生まれ変わりの真実
それも、無意識のうちに考えたことだった。迫丸に愛されていて、他のことを考える余裕など、自分の中にはなかったはずだ。快感は感情を支配し、感覚だけが研ぎ澄まされているはずであった。それを快感以外の感情を抱けるというのは、夢の中だからなのだろうか?
いや、そんなことはないだろう。夢の中だからこそ、却って、あまりいろいろ考えられないような気がする。それは、夢を見ている自分が、現実世界の自分とは違っていると思っているからだ。
現実世界で、夢の世界を思い出せないように、夢の世界でも、立ち入ることのできない現実世界があるはずである。夢の世界は確かに潜在意識が作り出すものなのだから、潜在意識として残っている現実世界での意識がなければ成し得ないだろう。そう思うと、美由紀の中の感覚は、夢の中であっても、快感が作り出す感情もあるのではないかと思うのであった。
胸を愛していた迫丸だったが、今度は、顔が近づいてくるのを感じた。満を持してのキスに、うっとりしてしまった美由紀は、気が付けば舌を差し入れていた。
恋愛から身体の関係に入る時、最初は必ずキスから始まると思っている。それは美由紀だけではなく、誰もが感じていることであろう。
身体を密着してのキスは、胸が相手の身体に当たり、そして、男性の一番敏感な部分が、女性のお腹のあたりに当たっている。
今までに何度か感じたことのある感覚では、貪るように絡み合う時間は、これから始まる「儀式」の前座などでは決してない。本当の意味での愛情表現なのだと、美由紀は思っている。
だが、夢の中での迫丸とのキスは少し違っていた。
すでに身体は快感に痺れ切っている。いつ達しても不思議のないところまで追いつめられている感覚である。きっと、このまま抱きしめられて、身体を貪るようであれば、一気に昇りつめてしまうことは分かっていた。
それを迫丸は許さない。ここから彼の「焦らし」が始まった。
現実世界での恋愛でも、「焦らし」はあった。それは達してしまう寸前の焦らしではなく、高まっていく快感に対しての焦らしでしかなかった。それを思うと、
――何と現実世界での焦らしが物足りないことか――
と、感じてしまうのだった。
――それにしても、どうして、ここまで現実世界と比較してしまうのだろう?
この感覚は迫丸に対し、最初に感じた、
――余裕の表情――
に起因しているように思えてならなかった。
余裕の表情を感じることで、美由紀にも自分の感情が戻ってきた。蹂躙されていた感覚が解放され、自分で考えることを許されると、それまでただの恐怖しかなかったものが、根本から覆されるのを感じたからだ。
迫丸のキスの時間は、それほど長いものではなかった。今までのキスが、時間を感じさせなかったものであるのに対し、迫丸は、完全に時間を区切っているかのようだった。逆にその方が快感を誘発されることを美由紀は感じた。普段のキスがダラダラだとは言わないが、段階を踏むことによって、次第に快感が増してきて、貪るような感情がないにも関わらず、それと同様、いや、それ以上の快感を得ることができるのだ。
――包み込まれる快感――
それがキスであることを、迫丸は教えてくれた。普段も同じように包み込まれる快感だったはずなのだが、それを意識できるわけではなかった。きっと、それは、その後に訪れる「儀式」による快感によって、打ち消されてしまうからなのかも知れない。前座ではないと思いながらも、結局前座にしてしまっているのは、本当は自分だったのかも知れない。
キスによって得られた快感、これ以上何があるというのだろう?
「えっ?」
迫丸は、それ以上進めるのを、戸惑っているようだった。
初めて見せる迫丸の戸惑い。普通であれば、主導権を握っている相手が戸惑ってしまえば、自分はどうしていいのか分からず、途方に暮れてしまうことだろう。置き去りにされてしまった感覚に陥るからだ。
だが、迫丸に対しては、そうは思わない。彼であれば、きっとすぐに何か行動を起こしてくれるのが分かったからだ。
迫丸の戸惑いが、美由紀に対して見せた、初めての気遣いなのかも知れないと思うと、急に目頭が熱くなり、涙が流れてきた。その顔を見た迫丸は、指で美由紀の顔を拭った。
「大丈夫」
この一言だけだったが、
――これがこの人の優しさなのかしら?
他の人になら、素直に優しさだとして受け入れてしまうような行動だが、迫丸に対しては、それだけではないような気がして仕方がなかった。
まだ、迫丸が、美由紀の一番敏感な部分にまったく触れていないではないか。その間に美由紀は、小さなものを含めて、何度も達しているのを感じていた。しかもそのすべてに幸福という感情を込めた快感が滲み出ていたのだ。
しばしの時間が過ぎ、いよいよという時、迫丸の顔が、変わった。それまで優しさを感じさせる顔だったものが、今度は、オトコを感じさせる顔になった。これは最初に感じた恐怖を感じさせる金縛りに遭わせるような表情ではなく、逞しい男らしさを感じさせる表情である。
――この夢の中で、何度彼の違う表情を見たことだろう――
現実社会で感じてきた迫丸に対しての厭らしい感覚が、一気に変わっていった。
――彼に対してだけは、私の今までの人生の中で偽りだったのかも知れないわ――
果たしてそんなことがありえるのだろうか? 一人の男性への記憶だけが、まったくのウソだったということである。誤解という言葉で片づけられるものではない。だが、どこかで自分の思い込みが誤解を生み、一人の誤った人格を自分の中で作り上げてしまったのかも知れない。この夢は、その誤りを正すために必要な夢なのだろう。
――でも、どうして今なの?
美由紀はそう思い、さらに夢の中の快感に身を委ねた。そうすることで、何か今まで感じていた疑問まで解決できるような気がしたからだ。
迫丸の指が、足の付け根を這っている。
「あぁ」
思わず、身悶えをしたが、今度の身悶えは、感情がハッキリと伝わってきた。感情というのは、美由紀自身が感じた迫丸への思いだった。
――私は、勘違いしていたんだろうか?
這わせて来る指に、微妙な力が加わった。そのたびに反応する身体を抑えることができない美由紀は、急に意識がハッキリしてきたことを感じた。
「あ、いや」
夢から覚めようとしているのが分かった。ちょうどいいところで目が覚めるのは、夢の宿命だが、今目を覚ますことは、美由紀にとって、生殺しの感覚だった。
「夢なら覚めないで」
と、テレビなどでよく聞くセリフだが、まさしく同じ気持ちだった。もちろん、程度の差はあるが、こんな気持ちになるなんて、自分が怖いくらいだった。
だが、目が覚めるまで、まだ少し時間があるようだ。
――早く、本当の絶頂まで持っていかなければ――
身体に支配された感情は、夢が覚めることに気付くと、後は、絶頂を迎えるために動くことを望む。身体の中に流れる血潮は、焦りを伴い、時間との戦いという、現実社会の俗性に向かって、滾っているかのようだった。