土地を見てみたいと感じたのは間違いないことだ。同じ時期を選び、同じ時間に訪れる。これも門倉にとって大切なこだわりの一つである。
 白壁が見えてくる。目指す喫茶店が目の前なのは分かっている。角を曲がって見えてきた喫茶店は、以前に来た時よりも少し小さく感じられた。小さいというより、角を曲がってから、
――これほど遠かったかな?
 と感じたのが正直な気持ちである。しかし、入り口から駐車場へと伸びる建物の影の長さは記憶にあるものとほぼ同じで、なぜ影の長さを覚えていたか分からないが、きっとそれだけ風もなく、影となるオアシスを無意識に探していたのではなかろうか。
 白い扉を開けると涼しげな空気が漏れてくる。あれだけうるさかったセミの声も遮断されたからだろうか、一気に汗が噴出してくるのを感じた。表の喧騒とした雰囲気を感じさせない室内は、まさしくオアシスというに相応しい佇まいを見せていた。
 空気の薄さを感じたのは一瞬で、噴出す汗が冷えてくる頃には呼吸も整ってくる。カバンからタオルを出して汗を拭いていると、マスターがおしぼりとお冷を持ってきてくれた。「お客さん、初めてじゃないですね?」
 お冷を持ってきてくれたマスターはそういうと、ニコニコ笑顔を浮かべ、門倉をじっと見ていた。
「覚えているんですか?」
「はい、覚えています。あの時もそうやっておしぼりを持ってくる前に自分のタオルで必死に顔を拭いていましたからね」
 人のことを忘れずにいるということは、案外そんな些細なことが原因だったりするのかも知れない。それだけで親近感が沸くというものだ。だが、門倉の方は旅先でたくさんの人と出会ったりしたので、逆にマスターへの印象は浅かった。顔すら覚えていなかったし、思わず照れ笑いを浮かべていた。
 元々人の顔を覚えるのは苦手な方だ。特に次から次へと人と出会うと、誰が誰だったかなどすっかり忘れてしまっている。特徴だけは覚えていても、次回会って分かるかどうか、それすら自信がなかった。
 女性にしても同様で、いや女性ならなおさら魅力的な人が現れると、以前覚えていた人の影が急に薄くなってしまう。意識すれば余計に忘れてしまうもののようで、きっと自分の中で覚えられる人の顔の数が決まっているのではないかとまで思ってしまうほどだ。
 彼女は愛すコーヒーを頼むが、門倉は相変わらずホットコーヒーだ。
「暑いのにホットなんですね?」
 笑みをこぼしながら訊ねられると、いつものようにテレながら、
「ええ、暑くてもホットなんです。これもこだわりなんでしょうか?」
「あなたはたくさんこだわりを持っていそうですね。実は私もいろいろとこだわる方なんですよ」
 見た目にはそんなことは感じない。服装も派手ではないし、化粧も濃い方ではない。これといって特徴のない雰囲気なのだが、何となく気になる女性ではあるのだ。
――この特徴のなさ、ありきたりなところが「こだわり」なのかも知れないな――
 と感じた。何も人と違うことだけがこだわりではない。普通にしていて何か人との違いを感じさせるだけで、何かにこだわっているように感じるのは門倉だけではないだろう。
 カップを洗いながら奥でマスターが鼻歌を歌っている。
――あ、そういえば――
 忘れていたと思っていたマスターの顔が思い浮かんできた。それは今顔を見たからではない。過去の記憶から湧き出してきたものだ。門倉が最初にこの店に来た時、あの時もマスターが鼻歌を歌っていた。確か沖縄民謡のような感じの歌で、話を聞けば、一時期那覇に住んでいたことがあるという。
「私は琉球王国のことが学生時代から興味がありましてね。昔会社勤めしていた時に、沖縄への転勤願いを出したら、一発でOKが出ましてね。さすがに誰も行きたがらないところ、たぶんさぞかし皆から感謝されたかも知れませんね」
 そういって笑っていた顔が印象的だった。心なしか日に焼けた顔が沖縄という土地によって培われたものに思えてきて、それが顔を覚えるきっかけになったのは間違いない。
 鼻歌を聴いて顔を思い出している門倉の目の前で、純子もじっとマスターを見つめている。知っている人を見ているというわけでもなく、ただ何かを思い出そうとしているように思えて仕方がない。
「純子さん?」
 思わず声を掛けてしまったが、声になっていなかったのか、彼女は気付かない様子だ。とりあえず様子を見ることにした。
 かなり日が沈んできたのか、暮れる前に精一杯の輝きを見せる太陽は、まるで燃え落ちる寸前のろうそくの炎を見ているかのようだ。純子の頬が赤く染まり、まるでリンゴの皮のような光沢を見せると、ほんのりと汗が滲んでいるように見える。
 瞳が輝いている。眩しいはずなのに、涼しそうな顔でじっとマスターを見つめながら沖縄民謡を聞いているが、よく見ていると瞬きをしていないかに見える。門倉とまったく同じタイミングで瞬きをしているのだろうか?
 洗い物をしているマスターの鼻歌が終わると、純子は落ち着いた目を門倉に向ける。
「私、沖縄という土地は嫌いなんです」
「でも今のマスターの沖縄民謡を聴いているあなたに、そんな素振りはまったくありませんでしたよ?」
「ええ、沖縄民謡が嫌いってわけじゃないんですよ。沖縄という土地が嫌なんです。綺麗なところだから余計に……」
 純子を一目見た時から、どこか影のありそうな女性だと思ったが、どうやら思い過ごしではなさそうだ。しかしこちらから聞き出すわけにもいかず、気にはなるが彼女が自分から話をしようと思うのを待つしかなかった。
 正直、門倉は純子に興味があった。それは好きだということに繋がる「気になる存在」なのだ。
 女性というものに対し、好きになったから気になるのか、気になるから好きになるのか分からないが、少なくとも純子は好きになる要素を含んだ気になる存在の女性なのである。
「沖縄は私も一度行ったことがあります。でもリゾートに行ったというわけではなく、琉球王国や戦争中などの史跡を巡ってきた旅だったんですよ。一度は行ってみたいと思っていた土地だったからですね」
作品名:短編集32(過去作品) 作家名:森本晃次