短編集31(過去作品)
時々美奈子はそのことを口にする。
「どんなマジックだい?」
ここからもいつも同じ会話である。
「人を惹きつけるマジック、でもそれは皆には分からないと思うのよ」
自分だけだということを強調する。
「僕のまわりは、相性のいい人と悪い人とにハッキリと別れているような気がするんだ」
「そうでしょう。いい人は本当にいいけど、悪い人は最悪なのかも知れないわね。誤解されやすいタイプだと私は思うのよ」
「そうだね。露骨に嫌な顔するやつもいるもんな」
前の会社での、厭味な先輩社員を思い出した。
「でもあなたは、そんな人でも気にしてしまうんですよね。それがあなたのいいところでもあり、悪いところでもある」
「悪いばっかりだよ。いいことなんてありゃしない」
ヤレヤレという思いで、大袈裟に手を横に開いた。
「でも、あなたは気付いていないでしょうけど、それが自分のやる気になっているのよ」
言われてみればそうだった。確かに、
「今にみてろ」
とばかりに発奮材料にしようと考えてはいたが、それが実際に自分の中で身を結ぶものだとは信じられなかった。気持ちの中で却って謙虚な気持ちになることへの弊害のように感じていたこともないわけではない。
きっと母を見ていてそう感じたのかも知れない。元々人と気さくに話す母だったが、よく陰で色々言われていたりしたこともあった。もちろん、噂好きのおばさんたちの、くだらない中傷のようなものだったに違いないが、それが噂として私の耳にも入るくらいなので、母が知らないはずもない。
そんな時、母はよく顔を真っ赤にしていたものだ。私に知られまいとすればするほど、顔を見ていればどんなことを考えているかが分かってくる。そんな時、自分で発奮して色々努力してみても、母の場合はそれが報われることがなかったのだ。
そんな母を見ていて、
――発奮して努力しても、結局報われることなんてないんだ。所詮無駄な努力で終わるだけじゃないか――
というのが結論だった。
だが、美奈子の見る目は違うらしい。
「あなたの人を惹きつけるマジックは、努力しているところが見えてくるところなの。私にはそれがよく分かるのよ。だからあなたはきっと無意識なんでしょうけど、私にはマジックなの」
と言ってくれた。
そう言ってくれるのは嬉しいのだが、自分ではピンと来ない。美奈子を見つめる私の目は、キョトンとしていることだろう。
「皆、人のことはよく分かるのに、自分のこととなると結構分からないものでしょう。それには理由があると思うの」
ゆっくりと美奈子は話し始める。
「自分の顔は見たことがあるけど、自分の声って実際に聞いたことないでしょう?」
「普段聞いている声じゃないの?」
「テープに吹き込んで聞いてごらんなさい。全然違う声に聞こえるわよ。それと同じことなの。知っていると思って疑わない気持ちがあるから、分かっているようで分かっていないのよ」
美奈子の話を、気がつけば頷きながら聞いていた。
――きっと美奈子は私のすべてを知っているから好きになってくれたんだ――
そう思うと自然に笑みが零れてくる。
私はすぐに落ち込んでしまうところがあり、それが短所だと思っているが、逆に自信過剰なところもある。両極端な性格を持っているようで、落ち込んだ時の自己嫌悪の激しさは辛いだけである。
しかし、自信過剰な時の方が一番自分らしいとも感じていて、自信過剰な時にする仕事など、我ながら見事なものだと思っている。それこそが自信過剰の表れなのだろうが、少なくともまわりは暖かい目で見てくれていそうなのだ。
「あなたは、今のままのあなたでいいの」
美奈子にそう言われると、ますます増長してしまう。
私の感覚では自信過剰というのはあまり人から好かれるものではないように感じていたが、
――自信過剰でどこがいけないんだ。キチッとした立派な結果が出れば、それでいいではないか――
と思っている。自信過剰になって自惚れると、それを他人にひけらかそうとする態度に問題があるのであって、普通にしていれば問題ないように思う。私は自分では普通にしているつもりだが、人から見るとどうなのか。気にはなるが、必要以上に考えてはいない。
あからさまに表に出してしまえば自信過剰は、自惚れに変わってしまう。
幸い人からは、クールなタイプに見られているようなので、自惚れということはないだろう。
時々感じるのは、人からクールに見られる自分が不思議に思うことだった。気持ち的には、
――熱しやすく冷めやすいタイプ――
だと思っている。冷めやすいところをクールに見られるのは分かるのだが、熱しやすいところを別に隠そうとしているわけではない。どちらかというと熱しやすいところは、露骨に表に出す方だと思っていたくらいである。それは顔に出てしまうということであり、自覚としてあまり顔に出さないように心掛けていたもの事実である。
心掛けているといっても、そう簡単に顔に出ないようにできるわけもないにもかかわらず、あまり人に気にされていないということは、よほど普段の態度が無表情なのかも知れない。それにしても普段が無表情なら、少しでも違う表情になれば目立つのではないかと思うのは考えすぎだろうか。
そういえば、前の会社にいた厭味な先輩社員。彼は、私にとって天敵のような人で、普段から憎しみにも似たあからさまな表情が印象的だったが、人によっては実にクールな性格に思われていたようである。
「あの人がクール? そんなわけないでしょう」
思わずクールだと言った同僚に食って掛かりそうになったのを、必死で抑えた記憶がある。
「いや、俺だけじゃなくて女性にもそんな風に見える人がいるらしいぞ」
「そんなバカな」
自分の中の印象と人が感じる印象が一致しないだろうことは、頭の中では分かっているつもりだった。しかもそれはあくまでも頭の中だけの考えていることであったので、冷静に考えれば納得できたのだろうが、その時は納得できるほど落ち着いた精神状態ではなかった。
自分に対して、今までの考え方が間違っていたこともショックだったが、厭味な人は皆が厭味に見えるのだろうと思っていたことで、精神的にもっていたところもあったのが、まるで緊張の糸が切れるように、
「プッツン」
と音がするのを感じた。それは自分が孤立無縁で、被害妄想の塊であったことを思い知らされた瞬間だったに違いない。前の会社を辞めた最大の理由がそこにあったのだ。
「せっかくの大会社、もったいないじゃないか」
と人から言われたが、
「人間関係がどうしてもうまくいかなくて……」
という漠然としたことしか言えないが、聞いた人は会社に関係のない人であっても、大方のことは想像がつくのではないかと思えるほど、意気消沈していた。少なくとも自分はそう思っていたのだが、まわりはそこまで気にしていなかったようだ。
「まあ、いろいろあるよな。お互いにがんばらないとな」
そう言って励ましてくれる。
しかし一つ気になったのが、
――厭味な先輩社員と、どこか似たところがあるのかも知れない――
と感じたことだ。
――内面的には燃えあがるものを持ちながら、他人からはクールに見られる――
作品名:短編集31(過去作品) 作家名:森本晃次