タイムアップ・リベンジ
チャットといえど、やはり話をしたいのは女性だった。元々の孤独を作った理由が女性にあるのに、やっぱり女性を意識する。
――相手のことが分かりすぎるのは窮屈だ――
という思いから、どうにも男性と仲良くなりたいという思いはなかった。自分が変わり者だということは自覚しているつもりだったが、それは人と親密になるのをどこかで嫌っているところがあるからで、相手が女性であっても、あまりべったりとくっつくのは好きではなかった。
だが、それも最初はべったりでも嬉しいと思う。別に嫌な思いもないのに、どこかで糸がプツンと切れると、急に相手をうっとおしく感じてしまう。
そういう意味ではネットというのはありがたかった。相手が男であれ女であれ、見えない相手なので、べったりという感覚がなく、冷静に見ることができる。しかも、文字を書いている自分を客観的に見ることもできて、主観的な自分と客観的な自分を使い分けることができると思うようになってきたのだ。
ただ、そう簡単ではないことが分かっているが、
――二つの自分を使い分けることができたら、爽快だろうな――
と思うようになっていた。
ネットの世界を一度覗いてしまうと、何でもできてしまうような錯覚に陥ってしまうから不思議だった。まるでゲームセンターでゲームをしているような感覚に陥ったりもしていた。寂しさを紛らわすため、加奈と別れてからゲームセンターに立ち寄って、時間を潰していたりした時期もあった。
パチンコやスロットは嵌ってしまうのが怖かったのでやらなかったが、ゲームも数か月間ほどやるとすぐに飽きてしまい、やらなくなった。その間に、以前本を読んでいたことを思い出し、読むようになった。今までゲームをしていた時間、本を読むのに当てたのだが、本を読むことに関しては飽きることはなかった。ある意味、ゲームをしていた時期があったから、読書に飽きることがなかったとも言えるような気がして、
――何が幸いするか分からないな――
と、孤独の中でも意外と楽しみを見つけることができるものだと感じるようになっていた。
子供の頃のことを思い出していた。
子供の頃には、今のように楽しいことがそこら中に転がっているわけではなかった。まだまだ子供は表で遊んでいた時期で、ゲームセンターというものすらなかった時代だ。
せめて、デパートの屋上にゲームが置いてあるくらいで、日曜日になると、家族でデパートに出かけ、子供は屋上のゲームをしたり、家族でファミリー食堂と呼ばれる大衆食堂や、社員食堂のようなスペースのところで食事をするというのが、普通の家庭の定番だった頃のことである。当時はまだ、高度成長時代。今とはまったく違っていた。
――そういえば、ゲームセンターなどが流行るようになったのは、自分が大学に入る頃のことじゃなかったかな?
その頃のゲームというのは単純なものが多く、さらに種類も少なかったので、誰でも同じ種類のゲームをすることで、点数を競い合ったものだった。平均水準の点数があり、それを超えたか超えないかで一喜一憂していた時代があったことを、今さらながらに懐かしく思えていた。
そんな時代を懐かしく思えるのは今になったからであって、ネットに嵌っていた頃というのは、
――どうしてこんな楽しいものを知らなかったんだろう?
と思い、他のものに目もくれなかった。
大学時代、友達は多いと思っていたが、それは挨拶程度の友達が多いだけで、実際に話をする友達が多かったわけではない。友達の数が多ければ多いほどいいと言うわけではないのは分かっているが、友達の数の多さを自慢したいという思いがあったのは事実だったのだ。
挨拶する友達の数が多いだけでもよかった。それだけ自分がたくさんの人と仲がいいのをまわりに見せつけることで、
――それだけ慕われているように見えるのではないか――
ということを、まわりに思わせることができると思っていた。
しかし、冷静になって考えると、それは逆効果だ。それが分からなかったのは、実際に自分の友達に、同じようにたくさんの連中と挨拶を交わしている人がいて、見ているだけで、慕われているようで羨ましかったからだ。
――隣の芝生は青い――
という感覚と同じではないだろうか。
それも、大学のキャンバスという独特の雰囲気の中にいるから感じることだろう。しかも、大学生というと、苦しかった受験勉強から開放され、
――夢にまでみた大学生活――
である。少々、有頂天になっても仕方のないことなのかも知れない。そんなことは卒業して冷静になって、社会人ともなれば、
――夢だった――
ということは分かりそうなものだが、俊治はそれでも、
――また同じ環境になれば、同じことを繰り返すことになるかも知れない――
と感じた。
大学キャンバスの雰囲気は独特で、同じ過ちを何度も繰り返さないとも限らない、麻薬のような効果があることを、今でも分からないのだ。
大学時代は夢物語を絵に描いたような時期だった。
楽しいこともあり、楽しかったという思いは残っているのに、思い出しても、気持ちがときめいたりしない。だから、考えが甘かったと分かっていても、同じ過ちを犯してしまうと分かっていても、
――もう一度ときめきたい。そして、今度こそ忘れたくない――
という思いから、
――同じ環境になったら、また同じことを繰り返すに違いない――
と、思うのも仕方がないことだとして片づけていいのだろうか?
大学時代には、パソコンというものは、まだまだ普及していなかった。理学系の学部に、電算科というのがあり、コンピュータ室というのがあるくらいで、普及されているという話はどこからも聞こえてこなかった。一般企業でも、事務所に数台ある程度で、社員一人に一台などというのは、夢のような話だった。
俊治がちょうど三十歳になったくらいに、会社でも一人に一台くらいの割り合いで普及していった。会社では社内ネットワーク、そしてインターネットなどという言葉が言われ出したのもその頃だった。
「これ、おもちゃみたいだよな」
と、誰もが言っていたのが、マウスである。今では欠かすことのできないものだが、最初は何となく扱いづらかったような気がする。ただ、人によって扱い勝手はまちまちであるように、最初は皆初めてなので、もの珍しさからいろいろなことを感じていたに違いない。
「パソコンと携帯電話がなくてはならないものになるなんて、最初は思わなかった」
と、言っていた人が、俊治もまさしく同じ気持ちだった。
ネットカフェというものが普及し始めた頃、俊治はまだ自分のパソコンを持っていなかった。最初の頃は今よりも高価で、インターネットをするだけなら、ネットカフェで十分だと思っていた。二十四時間営業で、一泊となれば、カプセルホテルよりも割安だった。ネットカフェに泊まったことも何度かあり、ネットをしていると寝不足になるのも分かっていながら、それでもやめられないのは、新鮮な気持ちになれるからだった。
ネットカフェで始めたチャットだったが、最初はネットカフェ内のチャットだった。
作品名:タイムアップ・リベンジ 作家名:森本晃次