短編集31(過去作品)
睡魔というより心地よい眠気が襲ってくる時がある。ゆっくりと撫でられると重くなった瞼を開けることができなくなるほどだが、それも長くは続かない。私の意志に逆らうかのように敏感な部分が激しく反応したかと思うと、まいは私の足元から、上目遣いに見つめている。その表情はまるで女猫と評されるほど淫靡で、男の性をくすぐるには十分である。
お金もそうそう続くわけではないので、まいに会える時は決まっている。当たり前のことなのだが、私が行かない時には、他の男の相手をしているのだ。そんなことを考えればたまらない気持ちになってくる。なるべく考えないようにしないといけないだろう。
「おかえりなさい」という言葉は、彼女に似合っている。
アパートで一人暮らしの私にとって「おかえりなさい」などと言ってくれる人はおらず、玄関を開けるといつも冷たい空気が中から滲み出していた。それにくらべ、まいの部屋は暖かく、さらに明るく私を迎えてくれる。それが嬉しいのだ。
最初、風俗というところを卑下していた私は、まだ薄暗く、さらに簡易なところだと思っていた。実際に簡易で薄暗いのかも知れないが、まいといるとそれだけで、明るく感じるのである。
「今度からは私を予約してきてね」
「どうしてだい?」
「私はこれでも人気があるのよ。それに、電話で予約してくれれば指名料も入るのよ」
こういう店は指名料というのを、別料金で取っている。しかし、人気のある娘は指名して行かなければ待たされたり休みだったりして、せっかく士気揚々として出かけたにもかかわらず、肩透かしに遭うことになる。それでは何のためにそれまで気分を高めてきたのか分からなくなるからだ。
一度私は予約せずに行ったことがあった。それまでにまいとは何度か相手をしてもらっていて、当然他の娘に相手をしてもらったことなどなかった。その日はちょうどまいに先客がいて、
「まいさんでしたら、一時間ほどお待ちになってもらうことになりますが」
という申し訳なさそうなボーイの返事を聞かされた。
ここの店のボーイは、皆しなやかな身体に色白で、歌舞伎の女形でもやれば似合いそうな男ばかりであった。そのくせ、気持ちを決して表に出すことなく、黒子のような存在である。客の目的も女性にあるので、いちいち男を気にしたりしない。あまりゴツゴツした男がウロウロするよりも、却っていいかも知れない。
「そう、じゃあ、ちょっと待って」
そう言って、少し考えてみた。
ここまで来て、何もせずに帰るのは辛い、何といっても自分で高めてきた気分を壊すのは、一番辛いことだ。しかしまいを待つ時間を考えると、きっと長く感じるに違いない。一時間といっているが、実際には三時間くらいに感じることだろう。そして得てしてこういう時に中に入ってからは、時間があっという間に過ぎるに決まっている。待っている間には、
――時間よ、早く過ぎてくれ――
と感じていて、やっとの思いで時間を過ごすのだ。
今度は、
――時間よ、ゆっくり過ぎてくれ――
では、あまりにも虫が好すぎるというものである。
しかも待っている時間がもったいないではないか。悶々とした時間を考えると、とても耐えられるものではない。それとて、ここまで来て何もせずに帰るというのも、愚の骨頂だ。
自ずと結論は見えていた。
「じゃあ、誰かフリーの娘はいませんか?」
今さら指名する気にもならない。指名するのであれば、まい以外には考えられないからだ。
ちょうどフリーの娘で「明日香」さんが空いていた。
「では、明日香さんです」
通された部屋は、まいの部屋と少し造りが違っていた。
「よろしくお願いします」
まるで初めてのような錯覚を感じていると、明日香も私が初めてだと思ったのだろう。
「まあ、そんなに緊張なさらなくてもいいわよ」
と私をベッドに座らせて、横に寄り添うようにいてくれた。きめ細かな肌は、部屋の中が暖かいにもかかわらず、手の平で撫でると、冷たかった。特に太ももは冷たく、そのうちに温かくなるのではないかという気持ちを込めて、ゆっくりと大きな円を描くように撫でている。
少しビクッとしたのを感じたが、明日香は、黙って私にされるがままである。実に従順そうで、私のタイプには違いないのだろうが、何かが違うように思えて仕方がない。
――無意識にまいと比較しているのだろうか?
これが、先ほど悩んで決めた結論だという思いが頭にあるからかも知れない。
明日香が嫌だというわけではない。私にとって、明日香も十分に魅力的だからだ。特に胸から腰にかけてのラインのふくよかさなど、まいに比べれば実に抱き心地がいい。
眠気も襲ってくる。心地よい眠気なのだが、なぜかまいに感じた眠気とも少し違う。それでも身体は正直なのか、一生懸命に明日香の身体を貪っている。それはまるで赤ん坊が必死に母親の胸を吸っているようなそんな気分で、静かな部屋には、私が明日香の胸を吸う音だけが響いている。
「シャワーにいきましょう」
ここからが明日香のサービスの始まりである。初めての私に対して明日香はリラックスさせてくれようと絶えず話しかけてくれる。その心遣いがとても嬉しく、私の身体はさらに反応していた。
――前から知っていたような気がする――
その日が初めてなどと思えない懐かしさがあった。これだけは、まいに感じなかった思いである。私はビックリしていた。ここに来て私がまい以外の女性にそんな思いを抱くなど、思ってもみなかったからだ。
――私は浮気っぽいのだろうか――
そう思うと情けなく感じる。
――所詮相手は、風俗嬢――
いろいろなことが頭を巡るが、すぐに頭を左右に振って、
――いやいや、それを言っちゃあ、おしまいだ――
少なくとも私に至高の時を与えてくれる彼女たちに失礼である。
確かに、お金を払って一時の恋人気分に浸れるということを言ってしまえばそれまでなのだが、ここにはそれだけではない魅力がある。ある意味潔癖症の私が、いくら誘われたからといってやってくる気になったのは、以前に聞いた友達の話からである。
「風俗って皆が考えているほど、嫌らしいだけのところじゃないんだぞ」
その友達は、仲間内以外でも平気で、自分が風俗通いしていることを大っぴらに話すやつだった。
「どういうことだい?」
「ああいうところには、性欲だけを求めていく人ばかりじゃないってことさ。年配の老人ともいえるような、もうできないんじゃないかなって人も行ったりするんだぞ」
「どうして知ってるの?」
「彼女たちに聞くからさ」
「そんな話ができるんだ」
私は感心してしまった。
「そうそう、風俗って、行って出すだけっていう、そんな単純なものじゃないのさ。ひと時の恋人気分になりたくて行く人や、ただ女の子とお話するだけでもいいって人だっているんだ。それが年配の人だったりするんだ」
「でも、やっぱりそれって寂しいような気がするな」
「それだって、その人それぞれの考え方じゃないのかな? 安らぎを求めて行く人だっているんだ。だから、風俗は遊びといっていいんじゃないかな?」
作品名:短編集31(過去作品) 作家名:森本晃次