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タイムアップ・リベンジ

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 静香は読書が好きだった。俊治も以前は読書が好きで、ミステリーなどを読んでいたが、静香が読む本は少し違っているようだった。
「どんな本を読んでいるんだい?」
 と聞いてみると、
「私が好きなのは、奇妙なお話なんですよ。SFやホラーのようなお話なんだけど、どこか、結論が見えないようなお話が好きですね」
 静香が読み終わった本を貸してもらって読んでみたが、確かに捉えどころのないような本だった。タイムスリップのような話なので、SFなのかと思えば、都市伝説のようなところはホラーのような話で、結局、何が言いたいのか分からない内容だった。
「何が言いたいのかなんて考えていたら、分かるものも分からないかも知れませんね」
 と、本の内容に負けず劣らず、静香は訳の分からないことをいう。
「じゃあ、静香は本の内容を分からずに読んでいるってこと?」
「そうですね。無理に理解しようなんて思っていないですね」
「それで、読んでいて面白いの?」
「でも、俊治さんだって、ミステリーを読んでいるのは、どうしてなの?」
「理由があるわけではないけど、読んでいて楽しいからかな?」
「そうでしょう? 内容を理解したいって思って読んでいるわけではないですよね? 要するに、私も面白いから読んでいるんですよ。面白いという基準や、発想が違っているだけのことなんじゃないですか?」
 確かに俊治が本を読むのは、簡単に読めて、時間を感じさせないような感覚に、
――時間を贅沢に使った――
 と、感じたいからだった。
 そういう意味ではミステリーは、論理立てて読み込めるので、読み込めば読み込むほど、理解しやすい。しかも論理立てているだけに、知的な感じがする。読みやすさと知的さで、自分が高貴な趣味を持っているかのような気分になれるのは錯覚かも知れないが、それでも俊治はよかったのだ。
 俊治は年を重ねれば重ねるほど、難しいものから遠ざかってきたような気がする。テレビを見ていても、あまり考えることのないようなバラエティ番組が画面を踊っているが、実際に見ているという感覚があるわけではない。
――何となく過ぎていく時間というのも、悪くない――
 と、感じていた。
 静香を「拾ってきた」のも、何となく過ぎていく時間の中の一つの出来事だったにすぎない。出会った時は確かにセンセーショナルな出会いだったが、一緒にいればいるほど、違和感がなくなっていって、感覚が完全にマヒしてしまっていた。
――静香がどこの誰であっても、関係ない――
 と思うようになった。
――まさか、静香が自分に声を掛けてきたのは、最初からそのことが分かっていたからなのか?
 とも思ったが、最初から分かっていたとしても、結果は変わっていないと思う。静香が一緒にいることが、俊治にとってのその時の唯一の真実だったのだ。
 静香との最初の半年は、お互いに手探り状態だったような気がする。お互いに同じ部屋にいても、ただの同居人。それでも違和感がなかったのは、お互いに寂しさには慣れていたからなのかも知れない。
 それでも、たまに一緒に出掛けたりもしていた。静香がここに住むようになって二か月後には、アルバイトではあるが、静香の働き口が見つかった。
「就職祝いをしよう」
 と言って、静香と一緒に出掛けた炉端焼き屋。さすがに静香にお酒を呑ませるわけにはいかなかったが、初めての炉端焼き屋に、静香は大はしゃぎだった。はしゃいでいる静香を見れたことが嬉しくて、俊治もその日は、あまり呑める方ではないくせに、結構酔っ払っていた。それでも、酔い潰れなかったのは、
――一緒にいるのは、静香なんだ――
 と思ったからだ。
「今日は、ありがとう」
「いいさ、これで静香も肩身の狭い思いしなくていいだろう?」
「うん、俊治さんがいてくれなかったら、私今頃どうなっていたかって思うと、怖いくらいだよ」
 本当は、静香のことをもっと知りたかった。ちょうど就職祝いの席がその機会になるのではないかと思っていたが、実際に場を設けてみると、今度は怖気づいてしまった。
――今さら、下手なことを聞くと、静香は黙って自分の目の前からいなくなってしまうんじゃないか?
 と感じたからだった。
 本当はいい機会なのだろうが、一歩間違うと、すべてを失ってしまうのではないかと思うのだった。
 どうしてそんな風に感じたのかその時は分からなかったが、少ししてから、その時のことを思い出して、ピンと来るものがあった。
――静香を女の子として見ていたつもりだったのに、女性として意識するようになったからではないだろうか?
 女性という言葉の意味は、いくつか解釈できる。
 大人のオンナという意味で、幼さやあどけなさの反対でもある妖艶さが、身体の奥から滲み出てくるのを感じた時であったり、レディという言葉に代表されるような、常識をわきまえた人を女性として意識する場合がある。
 この二つは、決して交わることのない平行線のように、俊治は感じていた。正反対という意味であれば、背中合わせであることを意識することもあるだろうが、大人のオンナと、レディとでは、片方をイメージしている間、もう片方をイメージすることのできないもののように思える。
――この時の静香は、レディだった――
 と思っている。
 しかし、そんな静香が次第に妖艶さを醸し出すようになり、大人のオンナに変わっていく様子を見ることになるなど、その時はまったく考えてもいなかった。
 俊治にとって、大人のオンナというのは、開けてはいけない「パンドラの匣」であった。――思い出してはいけないこと――
 つまりは、以前に感じたことがあるもので、今は忘れてしまっていることだった。
 俊治には、大人のオンナと呼べるような女性と付き合ったこともなければ、どちらかというと毛嫌いしている方だ。なぜ嫌いなのかは、自分でも意識しているわけではないので分からなかったが、どうやら、過去の何やら怪しげな記憶があり、封印されてしまっているようだった。

                 第二章 数年後に思い出すこと

 月日が流れるのは、本当に早いものだ。四十歳を超えてから、特に早いと思い始めたが、四十五歳の時に静香と出会ってから、気が付けば五十歳になっていた。静香もすでに二十三歳、立派な女に成長していた。
 あれは、三年前の五月五日、
「私、今日で二十歳なの」
 いきなり朝起きて、そう言われた。それまで、静香が年のことを口にすることはなかった。十八歳だと聞いてから一年以上が経っているのだから、どこかで十九歳の誕生日があったはずだと思ったが、何も言おうとしないのだから、俊治も敢えて聞こうとはしなかった。
 そんな静香が、まるで満を持したかのように、二十歳の誕生日を口にした。表情に感情はなかったが、言わなければいけないとでも思ったのか、覚悟のようなものが感じられた。
「それはおめでとう」
 俊治は感情を込めて口にしたつもりだったが、どうにもぎこちなさが感じられた。
「ありがとう」
 という静香の言葉も形式的にしか聞こえない。お互いに腹の探り合いのような時間が少し続いたが、静香がニッコリと笑ったのを見ると、急に緊張が解けたような気がした。