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タイムアップ・リベンジ

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 亜季が、そんなに勘が鋭い女性だったような気はしなかった。いつも何かに怯えているようで、触れただけで壊れてしまいそうな雰囲気だった。
 そんな態度が男心をくすぐるのだが、そうでもないといくら自分が独身だとはいえ、主婦との情事に憧れはしても、実際に嵌ってしまうなど、それまで考えたこともなかった。
 亜季は、実に従順な女性だった。俊治のいうことに逆らうことはなく、
――他の女性なら嫌がるだろうな――
 と思うようなことも、平気な顔でしてくれる。
「私、あなたのためなら……」
 この言葉に俊治は舞い上がってしまった。
「俺だって、君のためなら何だってできるさ」
 と、ベッドの中の戯言でしかなかったはずの言葉が、本心になりつつあった時期が存在したのは確かだった。
 ただ、それはバーチャルな世界の延長線上だった。明らかに現実の世界だけでは知り合うこともなかったはずの二人である。もし、話をする機会があったとしても、本音を話すなどありえない。お互いに異性と知り合うとすれば現実世界がよかったと思っているくせに、バーチャルで知り合ったことをよかったと思っている。それは現実では味わえない胸のときめきを、妄想という形で表すには、バーチャルな世界ならではでしかありえないだろうと思えたからだ。
 亜季が言った
「時間がない」
 という言葉、それからずっと忘れられずにいたが、ある日を境に急に頭の中から消えていた。しかし、それを思い出す時が来ると、今度は忘れてしまった時のことをある程度ハッキリと思い出せるようになっていた。それだけ記憶というものは曖昧で、中途半端なものなのだろう。
――亜季は最初から、家庭に帰るつもりだったのだろうか?
 そんな後ろ向きの考えが頭を巡る。いや、そんなことはないと自分に言い聞かせるが、それも虚しさを含んでいた。
 だが、孤独をいつも正面に見ている俊治は、亜季が家庭の中で浮いてしまい、自分の居場所を求めていて、もがいてもどうしようもなくなってしまったことから、俊治に靡いたのは分かっている。だが、それは俊治が望んだことではなく、相手から歩み寄ってきたことだった。
――言い方は悪いけど、「棚からぼた餅」のようなものだ――
 と、他力本願での幸せであったことに目を瞑っていたような気がする。
 目を瞑っていたとするならば、亜季が求めていた幸せが、本当は疑似であることを分かっていたはずなのに、そのことを考えようとしなかったことが、一番目を瞑っていたことになるのではないだろうか。
 他力本願で手に入れたものなら、自分の意志にそぐわなくても文句を言う資格などないのかも知れない。そう思えば、亜季が家庭に戻っていくことも仕方のないことであろう。それを責めることはできない。責める相手は亜季ではなく、分かっていて目を瞑ってしまっていた自分にある。
 俊治はいつも、最後には自分が悪いということで自分を納得させてきた。それが自分に対して、
――後ろ向きな考え方――
 であることに気付いていなかった。
「時間がない」
 という言葉の意味は、亜季が俊治に対して、
「気付いてよ」
 という言葉を投げかけていたと考えるのは、少し飛躍しすぎなのかも知れないが、的を得ていないわけではない。
 俊治は、今まで女性と付き合ってきて、自分から相手をフッたことはない。すべて相手から愛想を尽かされたり、嫌われたりしたのだ。
 俊治が付き合っている女性のことを、嫌いになる瞬間がなかったわけではない。些細なことでは、相手のことを、
――この人、こんな人なんだ――
 と思うことは少なくなかった。
 しかし、すぐにそんな思いは忘れてしまう。そうでなければ、喧嘩が絶えなかった加奈と付き合ってこれなかったからだろう。
 かといって忍耐強いわけではない。加奈との場合には、何度かこちらから突き放そうと感じたこともあった。
 それなのに、ちょうどのところで、
「ごめんなさい」
 と言って、加奈は謝ってくるのだ。
 それも、ごまかしながらの謝り方ではない。正直に声に出して謝ってくるのだ。そんな相手を許さないわけにはいかない。加奈とは喧嘩しても、最後には謝ってもらえるという気持ちがあったから、最後まで付き合った結果が、最後は呆れられるほどになってしまったということだったのだ。
 それは、パターンの違いこそあれ、他の女性との付き合いにも言えることだ。
――何とか、このまま少しでも長く付き合っていこう――
 と思っていれば、必然的に別れが訪れるとすれば、こちらかではなく、相手からということになるというものだ。
 ただ、それが気持ちを伴わない、
――ただの、時間の引き延ばし――
 ということにいつの間にかなってしまっていたことで、相手がシラケてしまうのだろう。
 亜季が口にした
「時間がない」
 という言葉、本当は亜季のセリフではなく、俊治の中にある本能の声であってしかるべきではないだろうか。
 もちろん、俊治はそんなことは分かっていない。ただ、
――もし、リベンジできるとすれば、限られた時間の中でのことになるだろう――
 と、時間がないという言葉を自分に当て嵌めて解釈していた。
 俊治は、自分と加奈との間にあったことを思い出しながら、亜季を見ていた。
――ひょっとして、亜季は旦那と因りを戻したいと思っていたのではないだろうか?
 と感じていた。
 俊治の場合は、まだ若かったし、結婚していたわけではないので、結婚生活というものがどういうものなのか想像もつかないが、一度結婚したら、そう簡単に別れるというわけには行かないのかも知れない。
 ただ、結婚していようがいまいが、別れの決意をどちらかが固めてしまったら、それは至難の業ではないだろうか? お互いの気持ちがすれ違ってしまい、修復不可能という結論を一度下してしまうと、下した人は、さらに先を見つめているからに違いない。
 相手に復縁を迫られれば迫られるほど、後ろ向きにしか感じられなくなる。結論を出すまでに考えが堂々巡りを繰り返していた自分が、
――過去の自分――
 にしか見えてこず、
――相手が見ているのは、過去の自分なのだ――
 と思うと、自分が開き直ってしまったことに気付くのだ。
――この人も開き直ればいいのに――
 と思い始めると、その時点から、お互いがすれ違ったまま、交わることはなくなる。交わるには、一度、別れを伴わないと修復しないものだ。
――別れた男女が、まるで友達のように接しているのを見るけど、俺には信じられないな――
 と、俊治は思っていた。
 別れるには、かなりの修羅場を通らなければならないことは分かっている。そんな修羅場を演じた相手と、時間が経ったからといって、まるでわだかまりがなかったかのように、友達のように接するなど、考えられることではない。
 実際に、加奈や幹江と別れてから一年ほどは、会いたくないと思っていた。道ですれ違っただけでも、どんなに心臓がドキドキしてしまうかという思いがあったからだ。しかし、これは相手を好きだという意識ではないだけに、焦りと戸惑いに満ちたドキドキ感になることは分かっていたが、それがどんなものなのか、想像もつかない。