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短編集31(過去作品)

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――住宅街に住んでいる人とマンションに住んでいる人では人間が違うんだろうか?
 単純な疑問である。
 住宅街の一軒家に住んでいる人たちは、優雅な生活を営んでいそうで、近所付き合いも頻繁にありそうだ。だが、マンションに住んでいる人は、いくら隣室が近いとはいえ、ほとんど顔を合わせることもなく、下手をすると、隣に住んでいる人がどんな人かずっと知らないでいることもあるだろう。
 おじさんの住んでいるところは賃貸マンションである。このあたりは分譲も多いが賃貸も多いと聞かされていて、特に賃貸などは、入れ替わりが激しいように思える。転勤の多い人が借りていることが多いので、隣の住人が入れ替わってもまったく知らなかったなどということが日常茶飯事であっても不思議ではない。
 時間的には夕方に差し掛かった時間で、学校がその日は昼までだったこともあって、昼食を済ませてから出てきた。それにしても三時過ぎには着くつもりで来たはずなのに、時計を見ると四時半を少し回っていた。
 どこかで寄り道をしたという記憶はなかったのだが、なぜここまで遅くなったのか分からない。だが、あまり深く考えることをしなかったその頃の隆二は、
――おかしいな――
 と思いながらもそれ以上気にすることはなかった。
 犬の遠吠えが聞こえた。さっきまで爽やかだった風が急に冷たく感じられる。そこで立ちすくんでいた時間は、ものの一分くらいのものだと思っていた。気がつけばゆっくり歩き始めていて、目的のマンションは最初に危惧したほど探すのに手間がかからず、すぐに見つかった。
「あら、いらっしゃい。疲れたでしょう?」
 満面の笑みを浮かべたおばさんが玄関から飛び出してきた。おばさんといっても、まだ三十歳を少し過ぎた程度、思春期の隆二には魅力的に見える。しかもこれだけ歓迎されたのだ。気持ちいいに決まっている。
「いえいえ、でも初めて来たところだったので、迷わないかどうか心配だったですよ」
「そうよね。結構時間も掛かったみたいね。あなたが出てからお母さんからお電話いただいて、今か今かと待っていたのよ」
 やはり電話が入っていた。当たり前だとは思っていたが、そんな時に待っていてくれる方はどんな気持ちなのだろう?
 おじさんのマンションは賃貸にしては大きく、八階建ての一番上の部屋だった。当然見晴らしも最高で、ベランダから見せてもらった光景は絶景と言わずして何と言うかであった。
「毎日こんな景色を見ながら暮らせたら最高でしょうね」
 その頃までの隆二は高所恐怖症ではなかった。今は高所恐怖症なのだが、考えてみれば高所恐怖症になったのは、ちょうどその頃からではなかったか。原因に関してはハッキリと覚えていないのだが、確かに中学の頃から感じていたのは間違いのないことである。
 遠くまで見えた。山のてっぺんが同じ高さに見えるくらいの高さで、じっと見ていれば高さに対しての感覚が麻痺してくるのが分かり、目の前に迫ってくるものがすべて近くに見えてくるくらいである。
 しかし、すべて小さく感じる。山のてっぺんにしても、下界の風景にしても、歩いている人などまるでアリが歩いているようにゆっくりである。それだけではない。下界を見ているとまるで吸い寄せられるように思えて恐ろしくなってきた。
「この景色も最初はよかったのよ」
 おばさんは決してベランダに出ようとはしない。そういえば、その日は快晴で雲ひとつない天気だったにもかかわらず、洗濯物が一つもないことに気づいていた。
「今は違うんですか?」
「ええ、今は怖いのよ。高さには慣れてきているんだけども、下を見るのがとても怖いの。おばさん、高所恐怖症ってわけじゃないんだけどね」
 高所恐怖症の人であれば最初から最上階に部屋などを借りないだろう。
「人がまるでアリみたいに見えますね」
「そうなんだけど、時々大きさがまちまちに見えることがあるの。それがとても怖いのよ」
 おばさんの言うことがいまいち分からない。中学生だから理解できないのだろうか?
「きっとあなたが男だから理解できないのよ」
「えっ? 男だからなんですか?」
「ええ、うちの人も理解できないって言ってたわ。でも、本当は男の人の方が高いところって苦手なんじゃないかしら?」
 何を根拠に男の方が怖いといっているのだろう? だが、その時のおばさんの真剣なまなざしを見ていると、まんざら何の根拠もないなど到底思えない。
 その日、隆二が見たベランダからの光景、時々夢に出てくるようになった。夢というのは潜在意識が見せるものだという意識があることから、高いところからじっと見ていることがある。
 怖いと感じているのが、かなしばりに遭ってしまっているためでそこから動くことができない。少しでも動けば足元が崩れ落ち、そのまま真っ逆さまに果てしない谷底へと転落していくような感じがするのだ。
「誰か、誰かいないのか……」
 声にならない悲鳴を上げる。それも意識してのことである。声を上げてしまえば、ちょっとした振動が起こり、そのまま転落すると思っているからだ。
 身体を動かすことはもちろん、首を動かすこともままならない中、一体いつまでこんな格好を続けているのだろう。アリのようにゆっくりと歩いている人間を真上から眺めている自分を客観的に見ている。
――これは夢なんだ――
 客観的に見ている自分がいることで、それが夢であることを自覚できる。自覚できることで、
――空も飛べるんじゃないかな?
 という冒険心が頭をもたげるが、次の瞬間、
――人間は空を飛ぶことなんてできないんだ――
 と考えるもう一人の自分がいる。
 それが客観的に見ている自分であって、一番冷静なのかも知れない。それも潜在意識の成せる業である。夢を見ていると自覚するのは潜在意識を自分が意識していることが前提なのだ。
 それだけにそこを動くことはできないのだし、高所恐怖症に怯える主人公である自分のことが分かるのだ。
 その夢におばさんは出てこない。
 おつかいに行った日、おじさんの部屋にそれほど長居したわけではなく、すぐに家に帰った。帰り道は来る時と同じ道を通ったはずなのに、まったく知らない道だったように思えるのが不思議で、あれだけ長く感じた道のりがあっという間だったと感じたことにもおかしな気分にさせられたようだ。
 来た時には、
――初めて来るのに、以前にも来たことがあるようだ――
 と思ったのに、さっき来た道を帰っているのに、今度は、
――まったく初めての道のように感じる――
 という矛盾した考えが頭をもたげ、理屈にあっていないことが自分の感覚を狂わせるのだった。
 同じように、
――前にも一度来たことがあるような気がする――
 と感じたことがあったのは、大学時代だった。
 大学に入ると田舎を離れ都会へと出てきた。初めての都会での生活、しかも一人暮らしである。不安と期待が渦巻いていたが、不安の方が数倍大きかったかも知れない。
 虚勢を張ってはいるが、元来小心者の隆二である。期待の裏側にある不安は、期待が大きければ大きいほど、さらに大きく膨れ上がっている。
 入学してからすぐに鬱状態に陥った。
――こんなはずでは――
作品名:短編集31(過去作品) 作家名:森本晃次