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短編集31(過去作品)

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 楽しい大学生活を夢見て勉強をがんばってきたはずである。入学すれば何でもできると考えて、いろいろ想像もしていた。しかし、何でもできるはずなどないことに、入学してから気づかずにいたことが鬱状態へと導いたのだ。何しろ高校時代と違い、すべてが開放的な世界。何でもできると思い込んでもそれは無理のないことではないだろうか。
 特に女性にまったく縁のなかった高校時代、彼女がいる連中を羨ましさと悔しさが入り混じった目で見ていたことだろう。どちらが強かったかは今さら思い出せないが、ほぼ半々くらいではなかったか。だが、大学に入れば自分にもという思いが強く、その思いが日増しに大きくなってくるのを感じていた。
 受験勉強の合間も、そのことが頭にあり、時には邪魔になり、時には励ましになったりしたものだ。
 入学が決まった時にはそれこそ狂喜乱舞。開放感から身体が充実感で支配されていた。
大学というところが高校とまったく違うところだということは、先輩から聞いて知っていたが、見ると聞くとで大違いだということを初めて知ったのもその時だっただろう。
 最初にキャンパスに足を踏み入れた時はまだ受験生。入学できるかどうか分からないまま、通り過ぎる学生を見ていたものだ。だが、入学が決まってしまえば、そこはもう自分の世界、間違いなく四月には自分がいる姿を想像できるのだ。
 入学してしばらくは有頂天だった。友達も徐々に増えてきて、一人暮らしの部屋に友達が遊びに来ることで寂しさを感じることもなかったのだ。
 まるでずっと前からここの学生だったような気がした。暗かった高校時代からの豹変が、自分をそんな気持ちにしたのだ。そうなると、何でもできるような気がするのも無理のないことで、実際に友達との会話では、夢のような話を話題にしていたりしても、何ら不自然ではなかった。
 話は自然と、女性のことになる。大学生くらいになれば当然だろう。もちろん想像していたことなので驚きもなかったが、友達の口から聞く女性の話はすべてが新鮮だった。
 それまで隆二は女性の身体を知らなかった。受験生の頃はまじめそのもの、それまでは話は聞いても、右から左で興味のないような顔をしていたものだ。
 だが、実は一番興味津々になるのが隆二のように何も知らない男である。友達も分かっていたのだろう。聞きたくもないようなことまでどんどん話してくれる。
 そんな話を聞かされて、やっとこさ入学できた大学、そこでの生活は半分、女性のことを考える生活だったと言っても過言ではない。
 女性を知らないことが少し気になっていた。まわりは皆大人に見え、自分だけが乗り遅れているような錯覚に陥れば次にやってくるのは焦りだった。
 大学に入学して間がないのだから焦ってみても仕方がないのは分かっていたはずだ。だが、大学という環境だからこそ、却って焦ってしまったようにも思う。以前からずっと大学生だったような気がしていたのも焦る原因だったのかも知れない。今までに感じたこともないような開放感は、充実感だと思わせるに十分だったが、一旦そこに疑問を感じれば少しずつ大きくなってくるのも仕方がない。
 小さなほころびがやがてすべてを狂わす元凶になるということを知らなかった。開放感が充実感とは違うということを思い知ったのは、それからしばらくしてからだった。
 きっと「五月病」というものが一緒に訪れたのだろう。話には聞いていたが、何をやっても充実感を感じることができず、虚しさだけが自分を包む。大学に行っても昨日までと違うところに来たような気がして不思議な感覚に陥った。
 だが、そんな大学の風景を見ても、
――ずっと前から知っているような雰囲気だ――
 と思えてならなかった。
 確かに普段の明るいキャンパスとは違っていた。光と影がはっきりして見えていたキャンパスとは裏腹に、どんよりと曇ってしまっていて、光と影の境目がよく分からない状態になっている。
 五月病という自覚が最初からあったわけではなかった。友達も同じように鬱状態になった人もいて、
――かなりきつそうだな――
 とまるで他人事のように思っていたが、自分を包んでいる重たい空気が同じものだとは思えなかった。苦しんでいる友達の方がよほど精神的に辛そうに見えて、自分のこととなると他人事である。苦しいことからの逃避がそんな気持ちにさせるのだろうか。
 五月病から立ち直るまでにかなりの時間が掛かった。どれくらい掛かったかは分からない。気がつけば立ち直っていたというのが本音だからだ。
 学校に行くと今までと何ら変わりのない風景が広がっている。ただ、暗く見えていただけなのに、それも徐々に以前のような光と影がハッキリとしている世界に戻ってきている。自分の気持ちがまだ鬱状態なだけに、却ってまわりが変わっていないことへの憤りのようなものを感じた。
 やり場のない怒りがこみ上げてくる。きっとそれは自分に対しての苛立ちであろう。まわりが元に戻っていく中で自分だけがそのまま、追い詰められたような気持ちになっていたのだ。
 それでも人間の自然治癒能力というのが働いたのか、気分はだいぶスッキリしてくる。それどころか、今までにないほどあまり細かいことを気にしない自分に気がついた。
 元々心配性で小心者の隆二は、普段から考え事の多いタイプだった。そのために、考えすぎて袋小路に入り込むことが往々にして多かった。それでも今まで鬱状態に陥らなかったのが不思議なくらいだ。
 だからこそ不安にもなる。
 まだ学生の身分だから鬱状態に陥らないんだと思うと、これからやってくる人生の山が怖くなってくる。最初から怖がりな性格なので、余計なことを考えてしまい、考えなければいけないことを疎かにしてしまいそうな気になるのだ。五月病というのは、自分だけではなく皆共通で掛かるものなので、却って安心感があるが、実際に掛かってしまうと他の人が気になってくる。他の人すべてが自分よりもきついように思えるのも隆二の性格だろう。
――自分が考えていること、経験していることは、他の人はすべて経験済みだ――
 といつしか考えるようになっていた。
 そんな考えがどこから来るのか自分でも分からなかったが、まわりがすべて自分より偉い人だと思うようになったのは親を見ているからだ。
 厳格な父親に、それに逆らうことのできない母。男というのはいつも厳格で、女はそれに従う。それが父の考えだった。だが、到底自分にそこまでの厳格さがあるわけがない。子供だったのだから当然だ。だが、その気持ちを持ったままずっと育ってきたことで、まわりの人間がすべて自分よりもしっかりしている気がして仕方がなかった。実際に決断力がある方ではなかったし、どちらかというと誰かがすべてを丸く治めるだろうと考えていたので、なかなかうまくいくはずもない。自己嫌悪に繋がってもしかるべきだ。
――何か人より優れているものが自分にもあるはず――
 そう考えながら試行錯誤を繰り返してきた。しかしそんな考えが強ければ強いほど自分の中でプレッシャーとなって大きくなってくるのが分かってくる。中学、高校時代と皆はそれぞれグループを作っていたが、隆二はそのどれにも属するようなことはなかった。
作品名:短編集31(過去作品) 作家名:森本晃次