タイムアップ・リベンジ
少なくとも同じフロアにいる、誰だか分からない人と話ができるというのは新鮮だった。その時は、ジャンル別のチャットではなかったので、若い子もいたりして、ドキドキしたりもしたものだ。
だが、そのうちにネットカフェ内のチャットが閉鎖された。ハッキリとは分からないが、あまりにも近くにいるということが分かると、何かの犯罪になりかねないということがあったのかも知れない。いつの間にかなくなってしまったチャットに一抹の寂しさを感じながら、本当のネット上のチャットを楽しむようになったのだ。
同じ年代の人とチャットしていると、いろいろな話が聞けたりする。
特に三十歳代というのは、いろいろな人がいる。俊治のように独身男性もいれば、結婚していたが別れた人、また結婚生活に疲れかけている人、それぞれだった。
ただ、三十歳代のチャットと言いながら、別に年齢認証しているわけではないので、別の年代の人もやってくる。学生から、中には五十歳になったという人もいたりして、結構三十歳代は、盛り上がっていた。
俊治はチャットをしていて一つ気が付いたことがある。
――ここでは、違う自分を演じることもできるけど、俺の場合は、本当の自分を出しているような気がする――
と感じたことだ。
そして、自分がそう感じるのだから、他の人も同じなのかも知れない。実社会での自分が仮面をかぶっていて、バーチャルな世界の自分が本当の自分だなどというのもおかしなものだが、
――相手を見ることができないし、相手からもこちらを見ることはできない――
という観点から、思いきったことができるのだろう。
それが、本当の自分を表に出すことであって、今までの自分に一番欠けていた部分なのではないかと思うと、自分がなぜチャットの世界に嵌ったのかということが、分かってくるような気がしたのだ。
俊治が最初に気になったのは、一人の女性だった。
俊治も彼女もどちらかというと地方の人間で、彼女とは距離はあるが、同じ県人仲間であった。さらに、俊治がチャットに入ってくる時に、ちょうど彼女がいたり、逆の時もあったが、必ずと言っていいほど、二人は一緒になることが多かった。
一日の中でチャットに入る人数の少ないこともあり、三、四人しかいない中の二人が、俊治と彼女だったりもした。そうなってくると、お互いに意識しない方がおかしいというものだ。
そのうちに彼女が、メッセンジャーという機能を教えてくれた。
「チャットだと、たくさんの人がいたり、表から見ている人がいるので、あまり込み入った話はできないけど、メッセンジャーを使うと、ツーショットで話ができるので、便利でいいですよ」
と言って、使い方を教えてくれた。
なるほど、表ではチャットに加わっていても、裏ではツーショットで話をしている。それはそれで楽しかった。
実は、メッセンジャーには、もう一つの効果があった。
チャットというのは、文字だけなので、誰か分からない。そのため、なりすましということもありうる。つまりは、誰かの名前を語って、その人になりすまし、その人の名前で場を荒らすこともできるわけである。しかし、メッセンジャーで繋がっていれば、本人と話している人が、表に出ている人が本物か偽物かを公開することで、場の平和を保つことができる。
ただ、それも限界があり、荒れ果てた場がそのまま閉鎖されたこともあった。やはりネットは難しいものである。
地域別のチャットではそんなことはないのだが、年齢別だったり、ジャンル別のチャットだと、全国から集まってくる。そうすると、どうしても関東や関西に集中してしまうのは仕方がないこと、これが、チャット仲間の信頼を崩して行くことに繋がることもあるのだ。
関東の人たちは、どうしても人が多い。しかもメッセンジャーで繋がっていたりすると、次第に、
――皆で会おう――
という空気になっても仕方のないことだ。
俊治も自分が関東に住んでいたら、その話に乗ったかも知れない。いわゆる、
――オフ会――
というものだ。
――週に一度は関東のどこかでオフ会をしている――
などという噂が流れてくるくらい、同じ地区の人は馴染んでしまってくる。そうなるとチャットでの会話も知らず知らずにオフ会や地域性の話題になったりする。地方の人間にとって、これは辛いことだった。
「遠くの人とでも、ネットに乗せて話ができる」
というのが、チャットの「ウリ」のはずなのに、これでは地方の人間には溜まったものではない。
「そんなことはメッセンジャーでやればいいんだ」
と、地方と中央との間で、亀裂が生まれてくる。
ただ、中央の連中皆が一枚岩かというと、実はそうではない。人数が増えれば増えるほど、
――派閥が生まれる――
ということになっているようだった。
派閥争いになってくると、宙に浮いている人間は板挟みにあってしまうことになる。気が小さな人は、そのままチャットに行かなくなったり、まわりから嫌われていけなくなってしまったりすることだろう。地方の人間から見れば、
――ざまあみろ――
と言いたいところだが、ここまで来ると、チャットどころではない。閉鎖にならないまでも、チャットの存在は有名無実にしかならないのだ。
――せっかく仲良くなったのに――
と悲しい気持ちにさせられる。
俊治は、チャットに行かなくなってからも、彼女とだけは、メッセンジャーで会話を続けていた。ただ、彼女は主婦で子供もいたので、なかなか恋愛感情に持っていくことはできなかった。だからこそ続いたのかも知れないが、彼女はハッキリとは口にしないまでも、離婚したいと心の中で思っていたようだ。さすがに結婚したことのない俊治はそのあたりの気持ちに気付くのが遅れたが、話し始めて数か月で、彼女のことはある程度分かるようになっていた。
彼女の名前は亜季と言った。ただ、チャットでの名前なので本名かどうか分からない。
そういう俊治も本名を使っているわけではない。チャットの中では、克也と名乗っていた。
亜季は主婦であることを理由に、俊治と会おうとはしなかった。俊治は最初こそ、会いたいということを口にはしなかったが、チャットデビューから一年が経った頃、そして亜季を気にし始めて九か月が経っていた。
実はその頃になってくると、チャットに行くことはほとんどなくなった。どうしても、派閥争いがバカバカしく感じられるようになり、数人とメッセンジャーで話をする程度になっていた。
亜季もメッセ仲間は数人はいるようだった。亜季が、俊治からの誘いを他の人に相談しているかどうか分からない。相談しているなら、それはそれで構わないと思っている。相談してくれた方が、頑なに拒否する亜季の心をこじ開けてくれるのではないかと思ったからだ。
なぜそう感じたかというと、亜季がチャットをしていた理由は、
――家庭を持ちながらでも、その家庭の中で自分だけが孤立している――
と思ったからのようだった。
実際にどうなのか分からないが、そんな亜季だから、一線を超えるにも勇気がいるだろう。
しかし、自分一人では越えられない一線も、誰かが背中を押してくれれば、意外と簡単に越えられるものではないかと思っている。
作品名:タイムアップ・リベンジ 作家名:森本晃次