タイムアップ・リベンジ
亜季は今でこそ、家庭に嫌気が差しているが、もし旦那が謝ってきて、それを亜季が許さないとも限らない。そうなれば、俊治は一体どうなるというのだ。
掛けていた梯子で相手を逃がすつもりで昇らせて、その梯子を外されたために、自分だけが敵の矢面に晒されることになるというようなものである。自分を盾代わりに使って、それでのうのうと生きながらえている人がいると思うと、やり切れない気分になってしまう。
だが、その可能性は非常に低い。そんなことを考えていては、不倫などという大胆な行動に付き合ってはいられないだろう。ただ、これも俊治の性格の一つで、
――ついつい余計なことを考えてしまう――
どうして自分が孤独だということを思い知らされたのだという理由にはならない。
俊治は亜季と会っているうちに、
――亜季は離婚しなくてもいい――
と思うようになっていた。
最初は、離婚されても、自分が結婚できるわけではないと思っていたが、途中から、離婚してくれれば、自分が亜季と結婚するという気持ちに変わっていた。
それは、亜季という女性を知ることで、自分の気持ちに正直になってきたのだということを感じたからだ。
せっかく、不倫をしてまで自分を慕ってくれているのだから、お互いに愛し合っている者同士、結婚するのが一番だと思うようになっていた。どうせ、三十歳も後半が近づいてくる一度も結婚したこともない独身男性。それだけで、結婚には大きなハンデがあることを分かっていた。
三十歳を超えたくらいから、
――このまま俺は結婚できないんじゃないか――
と思うようになっていた。
加奈や、幹江との別れをほぼ同時期に経験し、まるで自分が一気に十歳近く年を取ってしまったと思っていた俊治にとって、三十歳を超えた頃というのは、意識としては、四十歳が見えてきたような感覚だった。
だが、三十歳を超えた頃から、俊治は自分が急に年を取っているという感覚がなくなってきていたようだ。深く意識していたわけではないが、それが、
――毎日を無為に過ごしている――
という感覚だった。
それだけに、月日が経つのはあっという間であり、実際に経った時間よりも、自分は年を取っていないような感覚になっていたのである。
何も考えずに、
――その日一日が無事に終わってくれればそれだけでいい――
という思いがあった。
そんな毎日を、俊治は孤独だと思ってはいたが、寂しいとは思わなくなった。
それまでの俊治は、孤独と寂しさを同じものだと思っていた。だが、そのうちに少し考えが変わっていた。
――孤独と寂しさは決して同じものではない。何が違うかというと、レベルが違うということではないか――
と感じるようになった。
寂しい時は、孤独感が募っているが、孤独だと思っている時には、必ずしも、寂しいと思うわけではないと感じるようになっていた。孤独だから寂しい時もあれば、孤独以外で寂しい時もある。孤独以外で感じる寂しさは、
――一晩寝れば、忘れてしまうことができる寂しさ――
のように、一時の感情が引き起こすものではないだろうか。
俊治と亜季との関係は、半年ほど続いた。結構続いたと思ったのは、その間に亜季は離婚する様子もなく、最終的に家庭に戻って行ったからだった。
俊治もそれでいいと思っていたはずなのに、実際に亜季が家庭に戻っていくと、本当に外された梯子を羨ましげに見ている自分を想像し、情けないというよりも、可哀そうに感じられた。
そう思うと、その後に襲ってくるのは、無性に強い孤独感だった。
この孤独感は、寂しさを頂点に頂くことになった。ただ、それも自分を客観的に見ているから感じることのできる感覚だった。
亜季が自分の前から去って、しばらくネットの世界に入ることもなかった。それまで自分がバーチャルの世界に入りこんでしまっていて、抜けられなくなってしまうことを分かっていた。だが、幸か不幸か、亜季は自分の家庭に戻って行った。後に残ったのは孤独感と寂しさだけだったが、
――今の俺なら、バーチャルな世界から抜けられるかも知れないな――
と感じていた。
だが、実際に抜けることはすぐにはできなかった。また最初の時のように、オープンチャットに入ってみた。
そこにいる人たちは、まったく知らない人たちばかりだった。だが、数日入ってみると、以前からいた人もまだ残っていることを知り、少し安心した気分になったが、逆に、残っているのを感じると、余計に寂しさを煽られたような気がして、複雑な気分にさせられたのだ。
その時にいたのは、以前から目立たない人だった。時々一緒になることがあり、その人とも、結構人が少ない時に一緒になったことがあった。
これは後から聞いた話であったが、彼と人が少ない時に会ったというのは、偶然ではなかった。彼は、最初から人の少ない時間を見越して入っていたのだ。
――ひょっとすると、表から見ていて、人が少なくなったと思ったら、入ってきたのかも知れない――
それは、彼があまり人と話すのが上手ではないからだと思ったが、それなら逆に人が多い時に黙って入っている方がいいような気もした。人が少ない時というのは、彼がしていたように、表から見ている人も多いかも知れないと思ったからだ。彼がそのことを分かっているのかどうか、俊治には分からないが、どちらにしても、オープンチャットの実情を知ってしまうと、最初の頃のような楽しさを味わうことはもうできないのだ。
彼は、自分たちがいた頃の常連が去ってしまっても、ずっとここにいたようだった。他の新参者は、彼が以前からいたことを知っていて、長老という表現をしていたが、彼はそう言われることを嫌っているわけではない。
かといって、他の人から長老であることで、部屋の中心人物として君臨したいという意識はない。ただ、その場所に漂っているだけだ。しかも、存在感は昔とちっとも変わっていない。目立つこともなく、ただ、端の方に黙っているだけのことだった。
彼もメッセンジャーを持っていて、以前、メッセンジャーで話をしたことがあったので、聞いてみたが、
「別に他に行くところもないので、たまにここに来ているだけだよ」
「俺はあれからいろいろあったけど、ここは変わっていないようだね?」
「そんなこともないさ。いろいろな人が現れては消え、大体一年の周期で、人が入れ替わるって感じかな?」
「俺たちの頃の常連は、もう誰も来ないのかい?」
「いや、数人はくることもあるけど、すぐに落ちて行ってしまうよ。ほとんど会話をすることもない。ただいるだけって感じだね」
「君と変わらないじゃないか?」
「そうなんだけど、僕とは違っている。僕の場合は、漂っているだけだけど、他の人たちは、最初に入ってきた時と明らかに出る時では心境が違っているように思う。きっと、浦島太郎のような感じなんだろうね」
「実は俺も今、浦島太郎の心境なんだ。他の連中と同じなのかも知れないな」
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない」
「やけに、投げやりな言い方だな」
作品名:タイムアップ・リベンジ 作家名:森本晃次