短編集31(過去作品)
快感が昂ぶってくる中で、喉を鳴らしながら出てくる言葉は、もはや言葉と言えるものではなかったように思う。私自身も快感のため、入ってくる音すべてが遠くで響いているような感じがしていて、
――すべてが意識の外で行われていること――
のイメージで、自分の中から沸き起こる何かに身を委ねることの素晴らしさを感じていた。それがきっと、素直な自分に気付くことなのだろう。
美奈子によってもたらされたことではあるが、初めて気付いた自分の中にあるものに、私は酔っていたのだ。引き出してくれる相手が美奈子だったことで、さらなる素直さを感じることができたのだろう。美奈子から「素直」という言葉を聞いていないと、自分でここまでハッキリと意識はできなかったように思う。あまり表情の変わっていない私だったが、美奈子にはすべてが分かっているようだ。
美奈子を抱いていると母のことを思い出してしまう。決して出会うことのなかった母と美奈子だが、同じ時間、同じ空間に存在していれば、どんな感じだっただろう?
母を思い出す時に美奈子の顔がよぎるのだが、美奈子を抱いていると母を思い出すのと少し違うような気がする。強引に頭の中で同じ空間に収めてしまおうとするのは、きっとその違いを確かめたいと思っているからに違いない。
二人とも、どちらかというと周りからはポーカーフェイスに見られる方だった。自分の弱みを見せまいと、つっぱっているのだろうか?
あまり表情を変えない人というと、自分の心の底を覗かれることに嫌悪感を感じている人だったり、燃え上がりがちな気持ちを必死で抑えている人だったり、過去に何かあって自分の気持ちを封印したりした人だろうと思っている。母の場合も美奈子の場合も過去に何かがあったようには思えない。私が見ていてそれほど物静かに感じないからだ。
中山氏もポーカーフェイスだ。最初気付かなかっただけに、気付いてしまうと余計に気になる存在になってしまっていた。表情を変えないからこそ気になるというもので、気持ち悪さも伴ってか、今では私の中で気になる人の一番手にまでなっていた。
だが、彼の場合だけは、私が見ていても他の人が見ていても同じように見えるらしい。実際はそっちが本当なのだろう。母や美奈子のように、私だけが違う目で見ている方が変なのだ。
それも考え方かも知れない。
美奈子にしても母にしても、私の中では特別なのだ。他の人とは違う存在感であって不思議はない。それだけ気にして見ているからだ。
――他の人が感じないことを私だけが感じる――
このシチュエーションに感動するのも当たり前である。
そういう意味では中山氏は私にとっては別格ではない。だが気になるのだ。これから別格になるような予感があるが、まんざら気のせいではないような気がする。
母と美奈子が私の中でダブッて感じている間は、きっとそれはないような気がする。母が亡くなって出会った美奈子。時々、
――母が美奈子に会わせてくれたんじゃないだろうか――
と感じることもあったが、そんな夢みたいなことがあるわけもない。だが、母に美奈子を紹介してみたかったのは事実で、きっと美奈子のことを気に入ってくれただろう。
――いや、果たしてそうだろうか――
もう一人の自分が語りかけてくる。
――似た性格の人は、お互いが分かるだけに、嫌な面も見えてきて、反発しあうんじゃないのか――
とも思う。
特に似ていると自分たちが意識すればその気持ちは伝わるものらしく、同じ時期に気付くのではないかと思うのも邪推ではないだろう。
他人の目から見たのと、お互いに感じていることは少し違うかも知れない。それは中山氏を見ている自分を考えれば分かることだ。
母にしても、あれだけ表情豊かだと思っていたのに、近所の人や友達の間ではポーカーフェイスで通っていることを不思議に思ったくらいである。美奈子にしてもそうだ。きっと女性友達や同僚に対する態度と私に接するのとでは、かなり違いがあるはずである。
私にとっては願ったり叶ったり、それだけ私のことを愛してくれていて特別だと思ってくれているはずだからだ。これこそ男冥利に尽きるというものである。
石ころのような存在の中山氏のことを考える時、ふと、
――彼は本当に存在しているのだろうか――
と感じる時がある。
母と美奈子も出会うことがなかったのは、必然だったような気がする。
もし出会っていれば……。
私と中山氏のような感じではなかっただろうか?
私が中山氏を意識し始めて、まわりの人が私をあまり気にしなくなったように感じる。それまでは、私の存在は会社の中では大きかったことだろう。取締役部長の紹介で入ってきたのだ。一目置かれても当然である。
しかし、今他の人の目は中山氏に注目しているようだ。経理で目立たない変わり者だと思われていた彼が、社長の目に留まり、彼のような堅実で几帳面な人物がもてはやされるようになったのだ。会社なのだから、当然、方針もいろいろ変わるだろう。しかしいきなりのこの変化にはさすがの私もビックリした。どちらかというと、過激な変革を求めて思い切ったことを話してきた私とは、方針が根本的に違う。
私は次第に会社の中で影が薄くなってくるのを感じていた。そのうちに窓際族と呼ばれるような存在になるかも知れない。
――中山氏になんて気付くんじゃなかった――
夢であってほしいと感じていると、私を呼ぶ女性の声が聞こえてきた。
「あなた、大丈夫? すごい汗よ」
そこには、パジャマ姿の美奈子の姿があった。私の額の汗を拭きながら心配そうに見下ろしている。
「ああ、大丈夫だよ」
気を取り直して考えれば、私は美奈子と結婚をしていた。夢の中で、結婚前のことを思い出していたようだ。結婚を考えた頃のことをである。
夢に出てきた男は、そういえば私だと覆っていたが、違うかも知れない。いたような気もしているし、いなかったような気もする。文字通り石ころだ。
それにしても嫌な夢だった。せっかく引き抜かれて入って、これからだと思っている会社である。窓際族になんてなって溜まるものか。今は美奈子とも結婚して幸せな生活をしているではないか。しいて言えば、美奈子と一緒にいることで、母のことをあまり考えなくなっているのは親不孝かも知れない……。
その日の私は文字通りポーカーフェイスで会社に出社した。最近はあまり感情を表に出さないようにしている。意識してではないが、気がつけば表に出していない。出社して、小声ではあるが、挨拶をする。
「おはよう」
いつもなら、皆大きな声で、
「おはようございます」
と返ってくるのだが、今日に限っては誰も私に返事を返してくれる人はいない。
――おかしいな――
と思いながら席へと向ったが、その途中で、数人で話をしているのが聞こえた。
「今日、新入社員が入ってくるらしいですね。何でもクールな人らしいですよ」
「え、私には表情豊かな人に感じましたよ」
総務の女性がそう言った。私には寝耳に水だった。人事関係の話で一番最初に知るのは私だったので、少し面白くない。
「新入社員が入ってくるの?」
作品名:短編集31(過去作品) 作家名:森本晃次