短編集31(過去作品)
営業成績にシビアに現れる。自分がこの仕事に向いていないのではないかという疑問を抱き続けたままの仕事は辛いだけだった。かといって他の仕事に移る自信もない。結局同じ体質を繰り返すだけに思えるからだ。
そういうところは冷静な隆二である。時々自分を客観的に見ることができるのは、長所か短所か。とにかく、冷静な自分が戒めることで、何とか仕事を曲がりなりにもこなせている。
――冷静な自分ってどこにいるのだろう?
時々現れては気がつけば消えている。不思議だった。
Y住宅地に初めてやってきたのは、冷静な自分の存在に気づき始めた頃だった。それまでは新興住宅地としてほとんど人が住んでいなかったので、あまり気にもしていなかったが、住宅地の宣伝効果が功を奏してか、ある日を境に入居者が増えてきた。それは駅前の区画整理が進み、本格的に土地買収が進み始めてからのことだった。
「○○建設からの情報だが、今度の区画整理でY住宅地にだいぶ住人が引っ越すらしい。今までの駅前とは違い、かなり優雅な生活になれるだろうから、営業するには持って来いだ。これからはお前が重点的に攻めるんだ」
課長からのお達しであった。
なるべく顔を合わせたくないと思っていた課長に呼び出されたので内心ビクビクしていた。言葉はきつめだが、表情は穏やかだった。純粋な新規開拓ではないので、やりやすいと思ったのだろう。隆二も少し気が楽だった。
――ダメで元々か――
特にその頃には少し開き直りの気持ちもあったことで、課長の考えが今までと違うことを悟っていた。まるでいじめのように感じられた言葉の端々に優しさとハッパをかけてくれているということが分かるようになってきたのだ。開き直りが、
――落ちるところまで落ちれば後は這い上がるだけ――
と感じさせるにふさわしいことが分かってきた。
鬱状態から立ち直る時、それが開き直りであることに気づいたのはその時だった。急にではないのかも知れないが、気がつけば細かいことを気にしなくなっていた。感覚が麻痺してしまっているかのようで、すべてが悪い方に考えていたにもかかわらず、今度は悪い方に考える要因が見つからないようになっている。極端な変わり方だ。
――躁鬱の躁に違いない――
反動と呼んでもいいだろう。それまでのグレーに見えていた世界が、急に開けてきて、眩しくてハッキリ見えないくらいの光を浴びた場所、光が当たってくっきりと浮かび上がる影、両方を感じることができる。新興住宅街であるY住宅地に初めて足を踏み入れた時に、ハッキリ明と暗の世界を見つめることができた。
空に浮かぶ綿菓子のような雲が足早に流れている。風が心地よく、そこまで歩いてきて疲れた身体を撫でるように癒してくれる。こんな心地よさは久しぶりだ。ちょっと前まで鬱状態だったなんてウソのよう。それだけに太陽が眩しく見える。特に夕日の眩しさは今までに感じたのとは少し違い、疲れを感じない。
今までに感じた夕日は、疲れを伴うものだった。小学生の時、友達と表で遊ぶことの多かった隆二少年は、夕日には特別な感情を持っていた。
疲れた身体に容赦なく降り注ぐ夕日。身体がオレンジ色に染まっていくような錯覚さえ覚え、足の裏に凝りを感じるほどであった。歩くのが辛くなったりしたが、襲ってくる空腹感を耐えることで、疲れを麻痺させていたように今から考えると感じるのだ。
その日は、初めて足を踏み入れる日だった。営業サイドの話が持ち上がり、実際に現地へ出向いていったのはそれから一ヶ月ほどしてからだった。閑静な住宅街だと聞いていたが、見るとそうでもないように思える。遠くの方にはマンションが立ち並んでいて、静かに見えるのは表面上だけかも知れない。
足を踏み入れただけでそこまで感じるなど、それまでにはなかった。自分もいよいよ営業畑を歩んできただけのこともあったと感じたが、同時に会社人間になりつつある自分を憂いてもいる。
夜になるとさぞかし寂しいところだということは想像がつく。犬の遠吠えも聞こえてきそうで、目を瞑るとマンションのベランダからアリのように小さな人の流れを見つめているように感じる。
――おじさんのマンションを思い出しているんだな――
と感じた。まず犬の遠吠えから想像するあたりが、閑静さを思わせ、マンションの高さから遠くに見えるはずのものが近くに見えるという錯覚を感じる。
子供の頃、それが中学時代であっても成長期に見たものは、大きくなって思い出してくると、かなり大規模に覚えているものだ。実際に大きくなって行ってみると、
――この道、こんなに細かったかな?
と感じたり、
――この公園、こんなに小さかったんだ――
と自分の成長を今さらながらに思い知らされる。
それと同時にY住宅街を一目見て、
――以前にも見たような気がする――
と感じたのは、同じ大きさとして見たことを感じたのだ。小さい頃の記憶ではない。それもごく最近のように思えるのは夢で見たからだろうか?
隆二は正夢というのを信じる方ではないが、それは、
――夢とは潜在意識が見せるもの――
という感覚があるからだ。夢であっても記憶のどこかに潜在していなければ絶対に見ることはないというのが彼の考えだ。極端であることは分かっているが、夢というとらえどころのないものを考える時は理論付けて考えないと結論など生まれないことが分かっているのだ。
夢で見たものはまず細かいことは覚えていない。色だったり大きさだったり、記憶にないことが多い。もし記憶にあったとすれば、それは潜在意識の中で感じている色だったり大きさだったりするもので、夢の力によって作り出されたものではないだろう。
夢には何かしらの魔力がある。普段冷静であっても夢の中で冷静を保つことができるか不安なのだが、客観的に見ている自分の存在がその不安を解消してくれる。
Y住宅の中の一角から攻めることにしたのは、住宅街ができたはいいが、まだ完全に住人が入りきっているわけではなく、一定の地域に固まっているからだ。バス停に近かったりスーパーに近かったりするあたりは当然のごとく住人が埋まっていく。学校の近くもしかりなのだが、実際に学校のそばを通った時には、グラウンドから子供たちの元気な声が聞こえていた。小高くなった丘の上に建っている学校は見晴らしもよく、子供が遊んだり学んだりするには最高の環境だ。
隆二は後輩の宮本と行動をともにすることに違和感はない。今までも何度かともにしてきたが、彼も自分もそれほど競争心というのはない。どちらかというと協調性があり、お互いにオープンにして業績をあげていこうという考えを持っている。もしお互いに相手が競争心の固まりで、
――相手を欺いてでも、自分が――
などと思っている相手であれば、お互いの長所を打ち消す結果になっていただろう。このペアが作為的なものなのか、そうでないのか分からないが、きっと自他ともに認めるパートナーではなかろうか。宮本も多くを語ろうとしないが、きっと同じことを考えているに違いない。だからこそ心が通じ合えて、情報交換をスムーズにできるのだ。
作品名:短編集31(過去作品) 作家名:森本晃次