タイムアップ・リベンジ
あくまでも絵を描くことは、趣味であった。その時々で楽しいことは少しずつ変化していくが、趣味によって得られる満足感は不変なものだった。だから、他のことで満足感が得られれば、絵を描く必要はなくなってくる。趣味が自分の影であるような気がしてくるだけだった。
幹江に感じた、
――影のような存在――
とは、少しイメージが違っているようだが、自分にとって同じ影のような存在であると思っていることで、
――幹江への気持ちも不変なものであってしかるべき――
だと思うようになっていた。
そして、幹江に対しては自分の気持ちを前向きにする存在であると、感じさせる相手なのを自覚していた。
――幹江にだって、分かっているはずのことだ――
と考えるようになった。
俊治は、最初、加奈と別れてから、かなりのショックがあった。それはトラウマとなって残るほどで、さらに幹江から、
「私結婚するの」
と言われて、ショックに追い打ちを掛けられ、
――とどめを刺された――
と、感じるほどだったのだ。
それでも、幹江との別れがトラウマとなって残ることはなかった。心の奥で、
――幹江はいずれ帰ってくる――
というあり得ない妄想を抱くようになった。
――結婚する相手を祝福するどころか、自分のところに戻ってくる妄想を抱くなんて――
と、自己嫌悪に陥る気持ちになったが、実は、その頃から自分が、
――孤独なんて、そんなに怖いことではない。まんざらでもないさ――
と思うようになっていたことに気が付いた。その理由としては、
――開き直りさえできてしまえば、人間しょせんは一人なんだ。一人で生きていけるようにできているんだ――
テレビドラマなどでは、
「人間は一人では生きていけない」
というテーマの話が結構多いような気がする。それは、視聴率を稼ぐドラマを作るための発想には欠かせないものだからだ。孤独をテーマにしてしまうと、どうしても暗くなってしまう。それでは、視聴率を稼ぐどころか、すべてが暗くなってしまう。もっとも、ホラーなどのように、最初から暗いイメージの話であれば別である。しかし、それも、
――元々明るい人間が陥る世界が孤独である――
という、落差を強調したイメージが、ドラマを影から演出することで成り立っているだけで、決してメインテーマではない。やはり、孤独というものは影であり、表に出てくるものではない。
俊治は、今まで描いてきた絵を見なおしてみたが、
――何て暗い絵なんだ――
と、それまで描いていた絵に対しての、自分の見方が変わってしまったことに驚いていた。
自分の描いた作品が、描いた時と後で見た時とで精神状態が違えば、まったく違ったものに見えてくることもある。
――本当に正反対なのかも知れないな――
そういえば、さっちゃー錯視という言葉を聞いたことがあった。
「上から見た時と、下から見た時で、まったく違う印象を与える絵があるが、それをサッチャー錯視というらしいぞ」
と言って、ラクダのような絵を見せてくれた先輩がいた。前から上下でまったく違って見える絵があるのを知っていたが、それを改まって言われると、新しい発見があるような気がした。
俊治は、その言葉そのものよりも、改めて何かを言われることで、それまで思っていた発想が変わってくるのを感じたからだ。
――「孤独」という言葉が、それに当て嵌まるのかも知れないな――
と感じるようになっていた。
俊治は、本当は静香が読んでいるようなSFや奇妙な話に興味があった。しかし、絵を描いている時に感じることは、奇妙な話を彷彿させるようなものだったりする。現実と空想の世界の境目を感じることができなくなってしまうことを恐れていたのかも知れない。特に孤独というものを感じてからずっと妄想ばかりしてきたことで、次第にネットの世界を知ることになると、
「得てして、現実とバーチャルの区別がつかなくなることがあるらしい」
という話を聞いて、
――俺はそんなことはない――
と思っていたくせに、気が付けば、バーチャルな世界に入りこんだ時があった。
静香を自分の部屋に住まわせることに抵抗がなかったのも、どこからどこまでが現実なのか、自分でも分からなくなっていたからだろう。
――自覚しているという自覚が錯覚であったら?
と、まるで禅問答のように頭の中で繰り返すことがあった。それこそ、
――バーチャルと現実の区別がつかなくなっている――
ということなのかも知れない……。
第三章 ネットの世界
元々絵を描いていて、絵の中の世界自体がバーチャルなのだ。中学の頃までは、絵を描くことが嫌だった。
「下手だから」
というわけではなく、バーチャルな世界を思い浮かべても、しょせん絵の中は、キャンバスや画用紙の中の世界であり、それ以上ではない。どんなに大きなものでも、目の前の小さなものに変わってしまうことが気持ち悪かった。
写真に関してはそうでもないのに、油絵やデッサンに関しては、バーチャルな世界を意識してしまう。
写真は寸分たがわぬむので、角度や明暗によって、若干見方が違ってくる。それが写真家にとっての醍醐味なのだろうが、バーチャルな世界を思い描くには、ちと役不足であろう。
ネットの世界に嵌ったのは、三十歳代だった。その頃まで、孤独と寂しさに苛まれていたはずなのに、ネットの世界を垣間見ることで、それまで孤独と寂しさに苛まれていた自分が信じられないと思うようになっていた。
最初に嵌ったのはたくさんの人がテーマに沿って集う、
――オープンチャット――
と呼ばれるものだった。
まったく知らない者同士が、文字だけで会話する。もし、大学時代までだったら、自分はチャットなどしたであろうか?
――チャットなんて、友達もいない寂しい連中がするんだ――
と思ったに違いない。
もちろん、そのことを否定しているわけではない。実際に三十歳を過ぎた自分は、寂しさと孤独から逃れるために、チャットをしてみた。それが楽しくなったのだから、嵌ったと言われても仕方がない。
嵌ったことに対して否定はしない。しかし、同じ寂しさや孤独からチャットを始めたとしても、別に逃げる気持ちで始めたわけではなかった。
――興味本位でやってみて楽しかったから――
ただ、それは他の人も同じなのかも知れない。知らない人が表から客観的に見て、
――逃げに走った――
と思っているだけのことだ。
――気にしなければいいだけだ――
学生時代までは、逃げという言葉に敏感で、少しでも逃げていると思われるようなことは避けてきた。しかし、孤独を寂しさは、そんな逃げという言葉を感じさせないほど、自分を強くするものだった。確かに後ろ向きの考え方だが、強くするという思いから考えれば、悪いことではないように思う。
チャットでは、趣味、年代別、友達募集などのような目的別の部屋が設けられていて、好きなところに参加することができる。俊治は、趣味を持っているわけでも、友達募集というわけでもなかったので、年代別を選んだ。同年代であれば、気持ちが分かる人もいるだろうという考えだった。
作品名:タイムアップ・リベンジ 作家名:森本晃次