短編集31(過去作品)
それが私と先輩社員との共通点なのだ。それがいいことなのか悪いことなのか分からないが、気持ち悪さだけは感じる。
喜怒哀楽の激しい私は時々息切れした気分になる時がある。無性に誰かに甘えたくなるのだが、そんな時でも自分が、
――孤独が好きなはずなのに――
と思うことがある。
無性に甘えたい時に現われたのが美奈子だった。彼女が私の前に突然現われたような気持ちだったが、気心が知れてくると、以前から知り合いだったような気がしてくる。
――以前にも美奈子に甘えたことがあったような気がする――
と感じていたが、そんな時、
――あなたといると素直になれるの――
と言われたのである。
これは今までに誰からも言われたことのないセリフだった。こちらからのアクションに覚えがあるにもかかわらず、相手から与えられることやセリフにはまったく記憶がない。似たような女性と付き合っていて、同じようなパターンで好きになり、同じような気持ちになったとしても、それは不思議のないことである。しかし、今まで女性と付き合ったことはおろか、甘えられるような女性が身近にいたことすらなかったのだ。
元々、自信過剰なところがあるくせに、女性に対してはコンプレックスと思えるくらい自信がなかった。まず何を話していいかの見当がつかず、相手から話を振られても、どう返していいか分からないだろう。
きっと甘えたいという気持ちが強く、そのためだけに女性というものを求めている自分が分かっていたからである。
――与えられるものがなくして、何を与えられるというのだ――
と勝手に思い込んでいた。話をすれば話題なんてものは勝手に出てくるという友達がいたが、そんなことが信じられるわけもなかった。女性とはまったく違う人種なのだと思っていた私だったからである。
そういう意味で、美奈子は私に何も求めていなかった。最初こそ、何を話していいか分からなかったが、相手も同じようにモジモジとしていたことから、少し気が楽になった。私が恐れていたのは、見下ろされたらどうしようということだった。最初から萎縮してしまって、まったく話せなくなることが分かっていたからである。
不思議なもので、相手が緊張していると思えば、こちらが助けてあげたいと思い、緊張を解きほぐすための言葉が、いくらでも口から出てくるような気がしていた。くだらないオヤジギャグでも、彼女なら笑ってくれそうな気がしていたのだ。
実際に私の貧困な発想とボキャブラリーに対して、彼女は心底喜んでくれているように感じた。
「なかなか面白いですね」
と、心の底から笑っているのだ。
――僕に甘えていいんだよ――
というセリフが、喉の奥に引っかかっているのが分かる。自分にそんなセリフが似合うわけもないと思うのだが、喉まで出かかったというのは、言いたくて仕方がないからに違いない。
――甘えたいはずの私が、いったいどうしたんだろう――
自分が一番不思議だった。私がそんな心境になるなんて、きっと美奈子が私の理想の女性だからだろう。
しかし、それでも相手に甘えたいという気持ちには変わりないようだ。
最初の頃こそ純情な付き合いだったが、デートを重ねていくうちにお互いの気持ちも高揚していった。
デートの時間が次第に長くなっていったが、気持ちとしては、短くなっているような気がする。それだけ時間が経つのが早かったということで、きっと、美奈子も同じ心境なのだろう。別れが惜しいのが、あからさまに分かった。
「夜は、長いから……」
そんなセリフまで、自然に出るようになっていた。
「ええ」
はにかんでいるが、恥ずかしさは隠し切れないようだ。
初めて見た美奈子の妖艶な笑み、普段の彼女からは想像できなかった。
夜の街はネオンでいっぱいである。美奈子の横顔にネオンが当たっているせいもあるのだろうが、美奈子の妖艶さに私は酔っていた。
「私、あなたといると、素直になれそうだわ」
最初はその言葉の意味が分からなかった。今まで気付かなかった自分の素直な部分に気付いただけだろうという程度にしか感じなかったが、私の今まで知らなかった奈美子の妖艶な表情、それこそが彼女のいう「素直」な部分に見えてきた。
――もっと素直な彼女を見てみたい――
男としての気持ちが昂ぶってくる。きっと私の素直な気持ちなのだろう。
「僕も君といると素直になれそうな気がする」
私の言葉をどう理解したか、
「嬉しいわ」
と言いながら、しな垂れてくる美奈子を本当にいとおしいと感じていた。
足は自然とホテル街へ……。暗黙の了解の元だろう、複数の男女がそそくさと入り口に消えていく。もちろんそこには会話などなく、二人が一つの塊として、消えていくのだ。
きっと私と美奈子もそうなのだろう。気持ちの中では、決して他の人と同じだとは思えないが、他の人から見ると同じにしか見えないと感じると、少し複雑に思えた。
薄暗い部屋の中で、一糸纏わぬ美奈子が白く光って見えた。服を脱いでも変わらぬ豊満さに思わず生唾を飲み込んだのは、身体のラインもさることながら、光っている白さが幻影のように見えたからである。指を滑らすように触ると、くねらせるように揺れる身体は、まるでヘビのようだった。
「素敵だよ」
「あんまり見ないで」
湿気を含んだような空気が身体にへばりついているのを感じていたが、声もエコーがかかったように響いている。広い薄暗い密室の中央で艶めかしく動いている男女、想像しただけで、血の逆流を感じるのだった。
今までホテルに入ることはおろか、女性と二人きりの部屋にいることもなかった私である。ホテルに入るのに躊躇いなどなかったことが不思議であるが、入ると決めて迷わなかったことは間違いない。もし躊躇していたら、一度高まった気持ちが下がってしまったら、そこから再度高めることは、かなり難しい。意を決するということが大切だと、再認識していた。
しかし、ここからがどうしていいのか、完全に未知の世界への突入だった。ひたすら背中に回した手が、いたずらに指が肌を撫でているだけだ。そこには規則性など存在せず、ゆっくりと撫で回している。
「あぁ」
時折反応している美奈子の身体を感じながら、私も自分で昂ぶってくるのを感じた。
――どうしたらいいんだろう――
頭が必要以上に興奮しているが、きっと薄暗い中に浮かび上がっている私の表情は覚めたものであるような気がしてならない。こんな時でも自分の表情を気にするなんて、いかにも私らしい。
気持ちが昂ぶっていた美奈子が私を導いてくれる。優しいおねえさんのような美奈子を初めて頼もしいと感じたが、何も知らない自分が恥ずかしいと思っていたのも、その時までだった。
相手が誘導してくれるたびに、私は気後れしないようにと自分に言い聞かせる。
――ここまで来てジタバタしても仕方がない。ありのままの自分を見せるのが一番だ。こうなったら、タップリと勉強させてもらおう――
とまで考えていた。冷静というのと少し違うのだろうが、開き直りにも似ていて、それが私の長所でもあるように感じていた。
――きっとこれが素直な美奈子なのだろう――
作品名:短編集31(過去作品) 作家名:森本晃次