生まれ変わりの真実
美由紀のように漠然と、紅茶を一つの種類として見ているわけではないようだ。ここまで趣味として愛しんでいるのを見ると、明らかに自分の感覚とは違っていた。会話をしていても、向上性が感じられ、美由紀の思い過ごしであったことが分かった。
食事を済ませると、いきなり、
「私のお部屋に来ませんか?」
と、沙織が誘いを掛けてきた。
女性の部屋に招かれるのは、あまりあることではない。以前に、鈴音に招かれたことがあったくらいだ。それにしても、いきなりである。鈴音の時もいきなりの感覚はあったが、偶然出会って、その日にいきなりというわけでもなかった。ただ、それでも、相手が沙織だと、いきなりだということでビックリさせられたのは、一瞬だった。次の瞬間には、笑顔で、快諾していたのだ。
沙織の部屋は、別に感じるもののあまりない部屋だった。鈴音の部屋はこじんまりとした感覚があり、美由紀には新鮮さと、自分のイメージに合わなかったところを、何とか理解しようと考えていたことを思い出したが、沙織の部屋には、すんなりとイメージが入り込むことができたのだった。
部屋からは、紅茶の香りを感じることができた。
――なるほど、紅茶が好きだと言うのは頷ける――
小さな観葉植物が点在している部屋に香ってくる紅茶の香りは、次第に部屋のイメージを変えてくる感覚があった。奥にあるテーブルの上に写真立てがあり、そこには、沙織と一緒に一人の男性が写っている。
「これは?」
「前に付き合っていた男性なんですけど、昨年、事故で亡くなったんですよ」
それほどショックな様子を見せずに淡々と話してくれた沙織だったが、その様子を見ていると、彼の死は、沙織にとって「過去」のこととなっていることを伺わせた。男性をよく見てみると、優しそうな顔をしているが、美由紀には、沙織と本当にお似合いだったかどうか、疑問を感じていた。あまりにも淡々としている沙織を見ているから、そう思うのか、それとも写真の中の男性に、何かありそうな気がしているからなのか分からない。ただ、その時、もう一つの考え方があったのだが、それを美由紀は意識していなかった。わざと意識しなかったのか分からないが、もう一つの考え方というのは、
「自分が男の目で写真の男性を見ている」
ということであった。
自分の中にレズビアンの性癖があることを、その時は意識していなかった。忘れていたのか、それとも、無意識に意識しないようにしていたのかのどちらかなのだろうが、美由紀には、意識しないようにしていたのではないかと、あとから思うと感じるのだった。
美由紀は、元々、レズビアンの相手を沙織に求めていたはずなのに、意識しないようにしていたというのは、どういうことだろう? どのあたりから意識しなくなったのかを思い返してみるが、考えられることとしては、最初に交差点で出会った時なのか、喫茶店でパスタと紅茶を食している時なのか、それとも、沙織の部屋に招かれた時なのかのどれかであろう。
一番考えられるのは、沙織の部屋に招かれた時である。
最初に、部屋に何ら感覚的な違いを感じなかった。それなのに途中から、次第に部屋の中の変化に気付くようになった。ということは、部屋に入った瞬間、まるで自分が違う人になったかのような錯覚を覚えたのかも知れない。そう思うと、美由紀の中で心境の変化があったとすれば、それは、沙織の部屋に招かれた時ではないかと思うのが、一番自然ではないかと思うのだった。
沙織が美由紀を部屋に案内してくれた意図は何だったのだろう?
美由紀の考えをいち早く察し、警戒していることを事前に知らせようというものだろうか? それには、美由紀が勘の鋭い女性であることを見切っていなければできないことだ。だが、考えられないことではない。美由紀自身、表に自分の考えを出さないようにしているつもりでも、オーラのようなものが発せられることがあるらしい。
それは相手にもよることだが、美由紀のオーラを感じ、指摘してくれた人も今までにはいたのだ。
沙織も勘の鋭そうな雰囲気があった。ただ、彼女の場合は美由紀のように、オーラを表に発することはない。いつも冷静で、内に秘める何かがあるのは感じるが、彼女の中で封じ込めて、相手に悟らせないようにしている。あくまでもすべてが美由紀の想像であり、中には贔屓目に見てみたり、大げさに考えてみたりすることもあるが、そのうちに美由紀にも沙織の気持ちが分かる時が来るのだろうと、思うようになった。
「待って?」
そこまで考えてくると、美由紀は、我に返った。
「私は、いつの間にか、沙織ちゃんのペースに嵌ってしまっていたということ?」
相手が内に籠っているのだから、相手のことを考えるのは、想像の域を出ないのは仕方がないことだが、元々自分のレズビアンの相手として見ていたはずである。優位性は絶えず自分にないと、レズビアンの相手は務まらないと思っていた。相手のペースで営んだこともあったが、それも最初から望んだことではなかったはずだ。行為の最中であれば、分からなくもないが、自分がペースに嵌ってしまうことは、あくまでも自分の本意ではない。それを思うと、果たして沙織が自分の相手となりうるかという点においては、一気に疑念に満ちた状態になってしまったのだ。
美由紀は、沙織を見限ってしまったように思った。レズビアンの相手としては、そぐわないと思ったのだ。沙織の部屋を後にして、家路についた美由紀。その時、思い出したのは、小学生の時に父親から「強制送還」を受け、情けない思いをしながら、家路についた時のことだった。
「寂しかった」
今、思い出しても、あの時ほどの寂しさと、情けなさは感じたことは、後にも先にもなかったことだ。その時の寂しさは、情けなさから派生したものだった。なので、同じ寂しさを感じることは、もうないだろうと思っている。
それなのに、あの時の寂しさを思い出すというのは、どういうことだろう? 思い出してしまった寂しさは、情けなさを伴ったものではない。だから、誰に対して恨みがあるというわけではない。もちろん、レズビアンの相手を断念したと言っても、沙織を恨むのは筋違いだ。怒りの矛先をどこかに向けなければいけないと思っていたのだが、矛先を変えるはずの怒りが、今度は見当たらない。まるで拍子抜けしたという感覚だけが、残ってしまったかのようだった。
美由紀は、沙織を諦めてしまったのだろうか? もし、そうだとすれば、これから、沙織とどのように接して行けばいいのだろう? 振り上げた矛の収めどころを見失ってしまった美由紀は、少し戸惑っていた。