生まれ変わりの真実
――夢を見ていたんだ――
誰かに触れられることへの願望はあるが、他人だと怖いという思いがあったのか、それとも、もう一人の淫乱な自分の存在を、こんな形で証明してみたかったのか、おかしな感覚ではあるが、美由紀は声にならない声を上げたかと思うと、忽然と目の前からもう一人の自分は消えていた。夢以外の何者でもないに違いない。
男だと思ったら、女だった。しかもそれが、自分だということは、少なからずショックである。願望が妄想に結びついたということなのだろうが、どう説明していいかは分からない。説明のしようもあるはずがないのだ。
見たモノと感じたことの違い。それは、自分で身体を弄っても、同じ感覚には絶対にならないことだ。
しかも、美由紀は、触る側の自分から、触られる自分を見たわけではない。明らかに自分の中の感覚と、目に映ったものが違っていた。これをギャップとして片づけていいものなのか考えていた。
――妄想が自分の中で大きくなるのを防げるとすれば、それは、再度同じものを見るしか方法はない――
と、美由紀は思うようになった。
それから何度か、同じバスに乗ってみたが、同じことは二度と起こらなかった。きっと、自分を見てしまったことで、妄想が完結してしまったのかも知れない。
――自分を見なければよかった――
と感じたが、あの時、自分の姿を見なければ、何も分からないまま、ずっと追い続けていたに違いない。
何度か同じバスに乗って、二度と現れないことが分かると、もう、美由紀には納得できなくても、納得するに値するものを得たような気がして仕方がなかった。
沙織の部屋の中にいた美由紀も、もう一人の自分だったのだろうか。見たモノと、感覚が違っているとするなら、見ている自分か、感じている自分のどちらかが違っていると考えるのが自然ではある。しかし、それはもう一人の自分の存在を考えてのことで、あくまでも前提として、もう一人の自分の存在を置いておかなければならない。
美由紀は、自分が本当にレズビアンなのかどうか、時々疑ってみることがあった。
「私の中には、確かにアブノーマルな一面があるのは事実なんだわ」
と感じているが、それがレズビアンなのかというのが不明瞭である。
女性に対して、不思議な感覚を持ち、妄想したのと同じ感覚を、何度も味わった気がしたのは、確かだったが、バスの中の出来事のように、忘れてしまった出来事の中に出てきた人は、きっと、もう一人の自分だったことだろう。
今記憶しているアブノーマルな妄想は、氷山の一角で、表に出てこない部分のそのほとんどは、相手がもう一人の自分ではなかったか。
自分の中で妄想が必要な時、もう一人の自分を作り出すことで、乗り越えられると思っていたとすれば、もう一人の自分も、架空の中でのできごとにしか思えなくなるのではないか。
美由紀は、男好きな自分を想像してみた。
男性がそばに寄ってくるようなオーラを発している自分、近くに寄るだけで、香水の香りが充満している。
だが、本当に自分が好きな男性が、どうやったら寄ってくるのかが分からない。なぜなら、どんな男性が好きなのか、自分でもハッキリしないからだ。
男性から優しくされた経験がない。むしろ父親からの苛めに近い仕打ちしか、男性に対してはイメージが湧いてこない。
レズビアンよりも、男好きという方が、まだ印象がいいような気がした。今までに男性を好きになったことはないわけでも、男性から好かれたことがないわけでもない。レズビアンの性癖を知らない友達は、
「美由紀は、綺麗なのに、どうしてなかなか彼氏ができないのかしらね」
と言われたことがあった。
「そんな、綺麗なことなんてないわよ」
と、相手のセリフに皮肉が含まれているような気がしたので、謙遜に、含みを込めるかのように、少し低音で答えた。その会話はそこで終わったのだが、レズビアンであることに気付かれたのではないかと、心配になった。
世間では、同性愛を隠すために、「偽装結婚」をするという人もいるという。そこまで大げさなことは考えないが、結婚を意識する時になるにしたがって、レズビアンであることが引っかかってくるのだった。
好きになった男性に告白すると、相手は驚いたようだった。
「まさか、美由紀さんから告白されるなんて思ってもみなかったよ」
と言っていた。その言葉の裏には、
――ほとんど会話もしたことがないのに、どうして急に?
という思いがあったのだろう。
付き合ってほしいという言葉は、簡単に出てきた。好きだという気持ちはなるべく表に出さないように、ただ付き合ってほしいと言うのは、さほど難しいことではない。普段から、感情を出さないようにすることには慣れている。それは感情を抑えているわけではなく、抑えなければいけない感情が、表に出てこないのだ。
相手の気持ちが揺らいでいる間、美由紀は、言葉を発する気にはならなかった。相手が拒否しても、それはそれでいいと思っていたからで、そこまで考え方が冷めていたのだ。
「ゆっくりでいいんだよ」
「えっ?」
彼は美由紀の顔を見ずに、コーヒーカップを口元に持っていきながら、話した。美由紀は一瞬言葉の意味が分からずに驚きの表情をしていたが、すぐに我に返って出てきた表情は笑顔だった。
彼はその表情を意識していないように、無表情のままだった。少し表情が変わったはずなのに、無表情に思えたのは、最初と最後が無表情だったことと、彼の顔を見ていると、何も考えていないように思えたからだ。
――何も考えていない人の顔に、表情なんて浮かぶはずはないわ――
と、美由紀は以前から思っていた。それは、自分に対して感じたことで、次第に自分以外の人にも言えることだと思うようになったのだ。
その人は、その日、答えを保留した。
――やっぱり私じゃダメなんだわ――
と思ったが、まだ自分の性癖にハッキリとは気付いていない時だったこともあって、さすがにショックだった。
――私の何がいけないの?
自分が好きになった相手が悪かったという発想はなかった。その時の美由紀は、何かあれば、すべて自分が悪いと思っていたからだ。
すべて自分で抱え込むという性格は、子供の頃からで、きっと親の影響からだと思っている。
「人のせいにするな」
何か粗相をしてしまった時、子供であれば、つい自分が悪くないという気持ちから、人のせいにしてしまいがちである。そのことを親は一番嫌った。
大人になった美由紀なら、それくらいの理屈は分かるが、子供の頃に分かるはずもない。親に対して反発の気持ちが一気に噴出したのだが、
――人のせいにしてはいけない――
という道理は、自分の中で確立してしまった。
親の言うとおりになることには、たまらない気持ちであった。それに反して自分の気持ちが親の言うとおりになることでジレンマが生じ、それがさらなる親に対しての恨みに増幅して行ったのである。
「これからしようと思ったのに」
このセリフも何度吐いたことか。それは父親に対してではなく、母親に対してだった。
母親は、
「ちゃんとしないと、お父さんから言われるわよ」