タイムアップ・リベンジ
自分に納得できない現象が起こると、それが恐怖に繋がるというのは当然のことだろう。今がその時であって、俊治にはその理由が目の前に鎮座している幹江にあるのだということは当然分かっている。
――この俺を納得させてくれよ――
と、心の奥で考えていたが、どうやら、そんなことは目の前にいる幹江には分かっていることのようだ。
――私は何でも分かるのよ――
と言わんばかりに、時々ほくそ笑んでいるのが分かるが、しかし、ほとんどは何かに怯えているように見える。
――何を不安に感じているんだろう?
と思うと、自分がこの状況に納得することなど、どうでもいいように思えてきた。すると喉の渇きは相変わらずだったが、指先の痺れはなくなってきた。どうやら、この状況に慣れてきたのだということに身体が気付いたようだ。
――だから、相手の気持ちが分かるのかな?
普段は相手の気持ちがこんなに簡単に分かるなどということはなかった。なぜなら、相手は自分に悟られないようにしているからだ。しかし、目の前にいる幹江は自分の考えていることを隠そうなどとしていない。そういう概念がないのかも知れない。それよりも、
――あなたに分かってほしい――
というオーラを感じるくらい、考えていることが、自然と伝わってくるような気がするのだ。
――この感覚、今までにも感じたことがあったような気がするな――
それは、幹江に感じたわけではない。しばらく考えていたが、
――そうだ、静香に感じたんだ――
ただ、それは出会った日ではなかった。一度だけこんな感覚になったことがあったが、それは別に何か特別な日だったというわけではない。だからこそ、今まで忘れていたのだった。
――きっと思い出すことになるだろうと、思っていたような気がする――
この思いは思い出して感じたことだった。
その時の静香は、他の時と格別何かが違っていたというわけではない。ただ、
――少し何か他のことを考えているのではないか?
と感じただけで、それも、何かを思い出そうとしている前兆のようなものだと思えば、別に不思議に感じることでもなかった。
静香は、何かを俊治に伝えたいのではないかと思ったが、敢えてそのことに俊治は触れなかった。
――言いたくなれば、静香は自分の口から言うに違いない――
と感じたからだ。
だが、そのことを感じたのは、静香が初めてではなかったように思えた。
――そうだ、感じたとすれば、幹江にだったような気がする――
加奈とはお互いに言いたいことをぶつけ合っていた。それは隠し事が嫌だったからだというよりも、言いたいことを言わないと気が済まないという感情が一番最初に来ていたからだ。
――まだ、それだけ若かったからなのか――
とも思えることだが、若さゆえではなかったような気がする。お互いに気持ちをぶつけ合うということが、恋愛には必要だったということを、地で行っていたと言ってもいいだろう。
逆に幹江に対してはお互いに遠慮があった。その時の俊治は、
――大人の付き合いだ――
と思っていたが、その思いに間違いはないだろう。
大人の付き合いには、気持ちに余裕が必要だ。気持ちに余裕を作るには、時間的な余裕が不可欠なことであることも分かっていたつもりである。
静香に対しても、この五年間、同じ思いで接してきた。
――二十五年前の自分とは違うんだ――
と感じていたからだ。
昔の自分なら、すぐに静香を抱こうと思ったに違いない。確かに今の自分では年齢差もあることで、いきなりということは考えにくいが、若い頃の俊治は、結構勢いに任せての行動が多かった。
それでも何とかなってきたのが若い頃だったが、最後には悲惨な別れを迎えたことを思えば、
――ひょっとすると、若い頃はその強い押しが、ツケとなって最後に回ってきたのかも知れない――
と感じるようになっていた。
――今と若い頃の違いって、何なんだろう?
若い頃は、一日一日があっという間に過ぎていたように思っていたのに比べて、今は長いスパンで考えた時の時間があっという間だった。
それは点と点を結ぶと遠く感じるのだが、線で見ると、本当に短く感じてしまうという意識であった。
――五年前のことを思い出そうとすると、結構前のことに思えるのに、五年間という感覚で考えると、あっという間だったような気がする――
つまりは、それだけポイントポイントでは印象が深いことはあったとしても、その間というのは、まったく何も考えていないかのように、流れるように過ぎていっただけのことになるのだ。
確かに毎日をただやり過ごすだけの毎日だったような気がする。若い頃には、
――何か目標を持たなければいけない――
という意識があり、先を絶えず見ていたものだ。
しかし、年を取るごとに、先を見るというよりも、その時々が暮らしていければそれでいいという感覚に変わってきた。変化を求めるわけではなく、平穏無事を求めて毎日をやり過ごしているという感覚である。
――そんな俺に対して、静香はどんな目で見ていたのだろう?
何かを求めることもなく、まるで俊治の夫になったかのように、身の回りの世話を、嫌な顔を一つもせず面倒を見てくれる。俊治にとっては、これ以上ありがたうことはない。
しかし、時々不安になることがあった。
すでに静香のいない生活が考えられなくなっていた。
――いて当然――
という考えが、俊治の中で充満して、溢れかえっているようだった。
そのことを、静香も感じているのだろう。そのくせ何も言わないのは、時々何を考えているのか分からないと感じ、不安になることもあった。
だが、静香は顔色一つ変えることはない。却って気持ち悪いくらいだ。若い頃のことだったとはいえ、毎日のように加奈と喧嘩をしていたことが嫌でも思い出される。今さらではあるが、
――やっぱり、俺は加奈を愛していたんだ――
と思っている。
幹江を愛していなかったというわけではない。だが、
「幹江と加奈のどちらを本当に愛していたのか?」
と聞かれれば、
「加奈の方だ」
と、答えることだろう。
その根拠は、やはり毎日のように喧嘩していたということが一番大きな理由だったに違いない。
――喧嘩するほど仲がいい――
と言われるが、その意味が今になって分かってきた気がする。
ただ、言葉で説明することは困難だった。どちらかというと、観念の中で感じていることであって、もし、言葉にして説明できる人がいたとしても、それを聞いて果たしてどれだけの人が感じることができるだろうか。
喧嘩するのも体力がいる。そういう意味で、若いうちにしかできないものだろう。喧嘩するということは、気持ちに余裕がなくなっていくことであり、知らず知らずのうちに自分を頑なにしてしまう。喧嘩は一日経てば、気持ちのほとぼりを冷まさせてくれるが、自分を頑なにしてしまった感情は、元に戻ることはない。したがって喧嘩するごとに、それは蓄積されていって、疲れるという感覚は、蓄積がもたらすものではないだろうか。
そんな疲れを維持できたのは、幹江がいてくれたからなのかも知れない。
作品名:タイムアップ・リベンジ 作家名:森本晃次