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タイムアップ・リベンジ

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 と思うようになった。
 相手を冷静に見ることの方が難しい。まずは自分の中を解決させなければならないからだ。
 ただ、俊治は幹江の結婚式に顔を出すことはなかった。幹江は俊治に結婚式の招待状を送ってこなかった。それはもちろん、幹江の気持ちからだったが、まさに幹江は俊治にとって、
――影のような存在――
 だったことを、最後の最後に示したようだったからだ。
 幹江の結婚式の日、俊治は一人で呑んだ。自分の部屋ででもなく、居酒屋でもない。当てもなく出歩いて、見つけた一軒のバーだった。
 中に入ると一人の客がいるだけで、カウンターの中にいるマスターと話をしていただけだ。
―――一人になりたいのに――
 と思ったが、一度扉を開けたのに、そのまま踵を返すのは失礼に思えた。
――こんな時に、何を普段から使いもしない気を遣ったりしたんだ?
 と、思わず苦笑いしたが、こんな時だからこそ、取った行動だったのかも知れない。
 一人の客は女性客、背中を丸めて、俊治が入ってきても、後ろを振り向こうともせずに、カウンターの手前で一人で呑んでいた。
「いらっしゃい」
 マスターも声を掛けてはくれたが、こちらを振り向こうとはしない。一瞬あっけにとられた俊治だったが、そのままカウンターの奥に腰を下ろした。
――どうせ、もう来ることもない店だ――
 と思いながらカウンターに腰かける。
「何があるのかな?」
 バーに来ることもない俊治だったので、メニューを貰っても、よく分からない。とりあえず、名前を聞いたことがあったソルティードッグと、食事を軽く注文した。砂ずりをスライスにした土瓶蒸しがあるようなので、それをいただくことにした。オイルソースにソルティードッグが似合うような気がしたのだ。
 その日、一人で呑んでいる客が男女一人ずつ。結局お互いに何も話すことはなかった。それどころか、マスターも一言も何も言わない。不思議な時間だけが過ぎていき、俊治の中に残ったのは、オイルソースの味だけだった。
 だが、この日、思っていたよりも時間があっという間に過ぎていた。最初の十分は、相当に時間が掛かった。時計をすぐに確認し、
――三十分は経ったような気がしたのに、まだ三分しか経っていない――
 と感じたほどだ。
 しかし、十分を過ぎた頃から、急に時間を気にしなくなった。それは、カウンターの奥から香ばしい香りがしてきたからだ。それがオイルソースの香りであることはすぐに分かった。
 すると、お腹が反応した。
――ショックな時でも胃袋には反応するんだな――
 と、思わず苦笑いをしたが、考えてみれば、ショックな時ほど反応しやすいのかも知れない。神経はほとんどが、堂々巡りしか繰り返さない頭に行っている。胃袋の感覚はマヒしていた。ただ、少々の匂いでは、胃袋は反応しなかったに違いない。それだけオイルソースの匂いは、俊治にとって神経を感じさせるに十分な香りだったに違いない。
 その時に、
――相手を冷静に見ることと、自分に正直に生きるにはどうしたらいいのだろうか?
 ということを、頭の中は考えていたようだ。
 別にショックで何も考えていないわけではない。結婚式に行かなかったことで、冷静に考えることができる。それが自分に正直に生きることに繋がるのかどうかすぐには分からなかったが、少なくとも余計なことを考えなくてもいいことには繋がるようだった。
 しかし、一つだけ後悔が残った。それは、
――幹江のイメージが頭の中に残ってしまった――
 ということだ。
 イメージが残ってしまってから、頭の中では割り切ったつもりでいたが、寝ても冷めても頭の中は幹江のことばかりだった。そんな毎日を過ごしているうちに、
――俺は一体何をしているんだろう?
 と思うようになった。
 それまでの人生が何だったのか分からなくなる。幹江だけのことが頭に残ってしまったからだ。好きだった加奈のイメージは払拭され、何を目指して頑張ってきたのかが分からなくなってきた。
 元々から、別に何になりたいなどという思いがあったわけではなかったが、中学高校時代に少し描いていた絵を、そのうちにまたできるようになれればいいというくらいのものだった。
 受験勉強に疲れて始めた絵を描くことだった。大げさにキャンバスに描くというわけではないただのデッサンだったが、それでも気分転換には十分になった。ちょうどその頃に一緒にいてくれたのが幹江だった。
「俊治はなかなか絵の素質あるんじゃないの?」
 と、茶化したように言われて、それでもまんざらでもないと思いながらも
「そんなことはないさ。ただ時間潰しにやっているだけだ」
 受験勉強の合間に、逃げの気持ちで始めたのだが、そんなことは口が裂けても言えなかった。こんな風にありきたりのことを平気で言える時というのは、ウソをついている時なのだということを、その時初めて知った。
 そういう意味で考えれば、
――どんなにウソが世の中に蔓延していることだろう――
 と思えてきた。
 本音と建て前が平気で横行している世の中であったが、俊治は次第にそれも悪くないことだと思うようになった。
 最初から何も分かっていないのではなく、分かった上で納得し、それで悪くないと思うのであれば、それが自分にとっての真実であり、そう思いこむことが自分の信念に繋がるのだと思うようになっていったのだ。
 絵を描いていると、自分が今まで見ていたことが、大きく感じられた。絵を描いているということは、画用紙の中に収めようとしていることで、どうしてもバランスと遠近感だけにこだわってしまう。
――バランスと遠近感が、絵を描くことでは一番大切なんだ――
 ということを悟ってはいたが、それは絵の中だけで解釈することで、現実社会に決して結びつけてはいけないと思っていた。
 だが、それは間違いだった。
――絵というのを、自分が見ている世界の縮図だ――
 と考えさえすれば、バランスも遠近感も悪いことではない。むしろ、そのことを知らない方がまずいのだ。
――知ってこその自分の人生――
 と思うようになったが、それだけではない。
――知らないということを自覚していなければ、知っていることだけを見つめても、それは中途半端でしかない――
 まるで鏡を見ずに、自分の姿を解釈しようとしているにすぎないと思うようになっていた。
 鏡はすべての反対を映し出すのだが、寸分狂わずの正反対を映し出すのだ。だから、反対という意味では、すべてが正対なのかも知れない。そう思うと、絵を描いている時に、思わず描いている自分を思い浮かべるというのもおかしなことではない。
 絵を描くことによって俊治は、自分が何をしたいのかということが、おぼろげであるが分かってきたような気がした。
 まず、絵を描くことで精神的に余裕が生まれたような気がしてきた。そんな気持ちをしばらく忘れていた。それは、受験にも成功し、友達もできたことで、絵を描くことの意義が一番ではなくなってしまったからだ。