生まれ変わりの真実
相手に「見られてしまう」ことは、羞恥の中でのターニングポイントだと言えないだろうか。見られてしまうことで、究極の羞恥を感じる人もいるだろう。美由紀は、羞恥を感じることを、誰かに見られたということは、あまり感じたことはない。子供の頃に迫丸に悪戯されたことでのトラウマが、美由紀の中から、羞恥を追い払っていた。冷めた感覚に陥り、誰が見ても、冷静な美由紀は、淫靡には見えないだろうと思っていた。
しかし、美由紀は、レズビアンに目覚め、晴子という女性を知ってしまった。それによって、
「意外とまわりの人は、自分が思っているより、私のことを知っているのかも知れないわ」
と感じるようになった。
まだ、それだけで羞恥を感じるところまでは行っていなかったが、本当の羞恥を知らなかったので、冷静でいられたことを、その時の美由紀は、まだ知らなかった。
「好きな人を苛めたくなる」
という感覚。それは、子供だけにあるものではない。
世の中には、SMの関係というのがあるというが、まったく美由紀には無縁な世界だった。
淫乱で、レズビアンに目覚め、犯されることに願望があるのかも知れないと思っている美由紀だが、SMの関係だけは、理解できなかった。
ただ、セックスを考えていると、お互いに苛めあっているのではないかと思うことがあった。お互いに愛し合っているということと、苛めあっているという感覚は、背中合わせではないかという思いである。
美由紀の今までのセックス経験(レズビアンを含んでのことだが)では、お互いに貪るような快感の求め方をしたことがない。必ず、どちらかが責めて、相手がその快感を貪っているのだ。
相手が快感を貪っている姿を見るのは、責めている方から見ても快感である。快感に身体を震わせている時、責めている方のことを普通の人は考えないらしい。聞いたわけではないが、見ていれば分かる。もちろん、美由紀も責められている時は、自分の快感に集中しているが、相手のことを考えていないわけではない。考えていないように見えるよう、演技をしていると言っても過言ではない。
もちろん、中には美由紀のように演技をしている人もいるだろうが、美由紀には、演技であれば分かる気がした。それは、自分が演技をしているからで、意識して相手を見ているからだ。
中には、
「自分のしていることは、されていることに気付かないものだ」
と聞いたことがあるが、確かにそうかも知れない。ただ、それも、自分がされることをまったく意識していない場合で、それだけ、自信過剰な人なのではないかと思うのだった。
美由紀の演技は、誰にも知られたくないことで、人が演技しているということも、知りたくないことだった。美由紀が、他の人が演技していないと思うのは、知りたくないという気持ちの方が、気付かないことよりも強かった。
「これ以上、知りたくないことが見えるのは、もう嫌だわ」
一体、どれだけの知りたくないことを知っているというのか、美由紀にはその大きさが分からない。漠然としているのは、知っているという根拠がないからだ。事実かどうか分からないことを、勝手に知っていると思い込んでしまうのは、美由紀の本心ではないのだろう。
自分がレズビアンに目覚めてしまったことも、知りたくないことの一つだったのかも知れない。溺れるところまでは行っていないのは、不幸中の幸いなのか、それとも中途半端であるがゆえに、精神的な不安定を呼んでいるのか、体調不良に陥ることが増えたのは、ちょうどレズビアンに目覚めた頃のことだった。
精神の不安定な状態がもたらしたものなのだろうが、女性ホルモンだけに負担が掛かってしまっているという意識が美由紀にはあった。医学的なこと、心理学的なことに、まったく知識のない美由紀は、すべてを女性ホルモンのせいにして、自分ぼ正当化に勤めようとしているのだろう。
レズビアンに目覚めたと言っても、実際には数回だけの行為だった。一回してしまうと、その後激しい自己嫌悪に陥り、しばらく、鬱状態が続くのだった。元々、躁鬱症の気があった美由紀には、鬱状態の時に自分がどうなるか、分かっていた。分かっていただけにある程度の対処はできたが、対処というのは、
「時間が解決してくれる」
と、自分に言い聞かせることに尽きるのだった。
「抜けないトンネルはない」
という発想で、鬱状態に陥ってしまえば、抜けるまでに要する時間は、あまり変わらない。鬱状態がいつも同じような精神状態になり、その大きさはいつも同じであることを示していた。
鬱状態は、たいていの場合は、二週間ほどで抜けられる。二週間我慢できれば、あとは大丈夫なのだ。その後に躁状態が待っているのか、それとも普通の状態が待っているのかは、最近では分からなくなっていた。
以前は、確かに鬱状態の後には躁状態が訪れた。躁状態は鬱状態とは違い、いつ終わるか分からない。一か月以上も続くこともあれば、あっという間に終わることもある。だが、躁状態も、あまり続くのはいい傾向ではないようだ。
躁状態も鬱状態と正反対の状態とはいえ、背中合わせなのだ。鬱状態が、自分の中に精神を押し込めようとしている精神状態であるのと同じで、躁状態も、自分の中に精神を押し込めようとしているのだ。決して表に出す感情ではなく、ただ、その状態が強烈なので、表から見ると、一目瞭然、溢れてくるものに毒気を感じ、誰も近寄ることができないのであろう。
ただ、違いは、その長さにある。鬱状態が、決まった期間であるのに対し、躁状態には決まった期間がない。それだけ、精神状態に微妙な影響を与えているのだろう。
「躁鬱症とは、起きていて見る夢のようである」
と、美由紀はずっと思っていた。
鬱状態が二週間も続いてしまうと、レズビアンで盛り上がった神経も、萎えてしまう。その後、気持ちが冷めてしまうと感じるのは、この鬱状態のせいなのだ。
冷めた気持ちを普段から感じているのは、躁鬱症とは関係ない。ただ、冷めた気持ちを持ち続けていることが、躁鬱症を誘発するのではないかと思うことは今までに何度もあった。
美由紀が、自分が陥ったレズビアンの時の感覚を覚えていないのは、夢のようなものだと思っていることと、冷めた気持ちに拍車を掛ける躁鬱症が襲い掛かってくるからではないかと思っている。一度目覚めた興奮も、冷めてしまえば、気持ちは無に帰してしまったと思っても仕方がない。よほどインパクトのあることでも覚えていないもので、もし思い出すとすれば、夢に見て、それを覚えていることしかなかったのだ。
レズビアンであるということを知りながら、自分がどれほどの感情を持っているか分からないというのも辛いものだ。自覚ができないということであり、それは、自分に対して言い訳が利かないことを示しているのかも知れない。
――レズビアンである言い訳が利かない――
それは、言い訳が利くように忘れないようにしないといけないのだろうが、それが自分の躁鬱症に打ち勝つことであるという前提であるならば、困難というよりも、不可能に近いと言った方がいいかも知れない。
「ここまで自分の気持ちを分析したことなど、今までにはなかったわ」